伊藤比呂美さんから石牟礼道子さんへのインタビュー的な対談集。テーマは主として死について。
石牟礼さんの戦中・戦後の体験から様々な死について述べられる。空襲が来て防空壕に飛び込んだら先にいた人たちが後から来たのを追い出したり、飢えに苦しんで作物を盗んだり、状況が逼迫したとき露わになる人間の本性、浅ましさについてはそんなものだろうと思いつつも、やはり体験した人の証言は重い。もっと状況が逼迫すれば殺し合いをはじめるだろうと予感された、それが銃後の民の本当の姿だったと。5歳のときに目撃した隣家の殺人事件の現場の記憶も物凄い。畳にぐっしょり染み込んだ血がぽとり、ぽとりと縁から垂れて表戸から路上へと、未舗装の時代だから乾いた泥の中に少しずつ染み込みながら溜まっていった。被害者は若い女性だったという。戸板の上に粗筵を掛けられた姿で外に運び出されるのを眺めていた近所の人たちは「南無阿弥陀仏(なんまんだぶ)、南無阿弥陀仏」と拝んだ。この記憶を巡っての二人のやりとりが印象的だったので引用する。
伊藤 その「南無阿弥陀仏」って言っていた大人たちは、その気持ちはなんだったんでしょうね。「南無阿弥陀仏」じゃなくて、ふつうの言葉に直したら。
石牟礼 ふつうの言葉にはならなかったので、「南無阿弥陀仏」って言ったんじゃないでしょうか。
伊藤 ああ、なるほど。
石牟礼 この場合、ふつうの言葉では何を言っても、表現できないんです。「可哀そうに」というのももちろんあるでしょうけど、哀れというか、殺されてしまってとか、いろいろあるでしょうけれど、何を言ってもやっぱり「南無阿弥陀仏」が一番ふさわしいんじゃないでしょうか。
石牟礼さん自身の自殺未遂についても語られる。若い頃、代用教員をやっていたときに学校の理科室で塩化水銀を手に入れてそれを飲んだのだという。直接的な原因が何かあったのではなく気質ゆえの行動だったと回顧されるが、そのときの臨死体験も興味深い。
ただ自分の意識では、真っ暗な出口のないトンネルの中に入っていく気がして、真っ暗で出口がない。明かり一つ見えない出口のないトンネルの中に吸い込まれていくというのが、一瞬、ちょっと怖かったですね。
この対談当時石牟礼さんは78歳。パーキンソン症候群に冒され、視力も弱り、日常の些細な所作ひとつ行うのにも難儀している状況だった。自分が死ぬことについては怖くない、人生に名残りもない、ただ痛みがあるのは嫌だと心情を吐露する。尊厳死が可能なら望むとも。ここでトイレの話が出る。自分で用を足せなくなったら生きているのは嫌だ、トイレに自力で行けるか否かの問題は大きい、と。似たような発言が、アトゥール・ガワンデの『死すべき定め』にもあった。
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本書でもっとも印象に残ったのは第三章終わり近くのやりとり。石牟礼さんは生きることが苦しいと言い、「人間は生きていくことが世の中に合わない」「(人間が)生きているということには無理があるなぁという気がします」と続ける。
生きている間は、どうも世間とうまくいかない。何かお互いに無理をしているなぁという気が。思い過ごしかもしれないけど、そうは人様はお思いにならないかもしれないけど、私の主観では、お互いに無理があるなっていう気がします。それで言葉も、することもなすことも、なんとなく掛け違うんじゃないかって。
それでお互いに、なるべく波風立たないように、お互いに不必要に苦しまないように気を遣って、努力はしていると思うんですよ。私だって。それでも無理がある。だからなおさら、無理が来るということも言えます。もう、生きていくって大変。
アメリカの精神科医サリヴァンは「精神医学は対人関係論である」と言い、「人格は対人関係の数だけある」とも言った。先日読んだ吉田豪『サブカル・スーパースター鬱伝』の中で、リリー・フランキーは「単純に話が通じないとか心が伝わらないとか、そういう人間が身近にいたりとかするから(鬱になる)」「ほとんどの人も仕事で鬱になってるんじゃなくて、仕事をきっかけに人に対しての不信感や喪失感や疎外感を持つんじゃないのかな」と述べている。いや本当に、人間と関わるってのはとにかくメンタルが疲弊するし、相手も程度の差こそあれ同じように感じているだろうし、お互いに気を遣い合って嫌になるのだから、石牟礼さんの言う通り人間が生きていくってのはなかなかにしんどく、無理めではある。意識があるから苦しむんだろうが。でも救われるのも他人によるところがあったりして、だからなおのこと難しい。以前読んだ松浦寿輝『わたしが行ったさびしい町』にはこんな一節があった。「人間というのは愛すべきものであり、また疎ましいものでもある。しかしどちらかと言えば疎ましいものである」。自分も基本的にこのスタンスである。
第四章は主に話題が『梁塵秘抄』なので読み飛ばした。本書もまた荻原魚雷『中年の本棚』で知った。
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