鈴木大介『ネット右翼になった父』を読んだ

 

 

著者の父親は晩年にヘイトスラングを口にし、右傾的なYouTubeチャンネルを視聴し、社会的弱者は自己責任と批判するネット右翼と化した。その原因を父親の死後検証する、という内容。

 

結論から先にいうと著者の父親はネット右翼ではなかった。何らかのモチベーションからそうした情報に触れてはいたが染まってはいなかった。父親をネット右翼と見做したのは息子である著者の認知バイアスによる。これこれの情報に触れ、これこれの言動をする人間はネット右翼である、という安易なレッテル貼りこそが相手を(自分にとって)そういう人物にしてしまう。人はみな自分に見えるものしか見ない。同居して長い時間を父親と一緒に過ごした著者の姉や姪の父親に対する印象は同じ人物を対象としながら著者とは全然違っていて、彼女たちの方がフラットな見方ができているように思った。

 

「父がネット右翼だと思っていたけど実は息子の勘違いだった」。

乱暴にまとめてしまうとそういうオチなので拍子抜けの感はある。でも著者の父親の場合はたまたまそうだっただけで、本当にネット右翼化している老父というパターンもあるかもしれない。久しぶりに会った父親がネット右翼化していたという話はわりとあるらしいから。本当によくあるのか? と疑ってしまうが。自分、実家暮らしで父親と毎日のように顔を合わせているが*1そういう偏向は感じない。もう70代後半、IT関連に興味はなく、ipadを持っているのでYouTubeをたまに見ているらしいくらいで、それも若い頃から好きな自動車関連の動画が多いようだ。家族とはいえ人の視聴履歴を見たりはしないから詳しくは知らないが。

 

イデオロギーの先鋭化は「孤独の病い」であると著者は分析する。その通りだろう。仲間がいて、趣味を楽しみ、承認欲求が満たされている人間はそのような傾向に陥らない。おかしなことを口にすれば周囲が変な空気になるからすぐ察してよすようになるだろう。社会性を保つためにも、自身が正気でいるためにも、人間関係は大事だ。孤独が人を狂わせる。ヘイトな右傾コンテンツが商業として高齢男性をターゲットにしている、とも著者は述べている。これもおそらく正しい。

 

「コンテンツの摂取とは、食事によく似ている」と本書中にある。言い得て妙だと思う。日々摂取する食事で体が作られるように、摂取するコンテンツで思考が作られる。自分は2019年から映画館で映画を見るのを趣味にするようになったのだが、娯楽作品とは違う、いわゆる社会派とでも言いたいような堅めの映画を見る機会が増すにつれ物の見方や考え方が少しずつ変わっていったように思う。他者を労わる想像力を持てるようになったというか(自分で言ってりゃ世話ねえな)。それも親和性があってこそのケミストリーだろうが。俺の思考のベースとなったコンテンツは、幼い頃から青年期にかけて夢中になった藤子・F・不二雄ドストエフスキーだ。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

70代になる、老いる、とはいかなることか。価値観のブラッシュアップができなくなるということだ、と著者の叔父は語る。

「難しい文章がどんどん読みにくくなる。新しい考えがなかなか頭に入ってこなくなる。世の中はどんどん変わっていく。老いるということは、新しい情報を得て理解して取り入れる機能そのものが低下すること。それが70代なんだ」

自分もいつか70代になる(生きていられれば)。45歳の今でも現在のポリコレについていくのがしんどい…というか時に違和感を覚えることもあるのに70歳なんていったらもう…。その年齢の頃には恥や不快さを社会に撒き散らすことなく、無害にひっそり暮らしていければと思う。老害と揶揄されないように。そしてもし可能であれば、圧のない、かわいい爺さんになりたい。

 

 

本書を読んで、以前はてブに、ネトフリを契約したら祖父が正気に戻ったみたいなエントリがあったのを思い出した。効果的な対処法なのかもしれない。「陰謀論にハマるのは暇で粗悪な無料コンテンツばっか見るから」。俺はU-NEXTをおすすめしたい。ラインナップが充実しているし毎月付与されるポイントは映画館でもNHK見放題でも使えるし電子書籍もアダルト動画もある。

anond.hatelabo.jp

 

*1:自分は交代勤務従事者だから生活は基本バラバラなため顔を合わす時間はわりに少ないが