高村友也『自作の小屋で暮らそう』を読んだ

 

山梨のとある雑木林の中に自作の小屋を建てて暮らしている著者の生活記録。副題のBライフとは「安い土地でも買って適当に小屋でも建てて住んじゃおうという、言ってしまえばそれだけのライフスタイル」。文明と縁を切っての山ごもりではないから世の中の便利さを利用しながら必要最低限のミニマムな生活。

 Bライフは、筋金入りのサバイバルでもなければ、自給自足やDIYにこだわるものでもないし、スローライフエコロジーライフ、ナチュラルライフなどというものとも違う。「金はなくとも心は…」といった類の根拠の無い貧乏讃歌でもないし、「働かない」とか「もうリタイヤ」と決め込むわけでもない。働きたくなったら働けばいいし、「そこ」でゴロゴロしていてもいい。「そこ」に帰ってくれば最低限の生活が保障されている、でも最低限だから維持費なんて全然かからない、そんな自分だけの安全地帯を、低予算で、しかも完全に独力で構築する。

 

まずは住居、すなわち床と壁と屋根の確保。「金槌すらロクに握ったことのないド素人」の著者が設計図もなしに何もない林の中へ基礎から家を建てていく。間取りはリビング3畳、キッチン1畳、トイレ1畳の5畳ロフト付き。建築プロセスが写真付きで紹介されておりパッと見た感じでは立派な小屋に見える。「鋸が挽けて金槌が打てれば誰にでもできることしかやっていない」と述べているけれども少なくとも自分にはできそうもないと思った*1。一通り完成したあとも必要に応じて随時増築されているもよう。ソーラーパネルによる給電、コンポストトイレや焼却炉の自作。冷蔵庫はなし。風呂は近場の銭湯を利用。交通・運搬手段はカブとリヤカー。

 

生活する上で何より重要なのは水の確保。近くに沢があったのでそこから汲んで補給する。本書を読んで、水は手に入れるより捨てるときの方が制約が多いと知った。家で使った水をその辺に捨てたら条例違反。「家庭内から出る水はすべて、下水管か浄化槽を通さないといけない」。取る手段は畑に撒くか、蒸発させるか。普通に住宅で暮らしていればシンクに流すだけで済むことがえらく面倒がかかる。本書で著者はことあるごとに「そんなことをするくらいなら最初から中古住宅を買えばいい」と述べる。やらなくてはならないことが多すぎて安い中古住宅を買ったり家賃の安いアパートに暮らしていた方が楽は楽だろう…ローンを組んだり家賃を払い続ける必要があったとしても…という気持ちになる。

 

初期費用100万円足らずで月2万円程度あれば維持できる生活*2。憧れるけれど、大変そう。少なくとも自分にはこれほどのガッツはない(もちろん頭もない)。著者は好きでやっていることだから楽しみながら試行錯誤できているのだろう。現代の世の中ではお金を使わずに何かする、となると代わりに手間や時間を費やすことになる。たとえば車で行けば楽なところへ車なしで行くには公共交通機関や徒歩になる。時刻表で時間を調べてそれに合わせ、歩くには体力が要る。歩いている最中に雨に降られる場合もある。自炊と外食、DIYと購入、髪を切るのだって家電の修理だってそうだ。何のために世の中にこれほどの職業があるのか、という話になる。必要があるからだ。それら専門的なサービスを利用するには金が要る、だから人は金を稼ぐ。たとえ少しであってもこの構造から外に出るのは大変だ。自分なら普通に働いて暮らす方が楽だと思うだろう。世の中の仕組みもまたそういう生活スタイルに合わせた形にできている。

 

それでもこういう本を読む程度には世の中の外に少し出ている人や暮らしに憧れがある。

たとえば著者の眠りについての次のような文章。

寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。

 

朝目覚まし時計の不快音で起こされることほどその日一日の体調と気分を台無しにすることはない。

 

昨晩何時に寝て、起きたのが何時で、結局何時間睡眠を取ったのか知ることすらない。

 

何時間以上の睡眠が必要だとか、短時間でもいいだとか、レム睡眠がどうとか、スマートウォッチでの睡眠管理がどうとか、そういった医学(?)やライフハック()の小賢しさをすべて吹き飛ばす「自由な睡眠」の途轍もない魅力。毎日が金曜日の夜のようで読んでいて羨望しかなかった。

 

食事については、

 具の多い味噌汁は栄養的にも味的にも安定している。野菜を数種類買っておいて、各野菜を10円分ずつくらい刻んで味噌汁に入れる。野菜だけだと物足りなさを感じることがあるので、肉を少しでも入れるか、肉がなければキノコ類を入れるとご飯のおかずらしくなる。これにあと漬物があれば、一食100円で、絶対死なない、絶対飽きない、最強の食事ができあがる。

なんてことない質素な食事なのに見たらとても旨そうに感じられて、写真に写っていたなめ茸をつい買ってしまった。納豆と卵も付ければさらに最強か。梅干しもいい。

 

本書の後半は実践するにあたってクリアすべき課題、すなわち法律についての記述になる。税金や社会保険都市計画法建築基準法農地法などが話題に。これらに抵触せずに暮らしていかねばならない。読みはじめてすぐ気になったのが税金の納付についてだった。参考値として年収が98万円以下なら国民年金の保険料は全額免除で半額を納めたものとして計算され、国民健康保険の保険料は7割免除になり、所得税と住民税もほとんどゼロに、支出の内訳を見ると固定資産税もゼロだった。読んでいて昔はてブで見たあるエントリを思い出した。

anond.hatelabo.jp

 

本書の最後で著者がBライフを総括する。

 屋根と壁さえあれば暖かく寝られるのに、日本では現代技術の粋を集めた超高級家屋しか売っておらず、それらを買うための借金によって最悪の場合おちおち寝ていられなくなる。この本末転倒とでも言うべき事態が出発点だった。

映画『家族を想うとき』のような事態。そこで楽しく暮らすために買った家なのに、支払いに追われて生活が追い詰められていく皮肉。話が逸れるが土日祝、外出先で混雑に遭遇するたび自分は思う。この人たちの大半は毎月少なくないお金を住居に払っているだろうにその家で休日をのんびり楽しく過ごすことをせずわざわざ混雑する場所へ出てくるのか…と。実家暮らしの独身中年だからこそのお気楽さと言われればそれまでだが、人混みが嫌いでお家大好き一人大好きな自分は不思議でしょうがない。

 

Bライフは(経済的に)お得か? との問いに、著者は「得策ではない」と答える。

 そうして、この極度に役割分担された現代社会に背を向けるのは、個人の収支からしても、社会全体に対する恩恵を考えても、得策ではない。つまり、家一つ手に入れるにしても、自分で一から家を作るのに要する時間だけ真っ当に働いてプロの作ったものを買った方が、ずっと良いものが手に入るということである。同様に、野菜作りは農家に任せておけばいいし、すでにあるライフラインを用いた方がいいし、そしてその方が、社会全体の富の総和もずっと大きくなる。

 素人の知識と、素人の技と、素人が入手可能な道具と材料の範囲で、「◯◯をいくらで得た」という「いくら」の部分を小さくしようとすると、膨大な時間と労力を費やす羽目になる。試行錯誤の過程で払う授業料も考慮すれば、「いくら」の部分が小さくなっているかどうかすらも怪しい。

これは「自前で何かすること」に対するコスト意識として自分が常に抱いているのとまったく同じ見解。それでもなぜ自作するのかというと──自分の場合はヘボい本棚作りが関の山だが──ジャストサイズのものが欲しいのに売ってない(売っていても高い)から。これに尽きる。

ジャストサイズの既製品がなければ、面倒でも不細工でも自分で作るしかない。

「既製品」とは物に限らない。好きな時間に好きなだけ眠れて働きたいと思ったときだけ働く、そんな労働を今の世の中はまだ可能にしていない。だからそういう生き方が自分にとってのジャストサイズだと思う著者のような人は世の中から少しだけ外へ出て自分の暮らしを「自分で作る」ことになる。

 

実践はできないけれども本書のメンタリティは自分の生活に取り入れたい。一般的な労働者として働き一般的なマスとして消費生活を送りながらも自分なりのベーシックライフを実践したい。既存のシステムの利用できる部分は利用しつつ、ミニマムに、楽しく、自由に生きるために。読み終えてそう思った。

 

 

この本はphaさんの『人生の土台となる読書』に教えられた。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

ケン・ローチ監督の名作。

家族を想うとき (字幕版)

家族を想うとき (字幕版)

  • クリス・ヒッチェン
Amazon

 

*1:本棚のDIYすら苦労した人間である

*2:毎月の生活費の内訳が、もちろん税金も含めて公開されている