荻原魚雷『中年の本棚』を読み、中年の自分について考える

 

中年の本棚

中年の本棚

  • 作者:荻原魚雷
  • 発売日: 2020/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

所謂ミドルエイジ・クライシスをサバイブする助けを書物から探る、ブックガイド的なエッセイ。冒頭、野村克也の著作にふれて「四十初惑」という言葉が出てくる。昔の賢人は「四十にして惑わず」と言ったが、今は人生八十年あるいは百年の時代。人生が長くなった分だけ惑いの時期も後ろ倒しになった。ゆえに四十にして初めて惑いに直面する、という話から始まり、今流行の異世界転生ものに通じる人生のやり直し願望や、サブカル中年が陥りがちな心身の不調などについて、書物を引用しつつ考察する。このサブカル中年についての章の、

中年になるにつれ、見るもの聞くものすべて新鮮で、興奮する時期が過ぎ去り、コレクションを充実させる喜びや新しい作品に触れたときの感激も薄れ、何をやっても徒労感をおぼえることが増えてくる。

 という一節はまさに現在の自分の状況と同じである。サブカル中年が心を病みやすいのは、「(日に当たらない)不規則な生活と(部屋にこもりがちで)運動不足になるのも原因のひとつではないか」という推測は、サブカル中年をインドア趣味中年と置き換えても首肯できる。対策として、大槻ケンヂは「アスリート化」を提唱する。サブカルを満喫するための体力を培うための運動の推奨。適度な運動、栄養バランスのいい食事、7時間(8時間?)以上の睡眠、禁酒禁煙なども「アスリート化」と言えるだろう。文芸評論家の中村光夫は、健康の土台がないと精神の活動が衰えると考え、60代になってから運動を始めた。著者は「半隠居」を提唱する。「休み休み働き、休み休み遊ぶ」。種田山頭火は、無理をしない、後悔をしない、自分におもねらないを誓いとしたという(本人は守れなかったらしい)。

 

体が不調になるから心も不調になる。目や耳や鼻が鈍くなり、これまで親しんできた世界が遠くおぼろげなものになっていくような不安を覚える。今までできていたことができなくなって戸惑う。これらも中年期の特徴だろう。水木しげるは睡眠にこだわった人だった。睡眠にこだわり93歳まで生きた。中年になると高齢の親の介護や看取りにも直面する。死を意識せざるを得なくなる。これからの時代ますます増加するであろう中年独身者(「二〇三〇年には男性の生涯未婚率が二八%になるという予想もある」)は身近に指摘してくれる他者が不在のため、「健康だけでなく、髪型や服装にも無頓着になりやすい」。若い人なら許される非常識な振る舞いも、中年になったら誰も注意してくれなくなる。

 

金があればまだいい。だがバブル期以降の年月が失われ続けている(10年? 20年?)現代日本では生きていくのがやっとの「下流中年」が今後ますます増える可能性がある。今はなんとか暮らせていても、いつ「下流」に転落するかわからない。その恐怖が社会から余裕を奪っていく。他人など知ったことか、大切なのは自分(とその家族)だけという不寛容な空気が社会全体に広がっていく。

 

…と、だんだん社会問題の方へと話がスライドしてしまったが、本書の基調は「ミドルエイジ・クライシスをいかに乗り越えるか」である。そのために個人ができる有効な対策は、前述したが「適度な運動、適度な休養、栄養バランスのとれた食事、十分な睡眠、他者との交流」などだろうか。不思議だったのは、頭髪が薄くなるか薄くなる兆候を見せはじめることと、恋愛及び性に関する章がなかった点。この二点も中年期の衰えあるいは変化として身近なものだと感じているのだが著者にとっては切実ではないのかもしれない。

 

本書では多くの書物が紹介される。その紹介が巧みなので読みたい本が一気に増えてしまった。吉田豪サブカル・スーパースター鬱伝』、杉作J太郎杉作J太郎が考えたこと』、水木しげる津野海太郎『歩くひとりもの』、関川夏央『中年シングル生活』、伊藤比呂美『父の生きる』、石牟礼道子伊藤比呂美『死を想う』、「下流中年」に関する本、尾崎一雄竹熊健太郎『私とハルマゲドン』、ジェーン・スー酒井順子星野博美橋本治など。ぼちぼち読んでいきたい。

 

 

以下は本書を読んで考えた、中年である自身についての話。

自分は今年で44歳になる。独身中年のこどおじである。30代までは心身とも20代の頃とさほど変わった感じはなく、20代の延長として30代を生きた(ように思う)。しかし40代に入ると状況は一変した。メンタル的にも体調的にも変化が起きた。以下にいくつか自覚している変化を挙げる。まずはメンタル関連。

・フィクションへの興味が薄れた

・フィクションよりもノンフィクションの方がとっつきやすくなった

・映画や本に対する集中力がなくなってきた

・映画や本に感動することが減った

・新しいものへの関心が薄れて興味が持てなくなった

・感情の変化が乏しくなった

・会話していて咄嗟にうまく言葉が出てこなくなった

・遊びを含め何をするにも億劫になった

30代半ばまでは、途中で多少退屈を感じることはあったとしても映画や小説を最後まで見たり読んだりできたが、今はちょっと飽きると、我慢してまで見(読み)続けてもしょうがないな、という気持ちになって途中で止してしまう。映画でも読書でも途中で止める、ということが40代になってからかなり増えた。なんなら最後まで見る、読む方が少ないかもしれない。堪えることができなくなっている。経験が増えた分比較対象も増えて好みの選別ができるようになった…といえば多少聞こえがいいかもしれないが、粗がすぐ気になるというのは頭が固くなった証でもあるような気がする。集中力が続かないのは後述する視力の衰えと関係している部分もあるだろう。でも40代でも『ゲーム・オブ・スローンズ』のような長大なドラマを最後まで楽しく見られたので、面白ければ集中力は続くのだ。プルーストを読破したのだって40代になってからである(途中からは楽しみというより義務的な読書となり半ば意地で読了したようなものだが)。漫画は今でもわりと読める。買い続けている漫画も多い。テレビアニメは全くと言っていいほど見なくなった。最後にシーズン通して見たのは『ケムリクサ』。これはとても面白かった。しかしだんだんフィクションより現実へ関心がシフトしてきた。感情の変化が乏しくなったというのは、動じなくなったというか、出来事に感情が追いつくのが遅くなったというか。女性と接してドキドキすることも減った…ような気がする。でもホテルのフロントで笑顔で対応されるとつられて笑ってしまう。我ながらきもい。自動車を運転していて苛々することが増えたのは加齢による前頭葉の劣化か。自動車の運転は絶対に若い頃より下手になっている。一瞬の判断ができなくなって待ったり譲ったりすることが増えた…が、これは安全面でいいことだと思っている。

 

次に身体関連。

・四十肩が一年以上続いている

・目がすぐ疲れる

・いくらでも寝られる、というか夜遅くまで起きていられない

・無理が怖くなった

・多少運動をしても間食を減らしても30代までのように簡単には痩せられない

口内炎が全然治らない

2019年末になった四十肩は、治療のため未だ整形外科に通院している。なった当初に比べたら今はだいぶよくなったが、腕を上げてぐるぐる回す動きにはまだ違和感と少しの痛みがある。これは完全に元通りにはならない気がする。目がすぐ疲れるようになったのはここ何年かのこと。パソコン画面を見ていたり読書をしているとしょぼしょぼしてくる。元々かなりの近視で、眼鏡がないと生活できないほどだが(初めて行くスパ銭では眼鏡かコンタクトがないと怖くて入れない)、これに老眼も加わってきた模様。酒を飲んでいなくても0時まで起きていられなくなったのも40代になってから。平日は22時頃には寝てしまい、2時頃に目が覚め、スマホをいじったりしているうちにまた眠くなり4時頃から再度寝る、ということが多い。何事も無理をしない、というか無理するのが怖くなって慎重になった。若い頃、勢いに任せてやったことを不意に思い出してヒヤリとする。食事を減らしても運動しても全然体重が減らないのはショックだった。30代なら2ヶ月もあれば3kgくらいすぐ減らせたが今はもう不可能。口内炎も30代までは一晩寝れば治ったが(夜勤していた時は一週間くらいかかった)今は一週間以上治らない。口内環境が汚いのかと思って先日一年ぶりに歯医者へ行き、歯石を取ってもらった。医師に相談するとビタミンBを取れとのことだったので、チョコラBBを買って飲んでいる。若ければ不要な出費だと思いつつ。

 

ありがたいことに頭髪はまだ一応ある。若い頃と比べたら一本一本がだいぶ細くなってしまったが。肩は痛いが、首、腰、膝はまだ大丈夫なので大事にしたい。夜、たまに死について考える。

 

 

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