笠井恵里子『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』を読んだ

 

物が散乱しているとか床が見えないとかいうレベルじゃない。ゴミが堆積して層をなしエアコンの高さまで埋まってしまう、玄関までみっしりとゴミが詰まり掻き出さないと部屋にすら入れない、それくらいのレベルのゴミ屋敷のルポ。部屋や家をゴミで埋め尽くすには無論その広さにもよるが、20年30年の年月がかかる。ゴミで埋もれてトイレや風呂は使えなくなるからペットボトルやビニール袋に排泄するし、ゴキブリやコバエやダニがゴミ山から発生する。不衛生極まりない居住環境。夏場でもエアコンが使えない(そもそもリモコンがゴミの中に埋もれてしまって見つからない)。特殊マスク越しでも嗅覚を刺激するほどの悪臭。本書で紹介されるゴミ屋敷の様子には凄絶という言葉しか出てこない。そういう環境の家で孤独死する人たちも多々いる。

 

本書の著者は清掃業者として働いて本書を書いた。すごい根性。現場レポートを読んでいるとかなり過酷な仕事なのが伝わってくる。肉体的なしんどさだけでなくメンタル的な負荷、そして不衛生な環境ゆえのリスクがある。著者の同僚は作業中に釘を踏んでしまい、おそらく破傷風だろう、足を切断せねばならなくなった。ゴミ屋敷とはそんな危険な場所であるのだ。

 

ゴミ屋敷の住人の大半は「ためこみ症」という精神疾患であるか、または強迫症の一症状として「ためこみ行動」をしている。そのほか、うつ病になり物を片付ける気力を出せないまま長い自宅療養のうちにゴミ屋敷化する、というケースもある。それにしても、カビの生えた服だとかボロボロになった何年も前の雑誌や新聞とか、どう見てもゴミとしか思えないものにも執着して捨てられないというのはちょっと自分の理解を超える部分で、これが病いなのか、としか感想が出ない。本書に登場する精神科医によれば人口の2〜6%、20人に1人は「ためこみ傾向」があるという。ためこみ症が病いとして注目されるようになってきたのはここ10年ほど。ゴミ屋敷の増加は単身世帯の増加とも相関があると見られている。そして日本だけでなく海外でも同様の問題は起きている。現代日本だけの現象ではない。

 

意外なのが、こういうゴミ屋敷に暮らすのは「ホームレス一歩手前の社会から取り残された人」が多いのかと思いきや、大企業勤務者、医療従事者、教師など社会的地位の高い職種に就いている人たちもいることだ。本書に登場する、ゴミ屋敷で死体が発見された男性は年収1000万円のサラリーマンだったという。一つの部屋が埋まるほどプラモデルの箱を積み重ねていた。リモートワークをしている彼の家がゴミに埋もれているとは、同僚たちは気づいていなかったのではないか。そういう意味ではゴミ屋敷は孤立の問題でもある。伴侶がいたり誰かが定期的に家に来る環境なら荒廃しづらいだろう。…と思いきや、たしかにゴミ屋敷の住人には単身者が多いが、中には(義理の)母と子それぞれが一軒家をゴミ屋敷にしてしまったケースも登場する。母は年老いて施設に、子は行方知れずだという。

 

先頃読んだ『屋根裏に誰かいるんですよ。』という本は、患者の妄想を濃縮させる装置としての家に注目していた。また、外見からは中を窺い知れない不気味さは人も家も同じだとも。本書にも通じる部分で、ゴミ屋敷は外からはそうとわからない場合が多々ある。異臭がなく、カーテンが閉め切ってあれば外から中の様子はわからない。玄関のドアを開けて初めてその凄まじい荒廃ぶりが露見する。近所のごく平凡な家と見えたあの家その家が、実は中はゴミで埋もれているのかもしれないと想像すると、得体の知れなさというか、物を見る確固たる足場が崩れるような心許なさと慄きを覚える。人間の底知れなさを改めて思う。

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本書を読んで、実際のゴミ屋敷現場はどんなビジュアルなのか、清掃はどのように行われるのか、興味を持ち、YouTubeでゴミ屋敷清掃動画をいくつか見たが、物凄い量のゴミを見ていたら気が滅入ってきた。というか通して最後まで見られず途中スクロールした。膨大な量のゴミは人間の生きる気力を奪うところがある。どこから手をつけたらいいのかわからなくなって、もうどうでもいい、という気持ちになる人の気持ちもわかる気がする。

ためこみ症の人の物のためこみ方は、発達障害強迫症PTSDの人と違って、自分の心の中の穴を埋めるのに必死な部分があるという。しかし〝ためこみ〟では決して満たされない。だから底なし沼のように物をため続けてしまう──。

 

俺自身はあまり所持品が多くない。物への執着も弱いたちだと思う。震災の年だからもう10年以上前だが、無職になって一人暮らししていたアパートから実家に戻ってきたときに、元からあった荷物とアパートにあった荷物が合わさってかなり物が増えたため(無職で時間が有り余っていたのもあり)かなりの量を処分した。その頃、世間は不況で就活が全然うまくいかず、よく2ちゃんねるの掃除板を見ていた。掃除をすると運気が上昇する、みたいな、スピめいたレスに影響されて熱心に断捨離した。そのおかげとは思わないが無職になって1年後、今の会社に契約社員として入社でき、翌年正社員登用された。前職と比較して年収が大幅に上がり休日も増えたので幸運な巡り合わせだった。それから10年近く、掃除の習慣は今も続いている。着なくなった服やいらなくなった本はどんどん捨てるなり売るなりして物を増やし過ぎないように心がけている。休日には必ず掃除機をかけ、寝具を洗濯し、気が向けば床の雑巾がけもする。本だけが荷物で、といっても俺の蔵書はせいぜい400冊そこら*1なのでげんなりするほどの量ではないが、それでも10畳の部屋では本棚の存在感はある。若い頃から読書が趣味だからあるのはいいんだが、最近は数を増やしたくない気持ちが強く、紙より電子を選択することが増えた*2。50歳になったらある程度所持品の整理を始めるべきと本書では薦めており、自分もそう思う。高齢者になる前に、まだ体力も気力もあるうちに所持品の整理は少しずつはじめておいた方がいい。好みの問題だろうが、俺は物の多い部屋より、ミニマリスト的な、物の少ない部屋が好きだ。物が少なくて、清潔で、明るい部屋。そういう部屋で暮らしたい。死にたい。

 

*1:30年以上本や漫画を読んできて紙の本がその程度の量で済んでいるのはわれながらよくやっていると思う。漫画をほぼ全部電子に移行できたのが大きい

*2:電子書籍を含めると蔵書の数は1.5倍くらいになりそう