今週の休日

土曜日。朝6:00頃習慣で起床。仕事の疲れがとれずだるい。先週もこんな体調で映画を見に出かけて夜になって頭痛に見舞われ日曜日を臥せて過ごす羽目になった。嫌な予感がしつつ、予定があったため約束に間に合う時間ギリギリまで寝る。10月なのに30度越えの暑さ。電車に乗り鶯谷へ。現地で女の人と合流し、寛永寺参拝。そこから上野公園を突っ切り、パンダ橋を渡り、「ハリマ・ケバブビリヤニ」にて遅めのランチ。自分はラムビリヤニセット、連れは三種類のカレーセット。サラダ、ラッシー付きで1000円程度と安い。味もうまい。今までで、と言ってもビリヤニを食べるのは三度目だが、ここが一番美味しかった。量もある。しかし少し飽きた。そろそろカレーとナンが食べたくもなり、連れのを貰う。そのあと、メインの用事である革ジャンを買うため「革ノ館」という店を探してアメ横をウロウロするも結局見つからず。暑いのと人の多さに歩くのが億劫になり、撤収。上野公園に戻り、人生で二度目のトーハクへ。土曜は21:00まで開館のためゆったり見て回る。人も少なく快適。法隆寺館は初めて入ったが箱がモダンで好み。本館での楽しみは埴輪と土偶。昔はこういうところへ来ると割と一つ一つ丁寧に見たりしたが、今は興味あるもの以外はスルーして見ていく。外へ出るとすっかり暗くなっていた。池の前のベンチに腰掛け、ジュースを飲んで、向かいの表慶館を眺めつつ、増田みず子の小説『シングル・セル』について女の人と話す。増田みず子は、もう書いていないのだろうか。

 

日曜日。10:35からの「ジョーカー」IMAX鑑賞。素晴らしいの一言。底辺で喘ぐ男が虐げられた者たちのシンボルになるまで。格差社会に生きる持たざる者の絶望と憤り。病んだ母親と二人、ベッドでテレビショーを見て、そこに出演する自分を夢想する。同じアパートに住むシングルマザーとのロマンスを夢想する(シングルマザーの貧困問題は日本でも近年取り上げられている)。しかし現実は。不良少年たちに狩られ、証券マンたちに蔑まれ、公共福祉から見捨てられ、職をも失う。この、何もかもがうまくいかないプロセスの描写は辛い。特にコメディショーに登壇してうまく喋れない場面は、見ているこちらがハラハラする。で、暴力。自分を苦しめた者、辱めた者たちへの復讐。彼の怒りは幾人かの命を奪うが、彼は殺した人物の背後に、自分を「存在しないもの」として扱う社会を見ている。それが、似た境遇にある人たちを刺激する。終盤のゴッサムシティの暴動の場面は、いつどこで起きてもおかしくない、というリアリズムがある。数人の大富豪たちの富と世界の半数の富とが同量であるような世界に我々は生きている。印象的だったのは主演のホアキン・フェニックスの鬼気迫るような演技で、不遇で脆弱な中年男を演じて、二時間ひとときも目が離せなかった。ダークナイトのとは違う、狂気に落ちきっていない、いわば正気と狂気の狭間でもがく普通の男を、身近にいそうなリアリティある人物にしていたと思う。タクシーに乗ったピエロを目撃するシーンとか、ちょっとした笑顔が素敵だった。痩せこけた体、白いブリーフというルックスは、母親と同居する、病んだ独身中年という感じがよく出ていた。彼がロマンスの妄想を自覚する場面は『ファイトクラブ』のタイラー・ダーデンの正体が判明するときとそっくりで、そういえばあれも底辺の男たちが社会に報復する映画だった。あとは主人公の逃走する場面の多さ。地下鉄での殺人の後、病院から資料を奪った後、警官二人に追われた時、そしてラストシーンと、主人公はやたらと逃げている。この姿は、ヒーローに追われる悪役という役割を強調するものかな、と思ったりもした。終始明快な展開で、驚いたり、息を詰めたり、胸のすくような思いもする、それでいて現代、それはアメリカも日本ももしかしたらもっと多くの国も同じだろう、の問題を描いてある意味でためにもなる。映画を見たことが一つの体験となり、それによって自分の人生が豊かになった手応えが残る。ラストシーンの解釈だけがちょっと難しくて、あれは主人公の妄想とも取れるような曖昧なものにしたかったのだろうか。ここでの追いかけっこがまた、なんともいえず味わい深くていい。で、映画鑑賞後、帰宅して美容室へ。散髪後、セブンイレブンに寄り、冷食の炒飯、餃子、チーズタッカルビなどを楽天ペイで購入。711円以上の購入で150ポイントがもらえるキャンペーン中。帰宅してネット、食事。食後、眠くなり二時間ほど眠る。急に寒くなった。