12月は9冊読んだ。もう少し読めるかなと思ったけど年末はいろいろやることが多くて時間が捻出できなかった。2025年は88冊を読了。2026年は100冊読みたい。数字に縛られるべきじゃないと思いつつモチベ維持の目標として目指したい。
「現代ホラー小説を知るための100冊全部読む」は依然継続中。正確には「読める範囲で全部読む」。残り58冊。
一部ネタバレあり感想。
- 鈴木光司『リング』
- 矢野帰子『くらやみガールズトーク』
- 山吹静吽『迷い家』
- 北上秋彦『死霊列車』
- 宮澤伊織『裏世界ピクニック』
- 坪内祐三『文学を探せ』
- 春日武彦『自滅帳』
- Alt236『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』
- 朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』
鈴木光司『リング』
現代ホラー小説の始祖。20年以上ぶりに読み返した。今読んでも面白い。映画では元夫婦の二人は原作では親友の関係。竜司のキャラがかなり強烈。退場させるには惜しい。
呪いをウイルスとした点が斬新。生き延びるには誰かに感染させるしかない。殺された恨みと天然痘の組み合わせから呪いが生じた設定はSF的。
矢野帰子『くらやみガールズトーク』
抑圧された女性たちの短編集。現代ホラー小説を知るための100冊で知った。ホラーで括られているけれども、そう読める普通小説のようでもある。
恋人のモラハラや結婚相手の実家の昭和的価値観の押し付け。怖いというよりは不快。ただ、とくに後者の、相手の人権を無視して「家」(「たいした家名でもない」のに)を優先しようとする時代遅れの異常な価値観を、本人たちがおかしいと自覚していないせいで意志の疎通ができないのはたしかにホラーだと思った。
あとの方の収録作は読後感が爽やかなのが多い。
ルッキズム。女は子供の頃から外見を評価される。しんどそう。
「人をだしぬいて、蹴り落として、選ばれようとする。醜い。恋する女は醜い。でも、だったら、みんな醜いのなら、もう怖くない」
今はどうだか知らんが俺の頃は高校まではメイクは校則で禁止、なのに大学進学や就職すればメイクは常識、必須。学生の頃は門限を守らせるのに何年か経って20代後半になれば恋人は、結婚は、と親に言われる。すごい矛盾。
この本を読んでる最中、何年か前にある政治家が失言して炎上したあと、記者の前で「(失言について)妻や娘にも叱られた」と謝罪したのを思い出した。それを見て、公の場でそんな内輪の話をすんなよ、と思うのと同時に禊を済ませたようなムードが漂っているのに違和感があった。
これって妻や娘を下に見てるからこその発言なんじゃないか、と。
下に見ている女性たちから叱られることは男として恥ずかしいこと、その辱めを受けたのだから世間の人たちも勘弁してよ、というニュアンスの家父長的価値観。
チャッピーに質問を投げてみた。
すると、「妻や娘に叱られた」という発言は、
・自分は孤立していない
・身近な人間関係では制裁を受けた
・家庭内で”弱い立場”になった
という情緒的な免罪符として機能している。反省そのものより「もう罰は受けましたよ」というアピール。
そこには家父長的価値観も入っている。もし妻や娘を自分と同等の立場だと思っているなら「妻や娘に叱られた」は恥でも免罪符でもない。「身近な人からのフィードバック」に過ぎない。
同時に、この発言には世間の、とくに高齢男性有権者に対して「家庭的で常識的な老人」という親しみやすさの演出もある。つまり本心であるよりコミュニケーション戦略。ただしその戦略自体が家父長的価値観に依存している点は変わりない。
要約:「妻や娘に叱られた」という謝罪は、女性を下位に置く家父長的価値観が前提にあって初めて”罰を受けたアピール”として成立する表現であると考えられる。
チャッピーは質問の意図を理解してこちらが好みそうな方向へ答えをもっていく傾向があるように感じるので一概に肯定はできないけれど妥当な解釈ではないかと思う。
本の内容と直接は関係ない話だけど、ほかに書く機会もないのでここに感想とつなげて書いておく。
山吹静吽『迷い家』
大戦末期の東北が舞台。神隠しから民俗ホラー的な話になっていくのかと思いきや、ダンジョン探索RPGみたいな展開になって驚いた。文章が重厚なので軽い感じはしない。立ちはだかる怪異がのっぺらほう、雪女、天狗など古来の伝承伝説でお馴染みの顔ぶれなのが逆に新鮮だった。
北上秋彦『死霊列車』
ゾンビもの。はじめはゾンビが脅威だったのが後半は人間との戦いになるのはこの手のパニックホラーでありがちな展開。鉄道(ディーゼル車)を利用して移動するのが変わった趣向で面白い。黒幕である科学者の思想が薄っぺらく残念。
宮澤伊織『裏世界ピクニック』
くねくね、八尺様、きさらぎ駅、時空のおっさんなどのネットロアが怪異として登場する。2000年代後半から2010年代前半頃、洒落怖を読み漁っていた当時が思い出されて懐かしくなった。それぞれに著者独自の解釈が加えられており、掲示板の書き込みではなく小説という形式で書かれたからこその解像度の向上だなあと楽しかった。
内容も面白いし文章もいいので一日で読了。キャラ同士のかけ合いも楽しい。空魚と鳥子の関係性が、空魚の肝心な気持ちを迂回するように書かれていて、だからこそ想像力を刺激されるし、第四話で鳥子を探しにいく過程で、空魚が自分の中で彼女がどれほど大きな存在になっているかを自覚していく叙述はグッときた。不在だからこそ鳥子の存在感が増すというか。
ネットロアの形式で現出するから異世界とはネット空間みたいな場なのかなと思ったけど違っていて、小桜によると異世界は、人間の感覚器からの入力信号をバグらせ、脳の恐怖関数を経由して認知を歪ませる場であると推測される。敷衍すれば心霊スポットと呼ばれる場所も、社会的な要因や気圧や化学物質によって人間の神経系を誤作動させる時空間なのかもしれない──この説はSF的でソラリスを連想した。
以前はてブで知って読んだ著者のインタビューには感銘を受けた。
坪内祐三『文学を探せ』
先に進むほど面白くなっていくので一気読みした。
リアルな言葉としての文学を探して。江藤淳の庭師、書評をめぐる大江健三郎と平野謙のやりとりが印象的。前者は文字/本の外部にも存在する文学を、後者はかつて書評がどれほど真剣に書かれていたかを示す。たった一箇所の誤読でも責任をとって書評委員を辞める、それほどの緊張感で書評が書かれていた時代があった。
終盤、怒りが増していく。閉じた業界内でのポトラッチ的書評や、「正しい」が「正確」ではないジャーナリズムの言葉に対して。そこからヤスケン、暴力被害、実家の競売と展開が加速していく様子はまるで破滅型の私小説のよう。
春日武彦『自滅帳』
自滅的な小説の感想とそれから連想される著者の記憶が並行して展開する文芸評論とエッセイの中間のような構成。自滅とあるけれども紹介される本の全部がそうとも言い切れない。自分には、魔が差してしまった人たちの話と思えた。
「わたしにとって常に関心があるのは「連想」という心の働きである。いや、連想するときのイメージの飛躍距離に興味がある。距離が短すぎれば、それは当たり前・月並みということになる。距離が遠すぎれば、もはや意味が分からない。そこそこに遠い距離だと、ときに意外性や詩情、発見や驚きが生じる」
「他人の連想を自分のものと比べたり玩味してみるのはきわめて妙趣に富む作業ではないだろうか。もしかするとそれは現代詩を読む楽しさに近いかもしれないとさえ思う」
小説を読んでいると全然本筋と関係ないような文章から思いがけない記憶の断片が突然蘇ることはままある。小説を読む醍醐味の一つと言っていい。それが黒歴史的な記憶だと意味不明な言葉を叫びながらのたうち回りたくなる。読書ー想起のメカニズムは不思議だ。小説を読むとは自分の過去を読むことなのかもしれない。
2025年1月に春日先生のトークイベントに参加した。イベント後にサインを書いてもらうとき、『自殺帳』がすごい面白かった、と声をかけたら破顔されて、今『自滅帳』って続編を書いている、と答えてくださった。刊行以前の話だったのでネットに書くことじゃないな、と思って以下の記事には書かなかった。今ならいいだろう。
hayasinonakanozou.hatenablog.com
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Alt236『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』
リミナルスペースについてのまとまった論考。帯に恐怖とあるがむしろ不気味さ・得体の知れなさに着目して映画、ゲーム、アート、漫画、インターネット、歴史、廃墟などと絡めながら述べていく感じ。硬く、ペダンチックな文章で読むのは結構つらくところどころ読み飛ばした。読みものとしての面白さは微妙だったが資料集としては貴重。
サイレントヒル、ICO、キリコ、ホッパー、デビッド・リンチ、キューブリックなどが絡めて紹介される。ツインピークスのロッジやシャイニングのホテルはたしかにリミナルスペース的だ。
駅、空港、学校、病院、映画館、ホテル、ショッピングモール、学校、プールなど本来大勢人がいるはずの場所に人がいない。その寂しさがメランコリーを誘発する。自分はリミナルスペースにノスタルジアは感じない。心細さはある。終末の予感とも通じる。不思議なのは無機的な人工物の中にいないと惹起されないこと。山の中や海辺に一人きりでいても寂しさやメランコリーは感じない。鳥の声や波の音を聴けばむしろ心は晴れ晴れとしてくる。リミナルスペースとは都市に特有の空間なのだ。
リミナルスペースの隆盛に寄与しているのはインターネットだろう。CGによる創作やSNSへの写真投稿。#リミナルスペースでXを検索すると色々な画像が出てくる。

リミナルスペース感がありそうと思いGeminiでホッパーのナイトホークスから人物を消してみたが、微妙だ。
過去に撮った写真からリミナルスペースっぽいのを探してみた。

都内某ホテルのエレベーターホール。不気味どころかとても居心地のいい素敵なホテルだった。要は環境じゃなく見方の問題なのだ。
朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』
推し活と陰謀論と中年男性の孤独について。
旬のテーマを取り上げてなお物語として面白いのがすごい。
同じ中年男性である久保田のパートを身につまされながら楽しく読んだ。
「もう五十近い男がネガティブな感情を吐露したところで、相手を困らせるだけだ」
「今から新しいコミュニティに入ったとて 鬱陶しがられるだけだろう」
「今の時代、どんな話題でもおじさんに発言権はない」
「人生の〝本題〟なんて、すぐに終わる。育児も仕事も、手が離れてからが長いのだ」
「年齢を重ねれば重ねるほど、家族ですら運命共同体ではないことを実感させられる」
「雑談って多分、ケアなんですよ。内容がどうっていうよりも、相手とかその場自体をケアするものなんですよね。父親にはそういう精神がないっていうか、そういうのを身につける機会がなかったんだろうなって」
「中年期の男性は孤独に弱い傾向にあります。あと、これまでの人生における後悔。この二つを刺激する物語には、特に呑み込まれやすいんです」
久保田がカフェで若い男性アイドルと会話するシーンは、かつて読んだことのある、中年男性がなぜ孤独になるかについての本の内容と重なる。酒飲むんじゃなくて昼間カフェでおしゃべりできるような友だちはいるか、と尋ねられて、いると返答できる中年男性はどれほどいるだろう。ちなみに俺はいない。
ファンダムに対する企業のマーケティングやSNSのアルゴリズムを攻略してトレンドになる方法などの蘊蓄部分は(どの程度妥当かはさておき)読んでいて楽しかった。
離婚し、会社ではうだつの上がらない中年サラリーマンの久保田。
政治的正しさを求める周囲の空気に疲れ、一つでいいから信じられるものが欲しいと切望する大学生の澄香。
推し活を通じて知り合った職場の同僚だけが人間関係のすべてである非正規雇用者の絢子。
みんな寂しいのだ。毎日しんどいのだ。だから神に助けを求めて縋るように、自分が信じたい物語に縋って生きている。
hayasinonakanozou.hatenablog.com








