西牟田靖『本で床は抜けるのか』を読んだ

 

蔵書整理に関する本。

タイトルになっている疑問に関しては最低でも1000冊から心配すればいいようなので紙の本の蔵書が400冊以上500冊未満*1な自分はとりあえず心配しなくてもよさそう。まあ同じ冊数でも大型のハードカバーと文庫本じゃ重量が全然違うから一概には言えないが。

 

木造アパート2階の2LDKに5000冊から6000冊の本を置いていたら地震の際に床が抜けた体験談が出てくる。賃貸住宅だと万が一床が抜けた場合損害賠償を請求されるようで(当然だが)かなり面倒かつ痛手になりそうと思った。阪神・淡路大震災では全死亡者の1割にあたる約600人が本棚などの室内家具が倒れてきたことが原因で亡くなったという。

 

インタビューの相手はライターや大学教授など本を資料として必要な職業の人たち。所有したくないからと本を読んだ端から手放す人、電子化に移行した人(親本の刊行は2015年で今ほど電子書籍が身近ではなかった様子が窺える)、書庫を作った人など様々な話が聞かれる。専門家たちの蔵書整理及び管理方法の話ばかりなので自分のような一介の本好き・本読みは参考にするというより知らない世界を覗く好奇心で読んだ。

 

壁全面の本棚に対する憧れ、10代20代の頃はあったけれどもう俺も45歳、所有欲より身軽でありたいとの思いが勝るようになった。物が増えると管理の手間も増える。紙だから埃の問題もある。お気に入りの本も経年で歪んだり、褪色したりする。結構希少な本を何冊か所有しているので以前はちょっと自慢に思うところもあったけれど中年となった今は別に…。

 

もともと自分はたくさんの物に囲まれていたいというタイプじゃない。むしろ所有物を減らしてシンプルに暮らしたいタイプ。実際、部屋は本を除けば物は少ない。テレビ、ブルーレイプレーヤー、Switch、iMac、コンポ、空気清浄機、ベッド…家具家電はその程度。服も、私服を制服化しているから*2多くない。本がなくなれば部屋はかなり殺風景になるだろう。

 

2年くらい前から目のピントが微妙に合わないか合いづらいような違和感があったが今年あたりからいよいよ老眼が始まったな、との実感あり。老眼になると紙の本よりフォントサイズを自由に変更できる電子書籍の方が読みやすくなる。ただ国書刊行会の本など素敵な装丁のハードカバーは電子だと味気ないので紙で所有したくなる。内容を読むのが主目的の本及びコミックは電子、内容に加え物として魅力的な本は紙、今自分はそんなふうに区別して購入している。

 

昔は電子書籍に2000円出すのは躊躇いがあったがいつからかなくなった。でも3000円となるとまだ躊躇う。電子書籍は所有ではなく読む権利を買っている、という契約上の問題が引っかかる部分もある。自分の電子書籍の9割がKindleだがアマゾンのサービスの永続性をどこまで信用できるか怪しいと思っているのでリスク分散として近頃はDMMブックスも使うようになった。eインクのkindle Paperwhiteは目への負担が少なくていいがページ送りが遅い。だから動作がサクサクなipad miniと読む本によって使い分けながら併用している。

 

本書の醍醐味は著者の蔵書が原因で離婚にいたるというドキュメンタリー部分にある。おそらく経済的な事情や家事・育児分担の問題が先にあり、増え続ける蔵書はとどめの一撃だったのだろうが。著者なりに家族のために努力していたとあるが奥様の声は書かれていないので判断のしようがない。俺としては、かつて著者がシェアハウス時代を振り返って他人の蔵書について、

本来なら空いているはずの空間が、他人に侵食されていく日々をもう二度と味わいたくない。他人の荷物で、使える場所が使えないということに耐え続ける日々というのは、慣れはするが、知らず知らずに心理的疲労が蓄積していくのだ。

と書いているにもかかわらず同じことを今度は自分が家族と暮らす家でやってしまってせっかくの体験を活かせていないのに人間の悲哀を見る。これは何も本に限った話じゃなくて、趣味の物でも思い出の品でも創作物でも、とにかく共有の生活空間が他人の物に占拠されるにつれ同居人の心理的な圧迫感が増すのは、所有物が所有者その人の身体の延長に感じられるせいだろう。存在の一部と言ってもいい。ある心理学者いわく「私の物」と呼べる物がその人のパーソナリティを形成している。だから他人の物であっても捨てたくなる気持ちがわかるし、捨てられた方がそれでおかしくなるのもわかる。

 

以下はブクログに書いた感想。

蔵書で床抜けの心配をするのは1000冊からのようでまず一安心。木造の二階が自室だが蔵書は多分400から500冊程度。定期的に売ったり捨てたりして増えすぎないようにしている。

 

物を増やすのが嫌で最近は電子書籍で買うことが増えた。装丁のいい本を所有する喜びはあるが。津野海太郎は老眼が亢進する高齢者はフォントサイズが変更できる電子書籍おすすめ、と書いていた。垢BAN食らうリスクはあるものの、それを言ったら紙の本には火事や水害のリスクがある。経年劣化によるヤケや歪みもある。

 

著者はうだうだ書いているが妻子がいて1000冊を越える蔵書を広くもない賃貸住宅内に置こうというのが間違い。さっさと電子化した方がよかった。とはいえ10年以上前の執筆当時は現在ほど電子書籍は便利でなかったかもしれないが。「紙の資料でないと執筆できない」って、そうか? PCで複数画面が同時展開できる電子資料の方が利便性高い気がするが。検索も早いし。もっとも、これは「すでに読んでいる資料」に限られるかもしれない。電子書籍の話題になるたび「電子は読みにくい、紙の方がいい」と何度も繰り返すのにうんざりした。

 

ただの本読みとしては書庫への憧憬はない。本が多いとなんか体が重くなって身動きしにくくなるような圧迫感、息苦しさを覚える。引っ越すときの箱詰めのだるさ、運ぶときの重さ。壁一面(全面ではない)の本棚が一棹、500冊も蔵書があれば(電子は場所を取らないので何冊でもいい)十分。俺もいい中年。生活はシンプルに、50歳になったら徐々に物を減らしていきたい。本書だと大野更紗さんの感覚が近い。内澤旬子さんの境地には至れていない。

 

故人の蔵書を売却しようと見積もり依頼した古本屋が蔵書を盗もうとしたとの話に、先日読んだ『時が止まった部屋』の火事場泥棒が重なった。人間のクズ。

 

「本で床は抜けるのか」を調査するうち蔵書が原因で妻に離婚を切り出され「最終的には床どころか、彼の人生の底が抜けて」しまうという悲哀のラスト。仕方がない。蔵書による居住スペース圧迫の問題もあるだろうが、妻からすれば著者の稼ぎや家事育児へのストレスも相当あったのだろう。著者は相応にやっていたと述べているが妻には妻の意見があったのだろう。

 

俺は書庫なんていらない。書庫よりアメリカの映画に出てくるような広いガレージが欲しい。

 

 

 

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*1:電子書籍も同じくらい

*2:こういうライフハック自己啓発だよな