自己啓発について。『スペクテイター<51号>自己啓発のひみつ』と『闇の自己啓発』を読んだ

 

 

『スペクテイター』でのインタビューで真鍋厚さんは自己啓発の定義について「身体やメンタルといった自己の能力について、自主的な向上を目指そうとする考え」だと答えている。

その方向性は二つ。一つは社会的成功のため。もう一つは自分の主観的な幸福度を上げるため。自己啓発の種類によっては両方を目指すケースもある。

 

自己啓発(書)の歴史は長い。福沢諭吉やフランクリンに始まり現在まで続いている。

現代における自己啓発は多種多様だ。ポジティブシンキング、片付け、筋トレ、マインドフルネス、FIRE、腸活、ウェアラブル端末による健康管理など。こうすれば稼げる、儲かる。あるいは幸せになれる。理想の自分になれる。自己啓発書はそう謳う。

年間ベストセラーのランキングに毎回のように自己啓発書が入るのはそれだけの需要があるからだ。

 

現代社会は進歩や発展を宿命づけられている。だから社会で成功して勝ち組になるにはうまく適応できなければならない。そのためのヒントを、あるいは金持ちになるための、幸福になるための、人生の攻略本として人は自己啓発書を求める。

経済停滞が続く中で経済的に生活を防衛する金融関連のノウハウ(お得なクレカやキャッシュレス決済、ふるさと納税やNISAなどの情報)も一種の自己啓発だ。

筋トレやマインドフルネスによる心身の健康管理、維持向上は競争社会を生き抜くために必須だから人はそれに取り組む。

 

変化のスピードが早い現代は効率が優先される。コスパ、タイパという概念はこうした社会から必然的に生まれた。

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誌上では、かつては個人のストレスや不安の解消を家族や地域コミュニティが担っていたが、現代ではそれらが機能しなくなっており個人は自助で対応せざるをえなくなった、そのガイドとして自己啓発(書)が支持されると指摘している。

 

自己啓発の範囲はあまりにも広すぎるから完全に無縁だという人は多くないだろう。一方で、片付け(断捨離)すれば人生がうまく行く、みたいな発想はスピリチュアルと近接している。散らかった部屋を片付ければ物が整理され探し物が見つけやすくなり部屋が広くなる。不要品を売って収入も得られる。ハウスダストも少なくなる。結果、人生が好転するというパターンは可能性としておおいにありうる。それに問題があるとも思わない。いいことだ。だが原因を見誤ってはいけない。片付けによる超自然的な原因で人生が好転したのではない。上記の原因で好転したのだと正しく認識すべきだ。そこで超自然的な方向へメンタリティが向いてしまうと怪しいマルチやサロンに乗せられ餌食にされてしまうかもしれない。真鍋さんは最近の自己啓発はスピリチュアルよりエビデンス重視の方向にシフトしていると述べているが。

 

それにしても自己啓発(書)の胡散臭さって何に由来するのだろう? こうすればうまくいく、みたいなポジティブさが陰の者である自分には、どうも信用ならねえ、世の中そんなに甘くねえだろ、みたいなひねくれた疑念があるのかもしれない。

投資の話なんかもそうだけど本当にうまくいってる人が自己のやってることを安易に他人に教えたりするだろうか? 自分だけの秘密にしておくのでは?

俺には信じる心が足りないのか。勝ち組になりたい欲が希薄なのか。だから独身中年で今も実家暮らしなのか。ただ、2011年の震災後無職になって1年近く就職先が見つからなかった時期に掃除を一所懸命にやったら、結果的に人生がうまくいった経験があるのでそれは自己啓発というか、よき生活習慣として今でも続けている。

 

『スペクテイター』の特集は担当した編集者も自己啓発に無関心だったようで距離を置いて客観的に自己啓発ムーブメントを見据えている。ただ肝心の特集の切り口がいまいち。面白く読めたのは「はじめに」の漫画と真鍋さんへのインタビューくらいであとは流し読み。

 

 

上で述べたような一般的な自己啓発を、人を「社会に都合のよい「人形」に変えていく」プロセスと批判的に捉え、逆にどこまでも「個」であり続けるための「闇の自己啓発」=読書会の記録がこの本。タイトルがいい。感想はブクログから引用する。

45歳の自分よりもっと若い人向けの内容との印象を持った。話者たちも自分より一回り以上年下の方たちだし。ブックガイドとしては文藝2021年春号の同会による「精神と身体改造のための闇のブックガイド」の方が有用だった。

 

第一部のダークウェブ、管理国家、あとは映画『ジョーカー』に関しての雑談が面白かった。進むにつれ観念的なテーマになっていきついていけないので流し読みに。反出生主義やセクシャリティは自分には難解、それに対しての意見もとくにない…。

 

通常の自己啓発が、「社会にとって都合のいい人形」に自身を改変していくことではないか? との疑義は示唆に富む。社会や政治に問題があるのにそれをいわば自己責任的に解決するための手段としての自己啓発ライフハックという面。
それに対して徹底的に「個」「自己」であり続けるための、世間を変革するための、「常識」や大きな存在に対抗するための読書(会)=闇の自己啓発

 

本書を読んで思った点は二つ。
一つは読書の重要性。反出生主義の章で話者の一人が、「生まれてこなければよかった」へのアンサーとして「もっと本を読むべきなんだ」と発言する場面は感動的ですらある。
もう一つは他者の存在。読書会でなくてもいい、ワイン飲んでメシ食うだけの集まりでもいいから、どこか根っこの部分で通じ合う他者と顔を合わせ会話する、意見交換する、のは社会への違和や生きづらさに対する対処になりうる。なんでもそうだが(仕事でも)一人でできることはストレスフリーという長所があるもののやはり限界があるとの思いを強くした。本書も複数人だからこそ会話が深まっていった面がある。

 

それにしても自分は、独身中年であるにも関わらず生きづらさをあまり感じず生きているのを本書を読んで自覚した。世の中がひとりものに対して寛容になってきているのもあるだろうが、生きづらさって加齢とともに感じなくなっていくところもある。歳をとると鈍感力が増すから。なぜ若い頃はあんなに他者を過敏に意識していたのだろう、と我ながら不思議になる。それこそ洗濯物干すのにだって下着を見られたくないとか考えて干してた。今は何とも思わない、誰がおっさんの洗濯物なんか気にするかよって思う。
人はどうでもいい他人のことなんて全然見ていない。俺だって見ていない。そのことを知識としてではなく感覚として身につけるにつれ生きるのが楽になっていった。それは生きていく過程で身につけたもの。生きづらさに対する答えのひとつは、だから生きていけ、じゃないかと中年の今は思う。問題の根本解決はしないかもしれないが問題が深刻でなくなるケースはありうる。付き合い方も上手くなる。

 

後半になるにつれかったるくなっていった印象。長々と文献から引用しながら喋ったり、これ喋ってたのか? 後から書いたのでは? と思ってしまうほど。そういう硬い語りだとどうも日常性に乏しく、トークである意味あるのかな、という疑念が。最初のあたりはよかったんだけど。

似たような、世の中のあれこれについてのトークの記録として『ブラスト公論』って本があって、こちらはかなり笑えてしかもためになる。「おっ」と思う着眼点がある。今となっては古い時事ネタが多いが。

紙の本は分厚すぎるので電子書籍推奨。俺としては『ブラスト公論』のゆるい調子の方がシリアスめな『闇の自己啓発』より好ましい。

 

話者の一人が自殺未遂について話している。他のメンバーにも生きづらさや強いストレスがあるようだ*1。それへの対処としての読書会。俺自身の生きづらさへの対処、俺の「闇の自己啓発」は「何も考えずただ生きる」。今日だけ生きることを考える。あとは「他人と比較しない」、「無理しない」、「ひたすら寝る」かな。闇でもなんでもないな。

 

 

 

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俺の自己啓発の記録。

 

 

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すぐ挫折したが。

 

 

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phaさんの本も自己啓発書といえるだろう。

 

 

*1:174頁の話者それぞれが不調を語る箇所には辟易