pha『持たない幸福論』『どこでもいいからどこかへ行きたい』を読んだ

『人生の土台となる読書』がよかったのでphaさんの本をさらに2冊読んだ。

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3冊を通じてphaさんの主張は一貫している。

社会の同調圧力より自分がしたいことや好きなことを優先しよう、大事にしよう。

孤立せず気が合う仲間とゆるやかにつながろう、自分の居場所を作ろう。

 じゃあ生きるにおいて本当に大事なことは何かというと、「一人で孤立せずに社会や他人との繫がりを持ち続けること」と「自分が何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるかをちゃんと把握すること」の二つだと僕は思う。

 

持たない幸福論

 

 ニートやひきこもりが働いていないことで抱える問題というのは二つあって、それは「お金がないこと」と「社会や他人とのつながりがないこと」だ。どっちも深刻なんだけど、僕はどっちかというと「つながりがないこと」をなんとかするほうに興味があって、働いていなくても友達や知り合いや居場所がたくさんあればそこそこ楽しくやっていけるんじゃないかと思っている。

 

『どこでもいいからどこかへ行きたい』

 

 

持たない幸福論』は世間一般で「普通」とされている人生へ疑いの目を向ける。就職して結婚して子供を持って家を買って定年まで勤める──それができて一人前の社会人だとする価値観が日本に広まったのは戦後のたかだか数十年前からに過ぎない。しかしその価値観は現代ではもはや高い理想像と化してしまっているのではないか。時代は変わっているのに古い価値観に縛られ続け、及ばない自分とのギャップに苦しんでいる人は少なくないのではないか。現状と合っていない価値観からは逃げてもいい。世の中に居場所はいくらでもある。

 

phaさんは述べる。

労働については働き過ぎるのも働かないのにこだわり過ぎるのもともによくなくて自分のペースで柔軟に働けるのが理想。家族という関係だけで人間が求めるものを全て何十年も満たしていこうというのは難しい。もっと柔軟でゆるい人と人とのつながりがあってもいい。お金がなくても毎日を楽しむコツや趣味はたくさんある*1。気の合う友人たちがいればお互いに助け合えるのでお金が多少なくてもなんとかなる。

 

phaさんは他人と自分を比べないことが幸福に生きる要諦だという。他人と自分を比べなくても平気でいるためには自分の価値基準をしっかりと持つことが必要になる。それを可能にするために重要なのが読書だ。「知識は人を自由にする」。多様な価値観が世の中に存在することを知ったり考えたりすることで世間と合わない自分であったとしてもそれを責めず肯定することができるようになる。さらに同じような友人たちとつながれれば孤立を避けられるからなおいい。

 

この本のいいところは押し付けがましくないところ。phaさんは自身のような生き方は万人に勧められるものではないとも、伝統的な価値観が自分にとって有用なら利用した方がいいとも述べる。それを選択するのは読者一人一人の価値基準次第。誰にも誰かの生き方を決めることはできない。自分で選択するしかない。

 今は古いものから新しいものまで、いろんな価値観やいろんな生き方が溢れていて選択肢がたくさんある時代だ。そんないろんな概念やシステムの中から、自分の状況に合うものを自由に選び取って柔軟に組み替えて生きていけばいい。「標準的な生き方」なんてものは存在しないし、標準的な生き方っぽく見えるのは単に多数派の持ってる価値観に過ぎなくて、多数派に乗っかるのは有利な面も多いけど、それが自分には合わない場合もあるし、多数派の生き方が絶対なわけじゃない。家族でも家族以外でもなんでも、孤独にならないためにありとあらゆるツールを利用して生きていけばいいんじゃないかと思う。

 

 

 

『どこでもいいからどこかへ行きたい』は旅または移動にまつわるエッセイ。日常に飽きたら用もなく安いビジホに泊まりたくなるというphaさん。泊まっても何か普段と違うことをするわけではない。普段行っているのと同じチェーン店やテイクアウトで食事を済ませ、部屋ではテレビを見たりネットをしたりして過ごす。停滞した精神に刺激を与えるためのちょっとした非日常。まったく同じことを自分もかつてよくやったしなんなら今でもやっているが*2だんだんと刺激がなくなり飽きてきつつあるのは加齢のせいか、泊まり過ぎたのか。それどころか最近だとちょっとした旅行や初めての土地へ行くのすら億劫に感じられてきて、どこか遠くへ行くより近所を散歩している方が気楽で楽しい…とまでなってきつつある。何十年も住んでいる土地でもちょっと知らない路地を入ったりすると新しい発見があったりして面白さは尽きない。コロナ禍で旅行から遠ざかっている(もう3年遠出していない)うちに旅行の仕方を忘れたというのもあるかもしれないが。

 

サウナにはまった話を読んでもう一年近く行っていないスパ銭へ久々に行きたい気持ちが出てきた。「ととのう」とかちょっとしたサウナブームが起きて以来人が増えたように思え、コロナ禍で大勢の他人と同一空間にいるのを避けたい気持ちもあり、以前なら休日は本屋・古本屋か映画館かスパ銭で時間を潰したものだがすっかり行かなくなってしまった。前の二箇所には相変わらず通っているがスパ銭の代わりとして近所や近場の低山を歩くことが増えた。

 

友人たちと3人で熱海に別荘を買った話が面白かった。世の中、うまい話はない。温泉が利用できる別荘はかなり魅力的だが所有するとなると経済的・心理的負担が大きい。それより都度ホテルに宿泊する方が一回の利用が多少割高になったとしても気楽そうではある。

 

 ひきこもりは別に部屋にこもるのが好きでひきこもっているわけじゃない。一日中部屋から出ないのも精神的にかなりキツい。だけどそれでもひきこもっているのは、いてもいい場所が他にないからだ。働く働かないとは別の問題として、家以外にもゆるく人に会って話したり、のんびり過ごしたりできる場所があればちょっとは楽になるだろうと思う。「社会や他人とのつながりがなくなってしまう」というのは別にニートやひきこもりだけの問題ではない。専業主婦や定年後の老人なども抱えてしまいやすい問題だ。

 要は、家族と会社以外にも、居場所になるような空間が社会の中にたくさんあったほうがいいと思うのだ。趣味の集まりでもネットの知り合いでもなんでもいいから、家族と会社以外で他者とのつながりを持つチャンスが生まれるようなゆるい場が必要だ。今の時代は家族も会社も昔ほど一人一人の面倒を見てくれるものじゃなくなりつつあるので、小さな居場所をたくさん街なかに作っていくことが大事なのだと思う。

社会的/物理的な「居場所」の重要性。橘玲さんは人間の幸福を規定する要素として「金融資産」「人的資本」「社会資本」の三つを挙げたがphaさんは社会資本を豊かにすることに意識的なように思う。

 

 

 

*1:お金がかからない趣味として料理と読書を挙げている

*2:自分の場合実家暮らしなので定期的に一人になりたくなりちょうど近場に綺麗で安くて便利な立地のホテルがあるので年に何度か泊まる