藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ってきた

登戸にある藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ってきた。

 

長くなるので先にこれだけ書く。

藤子・F・不二雄ファンまたはドラえもんに思い入れがある(あった)人ならかなり楽しめるので行ってみるといい、と思う。自分はかなり楽しめた。

以上。

以下は自分語りと訪問レポート。

 

 

自分の人生でもっとも影響を受けた創作者は? と誰かに訊かれたら藤子・F・不二雄ドストエフスキーだと答える。その両者なしに自分は今の人格をしていないだろう。知らずにいたら今とは異なる人格になっていただろう。後者の作品に接したのが二十歳過ぎてからなのに対して前者の作品には小学校低学年の頃から親しんでいた。だから人格形成に影響を受けた、フィクションにハマった経験としては藤子・F・不二雄がもっとも強いと思われる。少年期に受けた影響はその後の人生まで尾を引くものだ。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

だが、じゃあドラえもんを筆頭に、藤子・F・不二雄作品から具体的に何を学んだのか、と問われると咄嗟には答えに窮する。何を「学んだ」? 影響を受けるイコール学習でもないと思うが、強いて言うならおそらくは趣味を教えられた。ユーモア、ギャグ、SF的センス(タイムパラドックスパラレルワールドなどの概念)、オカルトやホラー*1、異質な他者(主に異星人)との友好、エロ*2エコロジー的思想*3、それに基づく科学万能主義への懐疑…など。「結婚前夜」やおばあちゃんの話などの感動系はあまり好きではなかった。笑いで締めてくれるエピソードの方が好みだった。

 

たぶん自分という人間の思考や趣味の土台として藤子・F・不二雄作品──というかドラえもん──はある。

…と言っても、今はもう手元に、当時集めていたてんとう虫コミックスは一冊も残っていないのだが。

あるのは電子版の『TPぼん』全巻と『SF短編全集』全巻のみ。

 

今年46歳になる独身中年がドラえもん藤子・F・不二雄について、リアルで何かを語る機会はまずない。そんなことを大真面目にしていたら傍目に見て変人だろう。

ミュージアムの存在は知っていたけれど客層として子連れのファミリーをメインに想定しているだろう場所と思われ、おっさんが行ってどうなる、との思いがあった。俺には「大きいお友達」になれるほどの胆力はなかったから。

 

SFマガジン2023年6月号の特集は「藤子・F・不二雄のSF短編」だった。

それを経由してだったか、ミュージアムでSF短編の原画展を期間限定で開催していると知った。全作品解説を読んで触発され、DMMブックスのセールでまとめ買いしたものの積んでいたSF短編全集の拾い読みを始めた。

ミノタウロスの皿』『カンビュセスの籤』『流血鬼』『絶滅の島』『宇宙船製造法』『山寺グラフィティ』…読み返してみて、どれも名作だと改めて思った。常識を揺さぶってくる。情動を刺激してくる。

タイミングだ。

原画展に行ってみたくなった。

なので行くことにした。

 

 

行くにあたって調べたのは公式サイト。今年で開館12周年とのこと。

fujiko-museum.com

入館は日時指定制。そのためミュージアムで当日券を買って入館することはできない。入館後の滞在時間の制限はない。

チケットは公式サイトから購入する。QRコードによる電子チケット。大人1000円。展示内容を考えると個人的にこの入館料は破格だと思う。

アクセスは小田急登戸駅から直通のバスが出ている。改札を生田緑地口方向へ出て南武線乗り換え口の方へ行く途中にドラえもんの小さい銅像がありそこからエスカレーターで降りるとバス乗り場。ミュージアム専用のラッピングバスなので子供たちに混じって乗るのに少し勇気が要った。大きさは一般的な市営バスと同じ。運賃大人220円。乗車時にICカードをタッチするとその場で引き落とされる。現金支払いも可能。乗車時間は10分から15分程度。

 

バスの内装が凝っている。降車ボタンがドラえもん仕様(直通なのでこのボタンは押さなくていいのだが押すとちゃんと点灯する)。ドラえもんの「それじゃあ、ミュージアムで」の広告? にテンションが上がる。どこでもドアで一足先に現場で待ってるよ、的な。

 

 

自分が行ったのは金曜日。藤子・F・不二雄に思い入れがほとんどない女の人が同行した。土日祝と比較するとだいぶ空いていたのではないか、と思われる。ストレスなく展示をじっくり見ることができた。

 

入館前にスタッフから館内の説明がある。原画等の展示物は撮影禁止、屋外のオブジェは撮影可。順路はない。入ってすぐにドラえもんの原画展示がある。50年の歩み。連載初期のドラえもんはそれなりに等身が高かった。あとあんまりかわいくない。だんだん丸っこくなっていった。小学館学年誌、小学1年生から小学6年生まで全誌に連載していて、学年が上がるにつれキャラクターたちの等身を高くし、恋愛や社会に関するテーマを扱うなど書き分けていたという。

 

大長編ドラえもんに特徴的な見開きは映画に学んだとキャプションにあった。宇宙開拓史で知らない星に到着したドラえもんのび太がガレージのような場所から外へ出ると一面の荒野、空には月が二つ、あの印象的なシーンを久しぶりに見て懐かしい気持ちに。宇宙開拓史、大魔境、海底奇岩城、魔界大冒険、宇宙小戦争、鉄人兵団…どれもすげー面白かった。あの頃がF先生の脂が乗りまくっていた時期ではないだろうか。それともその頃がちょうど俺の感受性マックスの時期だっただけか?

 

展示されている原画のエピソードのすべてに覚えがあってよく読んだものだとわれながら感心した。

 

創作年表を見ながら、自分がドラえもんを「卒業」したのはいつだっただろうと考えた。「日本誕生」は単行本(大きくて白い単行本)を買った記憶があったが「アニマル惑星」以降は知らない。日本誕生のコロコロコミックの連載が89年の3月まで。それは自分が小学校を卒業した年だった。小学校卒業とともにコロコロコミックドラえもんも卒業し、中学生になってからは少年ジャンプを読むようになった。背伸びしたい思春期の少年にはドラえもんを読んでいるのは幼稚で恥ずかしい、との思いがあったかもしれない。以降コミックスを買うことはなくなった。代わりにドラゴンボールダイの大冒険幽遊白書聖闘士星矢を買うようになった。これまで読んでいたのと違う漫画の世界に夢中になった。

 

F先生が亡くなるのが97年の9月。19歳だった当時の自分が訃報をどう受け止めたのか、今はもう覚えていない。その死に何を思ったのだろう? ドラえもんのコミックス最終巻が45巻だと知ったのは今このエントリを書いている最中に調べたからで、それすら知らなかった当時の自分は比較的冷静だったのではないか、と推測される。何巻で終わろうとドラえもんという作品に終わりはない、あの世界は永遠に続く日常の感じがある。最終話なんてピリオドは『ドラえもん』という作品にはなくていい*4。もともとの設定的にはのび太たちは1960年代生まれ、ドラえもんの舞台は1970年代の練馬区とされている。

 

通路に、「神様」手塚治虫によるドラえもんが描かれた色紙が展示されていた。藤子不二雄漫画家生活25周年を記念してのものらしい。そう、この人への憧れから藤子不二雄が生まれたのだった。

 

俺の中でドラえもんという作品は思い出補正込みで特別な地位を占めている。すでに述べたように自分の人格形成に大きな影響を受けた漫画だけれど今はもう現役ではない。少年の頃夢中になったレトロゲーム(プレイ当時は最新ゲームだったのだが)が、語る際にはその素晴らしさを称揚するものの、今プレイしてみれば最新ゲームのUIに慣れた身にはつらくてとてもプレイを続けられない、それと同じような、思い出として語るときその存在感を最大に発揮する、そういうものになっている。だからこのミュージアムドラえもんと再会することは、すなわち少年だった頃を思い出してノスタルジーに(心地よく)耽る、という甘美な時間を過ごすことだった。自分は幼く、両親もまだ若く、未来なんて何も知らなかったあの頃を…。

 

なのに屋上広場でドラえもんのオブジェ(本エントリ冒頭の写真)と並んで写真を撮れば、そこに写っているのは紛れもなく中年のおっさんで、それがちょっと堪えた。「劇画オバQ」の痛切さを身をもって知った…。

 

…とか言いつつ実際はすげー楽しんだんだけどね。はしゃいで写真撮りまくったけどね。

 

野比ジオラマ、ちょっと間取りが違うような
原作だと押入れが手前、左側に廊下があって両親の寝室も2階にあったはず

 

これ最初何だかわからなかった 
天地逆だがたぶん宇宙開拓史だろう

 

雲がない夜には元に戻って動き出すのだろうか

 

天女の羽衣の挿話好き

 

ひみつ道具から三種の神器を選ぶとしたらタイムマシン、どこでもドア、もしもボックスではないだろうか

 

隣に座りたくなる
キテレツはほとんど知らない

 

これは買ってしまう
旨かった

 

カフェで一服

 

2階にシアターがありここでン十年ぶりにドラえもんを視聴。SF短編「宇宙からのオトシダマ」をドラえもんの登場人物に改変したエピソード。(俺にとって)新しい声優の方々によるドラえもんを見たのは初めてだったが違和感は微塵もなく。

 

SF原画展目当てで来たはずなのにドラえもん関連の展示でかなり満足してしまった。思い出がありすぎるせいだ。

 

美術館や博物館で展示を集中して見られるのはせいぜい1時間程度。それを過ぎると意識が散漫になる。精神的疲労を覚える。今回SF原画の展示室に入ったときの俺がその状態。『ミノタウロスの皿』『カンビュセスの籤』の原画を見ながら短編を知らない同行者にストーリーを(他の客の迷惑にならないよう小声で)聞かせていたのだが、疲れてきて億劫に。というか長い話じゃないんだから俺なんかが拙い説明するより現物を読んでもらったほうが早い。漫画も小説も映画もストーリーの説明では伝わらない部分(絵、表現、構成、行間や間など)にこそ凄みがある。

入口に限り撮影可だった

 

写真は撮れなかったけれどF先生の書斎を再現したジオラマがかなり見応えあった。蔵書が物凄い。本棚がフロアを突き抜けており上の方は背表紙が読めない。手塚治虫作品は当然あった。CDラジカセはシャープ製。古今亭志ん生のCDがたくさん。ファンで漫画のネタにもしているという。

 

どこかでどなたかのレポートを読んだら2時間ほどで回れるとあってそのつもりでいたが実際行ってみたらとんでもない。カフェでの休憩やお土産購入の時間も込みだが4時間滞在していた。原画見て、キャプション読んで勉強して、年表見て、写真撮って、お土産買って…とやることがかなり多い。SF原画展が駆け足になってしまった。ドラえもんの原画展示にたぶん1時間くらいいたので同じくらいの時間をかけていたらもっと時間がかかった。結構疲れたが、出るときかなり満足感、充実感を覚えていたのでいい疲労だったんだと思う。予定ではミュージアムを出たあとはすぐ裏の生田緑地を散歩するつもりでいたが時間がなく断念。

お土産はマグカップ(ドリップコーヒー付)とお皿

 

帰りもバスで登戸駅へ行き小田急で新宿方面へ。小田急に乗ったのは十年以上ぶり。かつての職場が沿線で、当時は祖師ヶ谷大蔵のアパートに暮らしていた。もう25年も昔の話だ。当時住んでいたアパートが今もあるのをGoogleマップで知り、せっかく近くまで来たのだから途中下車して見て行こうかと思ったが連れがいるので止した。

 

 

*1:「魔界大冒険」のメデューサは怖かった

*2:頻繁なパンチラとヌード

*3:「さらばキー坊」「森は生きている」など

*4:「最終回」都市伝説とは何だったのだろう?