松浦寿輝『わたしが行ったさびしい町』を読んだ

 

わたしが行ったさびしい町

わたしが行ったさびしい町

  • 作者:松浦 寿輝
  • 発売日: 2021/02/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 著者がこれまでに訪れた数多の土地について、さびしさという観点から述べる。街ではなくて町、というタイトルからも窺えるように、観光地的な賑やかな土地ではなく、ふつうの人がふつうに暮らしている土地が対象となる。それはまた著者自身の過去をめぐる回想の旅ともなる。

 

さびしさとは何か。それを人の生の本質だと看做していた詩人、西脇順三郎の「旅人かへらず」からの引用で説明されるが、有限な存在である人間の小ささ、哀れさ、そんなものを指しての形容であると思われる。祭りのような喧騒とは無縁の、落ち着いた、ふつうの人がふつうに暮らしている町、それが本書における「さびしい町」である。「うつつは淋しい/淋しく感ずるがゆえに我あり/淋しみは存在の根本」。西脇の詩にはそんな一節もあった。いわば生の常態としてのさびしさ。

 

端的な感想として感動した。『川の光』くらいまで著者のエッセイや小説(評論は難しくて読めなかった)を読んできたがその後とくに理由なく離れていて、このたび、コロナ禍で外出自粛が「要請」される中、旅の本を読むのも面白そうと思って読み始めたのだけれど、とにかく文章が自分好みの、流麗で、柔らかく、野暮なところのない(植物の蔦を連想する)素敵な文章で、文章を読む、そのことの純粋な愉楽を堪能させてくれた。

 

ガイドブック片手に名所旧跡を訪れて、事前の知識と眼前の現物とを比較・照合して「確認」をするような慌ただしい旅とは少し違い(そういうケースも出てくるけれども)、目的地への途中で寄った町や、足止めを食った町、自身が生まれ育った町などの、落ち着いたささやかな旅の記述が大半を占める。ほとんどが海外で、自分は無論行ったこともこの先行くこともなく、それどころか初めて名を聞く土地ばかりだったが、それでもすいすいと読めるのは文章の素晴らしさゆえだろう。さびしい町を訪問した際のエピソードにも一抹のさびしさと時にはユーモアが漂っていて上質な短篇小説としても読める。

 

時の経過とともに薄れ、曖昧になっていく旅の記憶と二重写しになる自身の過去についての記述は味わい深い。過去の金銭にまつわる苦労の部分は、あまりそういう生々しいことを語る人ではないと思っていただけに意外な驚きを受けながら読んだ。冒頭に、本書は著者にとっての「昔話」だと断りがあるが、年齢を重ねるにつれ過去を率直に語ることに心理的抵抗が薄まったということだろうか(他人が忖度することではないが)。自分が付箋を貼った大部分は哲学的というのか人生論的というのか、そういった考察が述べられた箇所。

空疎な時間と言うが、空疎とは何で充実とは何なのか、六十五歳というこの年齢になってみればもうよくわからなくなってしまったからでもある。結局、空疎も充実もないのだ、時間はただ流れてゆくだけだ。

あるいは、

恐らく人は、そのつど仮初の、とりあえずの、間に合わせの小さな「安住の地」の数々を、飛び石伝いのように伝いつつ、生きてゆくほかないのだろう。もしこれをかぎりの、決定的にして最終的な「安住の地」に辿り着いたなどと得心してしまったら、そのときはもはや、生きることの意味じたいが失われてしまうのではないか。

 あるいは、

 もちろん、永久に片づかないままの案件が多少残るのはやむをえない。しかし、そうしたしぶとい厄介事に関しては、それさえ解決すれば人生はもとの正常な、ないし健常な状態に戻るなどという夢想じたいが実は空しい妄念にすぎないと思い做しておくに如くはない。ぶざまな出っ張りや醜い凹みを自分の生のうちに抱え込みつつ、それを適当に忘れたりときどき思い出して弥縫策を講じたり、そんなことを繰り返しながらあくまで楽天的に日々をおくってゆくのがこの世の生の常態というものだ。

 

読んでいる間感嘆の連続だったというのに、読み終えてしまうともう内容を忘れてしまい、ただ漠然と、いい本を読んだという充実感だけが余韻として残っている。そしてこの本を読んで高揚した気持ちを、この程度の、引用部分を含めて1900字程度の感想にまとめるのさえ難儀している、というかこの書く時間を使ってもう一度本書の気に入った章——ぺスカーラや長春や台南や上田やコネマラの章——を読み返した方が、遥かに有意義で幸福な時間の使い方だと思いながら書いている。先に、上質な短篇小説集のようだと書いたけれど短編のよいところは何度でも気楽に気ままに読み返せるところにあるのだから、本書もそんなふうに繰り返し読みたい。これまでに読んできた著者の本の中で、本書が一番好きである。そして、本書中で述べられているが、いつか著者に映画についての本を書いて欲しい。