映画『朝が来る』鑑賞

TOHOシネマズららぽーと富士見にて鑑賞。観客は20人くらい。自分はこの映画をミステリーとばかり思っていた。養子縁組した夫婦の前に、子供の母親を名乗る女が突然現れる。しかし彼女は母親ではない。彼女は一体誰なのか、的な。予告を見てそう思ったのだがいざ見たら少し違った。むしろこの「母親」を名乗る女性の半生が映画の主眼であると見た。つまり主人公は彼女。予告はミスリードを誘っている。そして自分はまんまと引っ掛かった。

 

少女は本気で人を好きになった。でもまだ中学生だった。子供を育てることはできず、養子に出すしかなかった。いずれは姉と同じ有名な高校へ進学し、さらには一流大学へ進むはずだった。しかし妊娠が彼女の人生を大きく変える。かつて思い描いていた未来とはかけ離れた現実。厳しい現実。その辛さに耐えきれず、どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのかと叫べば、返ってくるのは「馬鹿だからじゃねえの」の一言。それでも、自分が人を好きになったことや、出産をした過去を、なかったことにはしたくなかった。そのディレンマゆえに苦しんでいるとも見える。恋人を失って、子供も失って、未来も失って、だから年を経るごとに彼女からは笑顔が失われていく。

 

貧困や経済格差といった社会的なテーマの映画と見た(一部ドキュメンタリーぽくなっているのは何なのだろう)。育てられない子供を妊娠しているある女性は言う、お腹の子は養子に出す、それって裕福な人間たちが自分から赤ん坊をも奪っていくようだ、と。けれどもそのお陰で、子供を育てる不可能から自由になれる。だから恨むのは筋違い。複雑で残酷な社会の構造。収奪? いや違う、お互い様じゃないのか。お互いがお互いを助けている。奪われたのか? 与えられたのでは?

 

…とストーリーについて述べたけれども、むしろ自分はストーリーよりも時折挟まれる美しいショットの方が印象に残っている。主人公の少女がお腹の中の子供に「一緒に見たことを忘れないよ」と語りかけながら見る、海に沈む夕日のシーンの美しさ。強烈な日差しに照らされた他に何もない海辺、佇む逆光のシルエット。この映画は画がいい。

 

一方で音楽は同じ曲を使い過ぎで残念。エンディングまで同じ曲なのはいい加減しつこい。子供に歌わせるのも、なんかベタで興醒めしてしまった。