作画の凄さに圧倒される 映画『君たちはどう生きるか』感想

ネタバレあり感想です。

 

 

 

予告編も宣伝も一切なしという異例の公開。事前情報まったくない状態で見に行くぜ〜と思っていたのに金曜日だったか、はてブを開いたら声優3人の名前が思いっきりタイトルに出てる記事が出てきてげっとなった。いくら公開日だからって記事タイトルでネタバレしてんじゃねーよと激しい怒りを覚えたが見てしまったものは仕方ない。この記事。

www.oricon.co.jp

このエントリ書くため今確認したらオリコンニュースだった。配信時間は10時31分? 公開日のその時間じゃまだ見てない人が大多数なのになぜ記事タイトルに声優名入れるかなあ。楽しみにしてる人の気持ちを考えてほしい。日曜日に映画館へ行くまでその他の情報は入れずに済んだだけにこのタイトルを見てしまったのだけが悔しい。製作側のノー宣伝の戦略に乗っかってまっさらな状態で見たかった。

 

当日、観客はわりと入っていた。客層は老若男女幅広い。未就学っぽい子供たちも結構いた。でも満席にはほど遠く大体6割前後の埋まり具合だったと思う。宣伝やってたらもっと入っただろうか。

 

で、感想。端的には、

作画凄い。

ヒロインかわいい。

ストーリーよくわからん。

時間長く感じた。

…というところ。

以下、一つずつ書いていく。

 

作画について。

冒頭の空襲シーンから絵が凄く見ているこっちの感情を思いきっり揺さぶってくる。アオサギの跳躍、婆ちゃんの顔の皺、羽のついた矢、産屋の紙の揺れ、動きの描写に見入ってしまう*1。あと圧倒的な物量。魚、カエル、ペリカン、わらわら、インコなど画面を埋め尽くさんばかりの、一歩違えば嫌悪を催すほどの生き物たちの描写。見ていてこれはもう芸術作品だな、と思った。美術館で作品鑑賞しているようというか。そう感じたのはところどころで西洋絵画をモチーフにしたと思しき背景が出てきたのもあるかもしれない*2

いや、本当、宮崎駿映画の絵の表現は凄い。凄すぎる。リアリティじゃない、誇張あるいはデフォルメされたアニメーションとしてこれほど躍動的な表現は空前絶後だと思う。キャラクターたちが動いているのを見ているだけで楽しいと感じる。いや、リアリティじゃない、と書いておいて矛盾するが、作り物のお母さんがどろりと溶ける場面の液体の表現には生々しさがあった。宮崎駿監督のどろどろした液状の描写って妙に生々しくて気分悪くなる*3

存在しない世界をまるごと絵にする想像力/創造力も(今更言うことじゃないが)老いてなお素晴らしい。床が溶けて吸い込まれたと思ったら海に真っ逆さまとか、面白いよなあ。しかもそこには大勢の死者と未生の魂がいるという。壮大な神話か異常な悪夢を見せられているよう。

場面をいちいち挙げてたらキリがないので表現としてとりわけ圧倒されたのは冒頭の空襲シーン、だが心を鷲掴みにされたのは主人公とヒロインが二人でドアノブを掴んで元の世界に一旦戻るシーン。

 

ヒロインについて。

なんでドアノブのシーンかというと、このシーン、スクリーンには頬をくっつけんばかりに近づいた二人の顔のアップになる。映画館のスクリーンの半分を占めたヒロインの顔があんまりかわいくて中年なのにドキッとしてしまった。このヒロイン、顔の造形はおでこだしてるだけのキャラクターなのになんでかめちゃくちゃかわいい。エプロンの裾で鍋の蓋取るシーン、よかった。それまでは和装メインの世界に彼女が洋装で登場するからか、華やかな印象がある。

この映画、『紅の豚』と同じでヒロインは二人なんだろうけど、もう一人の方にはあまり惹かれなかった。というか、書いている今気づいたんだがヒロインが二人ともお母さんなんだな。

 

ストーリーについて。

これはよくわからんかった。『千と千尋』あたりから宮崎駿映画のストーリーは自分には難しくなってきて一度見ただけでは理解できない。俺が馬鹿なだけなんだろうが表現がストーリーを追う妨げになっていると感じる(それくらい凝っているという意味)。この映画もそうだった。画面の動きにばかり気をとられてしまう、というかそっちを見るだけで精一杯で話の筋を追う余裕がない。

神のような大叔父は現実世界の行く末を悲観している。一方には天国のような世界がある。だが主人公は天国のような世界に留まることより混乱した現実世界で(友だちと共に)生きていくことを選択する。管理社会の否定、原作ナウシカの終盤みたいなもんか〜と了解した。

が、見終わって、情報解禁とばかりにはてブで『君たち』関連のエントリをいくつか見ていたら以下の増田を見つけ、読んで、なるほどと納得した。

anond.hatelabo.jp

 

自伝的要素か。崩壊する世界とはスタジオジブリの隠喩と。そう言われると納得も理解もできる。一方で大叔父の現実世界への批判は、自分には新型コロナウイルスによるパンデミックやその後の陰謀論の高まり、ロシアによるウクライナ侵攻など、人間の愚かさや進歩のなさへの怒り、諦念、そんなふうに読めたのでただの内輪話と言われるとスケールが小さくなってしまうようで抵抗がある。どれほど人間が愚かでも、生きてる以上やってくしかないんだよ、そういう話と俺は受け取ったので。だからこそこのタイトルなんじゃないの、という。

別に答えはひとつじゃないし、見た人の数だけ違う感想や解釈があるべきなので上の増田を筆頭に他の人の感想もいくつか楽しく読みつつ*4、俺は俺の感想を(大層なもんじゃないが)こうして書いている次第。

眞人が石で自分を傷つけたのとナツコが森の中へ入った理由は最後までわからなかった。あと「これを学ぶものは死す」の祠みたいなところにいると思しき主って結局何だったんだろう。

 

時間が長く感じたっていうのは…やっぱちょっと退屈を感じたってことなのかな。面白かったけど尻が痛くなった。

 

ナボコフ曰く、読書とは再読の謂である。そういう意味でもう一度見たい…改めて見たい、という気持ちはある。82歳の監督の最後の長編映画かもしれないし。一方で、思い出は美しいままにじゃないけど、あえて曖昧なイメージのままにして記憶に残っている断片を反芻して楽しむ、そういうのもいいんじゃないの、いい映画だからこそ見返さないっていう選択もありなんじゃないの、という気持ちにもなっている。鮮明になることで失われてしまうものっていうのもある。でもたぶんもう一回見に行くだろう。俺はこの映画、かなり好きです。

 

こんな感じじゃなかったか? 葉っぱに包んであったのはバターかチーズか

 

*1:食事の描写が少なくて物足りなかったが

*2:ベックリンやキリコ

*3:巨神兵やタタリ神など

*4:積み木の数の十三は監督した作品と同じ数というのを読んでフェリーニじゃんと思った