映画『ミナリ』を見たが…

 

公開初週の土曜日昼過ぎの回で20人程度の観客しかおらず寂しい感じがした。いや、明日までは緊急事態宣言下なのだから呑気に映画など見ている方が異常なのかもしれない(しかしホームセンターもイオンモールもスタバも混雑していて、道路も渋滞していたが)。

 

前知識はYouTubeで予告編を見ただけ。韓国からアメリカにやってきた移民一家が農業で成功しようとする話と予想していた。正直、自分は家族の物語みたいなのはあまり興味がないので見に行くかどうか迷ったが、アカデミー賞ノミネートということで、まあ賞なんてものは映画の出来不出来とは無関係な業界内の政治だろうからどうでもいいのだろうが、食わず嫌いもよくないし、主演があの素晴らしい『バーニング』のスティーブン・ユァンということで見に行った。

 

で、見ている最中、そして見終わって実感したのは、やはり自分は家族の物語には関心が持てず、好みでもない、ということだった。最後まで眠くならずに見られたのだから特別退屈ともつまらないとも思わない。しかし全く心に残るところがない映画だった。ご都合主義的な展開がなかった点はよかった。冒頭から終盤まで夫と妻の不和は解消せず、はじめはユーモラスだった祖母が脳卒中発症後は別人のようになってしまうのもリアルでいい。ただ、リアルでいい、と言っても、例えば家族と不和だったり、家族に病人がいたりすればリアルでいい、などと言って終わりにはできないわけで、やはり映画には夢が欲しい、希望が欲しい、という思いがある。この映画では、夫婦関係にも祖母の病状にも希望が示されずに終わってしまう。セリが残ったのはおばあちゃんの手柄だなどと言ってハッピーエンドを装っているが、え、これで終わり? という消化不良感が凄い。

 

それとも人生の全ては天の配剤だとでもいうのだろうか。映画では終始、正直なところプロパガンダかと疑いたくなるほどキリスト教のモチーフが登場する。祖母が卒中を起こしたのは寄付金をくすねたからか(倒れた後の彼女が箪笥を見つめていたのは、中に寄付金を隠していたからではなかったか)。主人公が雇った農夫は襤褸をまとった善意の人で(ドストエフスキームイシュキン公爵を思わせる)、十字架を担いで歩いたり、悪魔祓いめいたことをする。監督はキリスト教を本作の重要なモチーフとしたのだろうけれど、その意図が自分のようなキリスト教に疎い者にはわからない。物語の筋に寄与していないのに宗教が何度も登場し言及されるのには少々鼻白んだ。アメリカ人が見れば違和感を感じないのだろうか。そのへんの事情は自分には見当もつかない。

 

農場の成功を求める主人公と、彼に振り回される家族の物語かと思いきや、エンドロールでは「すべてのおばあちゃんに捧ぐ」とある。ということは、フォーカスされるべきは主人公ではなく祖母なのか。たしかにこの映画でもっとも存在感があるのは彼女である。でも彼女は中盤で倒れて以降は前半の輝きを失ってしまい、舞台の中央から去る。何が言いたい映画なのかわからない、というのが、自分の端的な感想である。心臓が弱くて走れない、という息子の設定も、なるほど、高度情報化社会に生きる我々にとってもっとゆっくり生きろとか、農業で成功するには牛歩で進む肚が必要だとか、そういう暗示かなと思って見ていたが、そんな様子でもなく、ラスト近くで祖母のために無理をおして走ることの感動を演出するためにあったようで、拍子抜け。映像的に記憶に残る場面もなかった。よかったのは、この映画を見た多くの人も笑っただろう(自分も声出して笑った)祖母の飲尿シーン。ここのユーモアは最高だった。クライマックスの炎上は、『バーニング』の「ビニールハウスを燃やしている」という台詞を思い出して妙なアイロニーを感じた。