赤瀬川原平『超芸術トマソン』を読んだ

 

 

 

超芸術トマソンの(一応の)定義は「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」。トマソンてなんぞやと思ったら1982年に巨人にいた選手とのこと。野球に疎いのでこの選手がなぜ超芸術と関係するのかと思ったらきちんと説明されており、しかもその説明が皮肉たっぷりだったので吹き出した(著者は「皮肉ではない」と断っているが)。昇降しても意味がない純粋階段、その下に何もない庇、塞がれてしまった入り口、高層階の壁にある扉などのトマソン物件は再開発前ならではのもの。DIYなんて言葉がまだなかった1970年代から80年代にかけての(主として)東京の風景。著者のユーモラスな文章が滑稽な写真と相俟ってとても楽しく読めるのだけれど、同時に、この本で紹介されているトマソン物件の大半は今ではもう失われてしまっているだろうことが予想されて一抹の寂しさも覚える。

 

 超芸術トマソンの発生した一九七〇年代初頭は、体制破壊の波が町を吹き抜けた直後である。路上の敷石が剥がされ、交番が焼打ちに合い、車道をぞろぞろと人が歩いて、町の様相は激変していた。

 これは関東大震災のミニ版であろうか。

 大地震によってすべてが崩れ落ちて等価のカケラとなってしまった荒野に、またぽつりぽつりとバラックが立ちはじめて町が再生していく。今和次郎考現学は、その時代に生まれたのだった。

 そういえば芸術がキャンバスからあふれて生活空間にひろがるという考現学的状況を呈したときにも、町には六〇年代安保闘争の動揺があったのである。考現学路上観察の視線の源は、破壊と再生の谷間の原点に隠されているようである。

 

路上観察学入門』

 

 

トマソン』の副読本ともいえる『路上観察学入門』で、四方田犬彦さんが「墓場鬼太郎」の鬼太郎父子が1963年の新宿を散歩するシーンを引用している。鬼太郎が「オリンピック前だというのでさわいでいますね」と言うと、目玉の親父が「土建屋と旅館にもうけていただくためにさわいでいるようなものだ」と答える。「開発」へのシニカルな目線が『トマソン』にはある。

 

本書中の白眉は、表紙写真の撮影された麻布谷町をめぐる「ビルに沈む町」および「馬鹿と紙一重の冒険」の章だろう。現在のアークヒルズ周辺が森ビルによって再開発される前のそのあたりの風景は、

 愛宕山を越えてからは、古い住宅地のようなところにはいりました。道が不規則に折れ曲がり、上ったり下ったりしています。静かです。道が狭いからです。車がほとんど通らない。まだ車が世にあらわれていないころの道路なのです。建物や塀もかなり古くて、角が丸くなったような感じです。(略)

 歩くうちに町の表示は、芝となったり、麻布となったり、六本木となったりしています。とにかくそういうところです。坂道が上ったり下ったりするけど、あちこちに高いビルがいくつも建っているので、高地低地は目ではわからず、やはり感じるのは靴底だけです。それでもってビルの横の道を歩いていると思ったら、ふいと道路の横がひらけて、目の下に古い人家の屋根があります。

 ビルに沈む町の屋根です。

 

住民の立ち退きが始まっていたこの町に、すでに建物はなくなっている銭湯の煙突だけがポツンと残っていた。トマソン煙突だ。その根元にはバラックがあり、まるで立ち退きに対して徹底抗戦の構えを見せるトーチカを思わせた。実際は徹底抗戦どころかこの銭湯の主人はさっさと森ビルとの契約書にサインして銭湯を売り払ったそうだが、煙突を発見した当初は著者やトマソン観測グループのメンバーはそんな事情はわからない。このメンバーの一人が命綱なしで煙突に登り、てっぺんで何にも掴まらず(避雷針はあったが錆びていて掴んだ方が危険と判断した)、立ち上がって一脚を掲げ魚眼レンズで撮影した写真、それが本書の表紙写真である(撮影の詳細に関しては『路上観察学入門』に本人による回想がある)。この写真に写っている「ビルに沈む町」は本当に沈んでしまって今はもう跡形もない。雑誌に連載後、1985年に刊行された本書はいわば失われてしまった東京の風景の貴重な記録となっている。まだバブル期すら迎えていない頃の。本書を1985年に読むのと2022年に読んだのとでは人は全然違う印象を受けるのではないだろうか。1985年なら素直にトマソンの可笑しさを笑えただろう。しかし2022年では可笑しさよりも郷愁を覚えたり、時代の変遷に愕然とするだろう。それは都築響一さんの写真集『TOKYO STYLE』にも共通している。かつてあったのに今はもう消えてしまった風景とそこにあった暮らし。

 

今更トマソンでもないだろうが散歩のついでにそれらしきものはないかと住宅地をきょろきょろしていても、新興住宅地だからか、建物には無駄がなく、妙な増改築するくらいなら更地にして一から建て直すのか、あるいは単に自分に発見のセンスがないのか、まず見かけない。効率性・生産性追求の時代だから無駄な物は残しておかず追放したくなるのかもしれない(「無用物追放欲」という言葉が本書に出てくる)。もっと昔日の面影残る土地なら年季の入った住宅や土地に発見できるのかもしれない。いや、やはりセンスの問題か? 本書でも言及されているが、トマソン探しをするようになると、人は近所の「何気なく通っていた道にも初めて見る景色がいっぱいある」ことを発見するようになる。実際、近所を散歩していると半径5キロにも満たない距離の中に、通ったことのない道がいかに多いか、すべての道を死ぬまでに歩き尽くせないのではないかと思うほどで(大袈裟か?)人間一人に対してはちょっとした住宅地と商店街でさえ広大すぎる、と感じるようになった。近所にトマソンがなければないで代わりに何か別のものを人は見つけるだろう。変わった苗字の表札とか、名前も知らない花だとか、一風変わった改造車とか。

 

本書の元になった記事は雑誌連載で読者からのトマソン写真の投稿によって成立していた。最初のうちはトマソンを楽しんでいた著者が、だんだんと報告が増え、分類が可能になっていくにつれて冷めていく過程が可笑しい。最初は斬新だった遊びが、制度化されることで退屈になっていく。この記事の冒頭でトマソンの一応の定義を引用したけれども、本書の中盤以降ではたとえ定義にはあてはまっている物件でもこちらの情動に訴えてこない云々とケチをつけたり、トマソントマソンでないかを考えるのがもう面倒くさくなったと言ったり、趣旨が否定されるようになる。

 何ごともそうであるが、超芸術トマソンも数多く接するうちには「グルメ」の状態が発生してくる。つまりはじめてこの論理をつかんで町を観測しはじめたときには、つぎつぎとぶつかる新しい物件に新しいトマソン構造を見つけ出して、気持はわくわくしていた。ところが各種の物件が超芸術トマソンの論理の位相をおおよそ埋めつくしてくると、やや気持のわくわくがなくなってくるのだ。見事なほどの庇タイプを発見しても、

「ああ、庇ね」

 といってそれはすぐに分類されたところに収まってしまい、まあいちおう写真に撮っておくかという具合で、カメラのシャッター音にも精彩がない。しかしこの「グルメ現象」というものは、何ごとにおいても道をきわめようとするものに必ず訪れてくる壁であろう。先行したものがグルメとなって興奮を欠いてしまっている一方で、新しくこのトマソンに関わるものは独自にまたこの現象をむさぼり食って、何か別の新しい発見の系譜へとつながるのかもしれない。

 

人間は生きている限り意図するとしないとに関わらず観察してしまう生き物だ。観察し、並置し、比較し、分類し、整理し、逸脱したものに驚く。感動する。笑う。その逸脱したものたちもさらに分類・整理され、やがて各人は自身の中に、何事かに関する膨大なインデックスを作成していく。このインデックスを豊富にし続けることが、もしかしたら生きることへの飽きなさにつながるかもしれないし、何もかもが嫌になって心折れそうなときでも生への未練となってその人を救う助けになるかもしれない。いや、適当に言ってみただけだが、そうだったらいいな、と思う。

 こうやって整理棚が整うことがあらかじめわかっていたからといって、何も観察せずにじっとしていることができただろうか。いやできたとしても、それはただ時間を一時的に止めただけに終るだろう。終ったところでその空白の時間に、敗北感を味わうだけだ。こうなることは、いずれどうやったってこうなるのである。

 何故なら、これが自然のおこないだからである。私たちは自然の与えてくれた好奇心に身をまかせて、物件を見つけてきたのだ。

 自然とはそういうものだ。

 好奇心の出し惜しみをして触らずにいたとしても、何ほどのことがあるのか。私たちはいずれ必ず自然に打ち負かされる。それよりも自然を誘い出して、いっしょに戯れた方が面白い。爽快である。

 

だから生きて、観察を続けようぜ。