『ユリイカ2023年7月号 特集 奇書の世界』を読んだ

 

面白そうだったので購入。

ユリイカ、知ってはいたが買ったのも読んだのも初めて。ほぼ丸々一冊が特集の内容に割かれている。寄稿者たちの文章が専門的でかなりハイブロウ*1

 

奇書の定義について執筆者がそれぞれ思うところを提出しているが自分としては端的に言って内容が奇妙な本でいいと思う。内容つまり書かれている事柄が奇妙。しかしこう書くと何と比べて奇妙なのかという話になってしまう。比較対象となるのはいわゆる「普通に書かれた本」だろうが書いた本人は普通に書いているつもりなのに他者が読めば破綻している、逸脱している、としか思えないケースというのは往々にしてある*2

一方で奇書的になるよう狙って書かれたものもある。狙い通りに行くこともあれば白々しい「奇書もどき」にしかならないパターンもある(後者の方が可能性としては高そうだ)。

奇書となるべく書かれた書物と、図らずも奇書となってしまった書物。その両者の間にいったいいかほどの違いがあろう。つまるところ、この複雑怪奇な世界と我々人間の認識の間に成立する相互作用こそが奇っ怪だということではなかろうか。

 

倉谷滋「架空珍妙動物学を学ぶための奇書コレクション」

さらには個人間での認識の差異もある。同じものを見ても同じように感じるとは限らないし表現するとなればさらにそうだ。その差異、認識のズレが「何を言っているのかわからない」「奇妙だ」となるのではないだろうか。そう考えるとあらゆる書物は程度の差こそあれ奇書であるのかもしれない。

 

本書に登場する奇書のいくつかを挙げると、『鼻行類』『平行植物』『視霊者の夢』『死霊』『神聖喜劇』『家畜人ヤプー』『シュレーバー回想録』『フィネガンズ・ウェイク』、ボルヘス、三大(四大)奇書など。

 

「特殊版元探訪」と題して、たぶん今日本でもっとも奇書を出版しているだろう国書刊行会をめぐる対談が面白かった。日本における海外文学愛好者3000人説、1000円の本を50000部作るのではなく50000円の本を1000部作るという同社の出版姿勢…そりゃあおのずと奇書的な本を出さざるを得なくなるよなあと納得。

この対談に現代では奇書が成り立ちにくくなっているのではないかという話が出てくる。インターネットがあらゆるものを情報として白日の下に晒してしまうようになった今は「奇」を成立させるのが困難な時代だと。たしかに、本に限らず何でも瞬時に検索できるから文章を読んで実物を空想するという機会はなくなってしまった。便利なのはいいことだけれどそれによって失われるものもある。

 

現代と奇書というテーマは三崎律日「「奇書」に寄りつく解釈と解説」にも共通している。

 個人的に「奇」なるものの愛で方には二種類があると考えており、一つはその「奇なる」と呼ばれるに相応しいありのままのカタチを愛でるもの、そしてもう一つは、その奇たる所以を解体する過程を楽しむものです。

 前者については言わずもがな、正統派な楽しみ方ではありますが、昨今は後者の視点がより注目を浴びやすい傾向にあるようです。

 

 現代においては、奇なるものは直ちに「解説」という名の解釈が張り付き、それ自体が本体に付随したコンテンツとして成り立ちます。

この方は奇書を紹介する動画投稿者とのこと。現代では奇なるものが奇なるもののままであり続けるのは難しい。これは謎解きの欲望もあれば同好の士とあれこれ語り合いたいという欲望もあるだろうし是非で問うのは難しい問題ではある。

 

奇書の条件として物理的な書物であることを条件としている執筆者もいる。電子書籍を奇書とはいわないと(そうだろうか?)。山中剛史「書物としての奇書/オブジェとしての書物」は内容もさることながらもはや美術品といってもよさそうな奇抜な装丁の書物に言及していて面白かった。ページ本体やケースがすべて銅板製の稲垣足穂中村宏『総銅製機甲本イカルス』、画像を検索してびっくりした。これは本とは言わないだろう…本ってのは紙の束を綴じたものではとの思いもよぎるが…。

 

大尾侑子「「奇書」だけが癒す渇き」は1920年代の日本で一部の好事家に受けた「変態文献叢書」を紹介する。これを出した出版社は同時期にブームとなった円本を陳腐な書物だとこき下ろし、エロとグロが混在する発禁すれすれの叢書によって誰もが入手できる大衆的な読み物ではなく「奇なるもの」を読みたいと渇望する一部の人々の欲望を刺激した。

「奇書」はしばしば、それを愛好する者に、自らの文化的・知的優位性やセンスに酔いしれる瞬間を提供する。

100年近くが経過した現在でもなお、ある種のインテリ、好事家のマウンティングとして利用される奇書、そういう面もあるだろう。実際には奇書を楽しめるか否かは知性ではなく趣味でしかないと思うが。

 

執筆者によって結構あたりはずれがあるがそれこそ当方の趣味の問題だろう。上でも述べたがハイブロウなのでこちらの程度の低さもあるだろう。でも総じて興味深く読めた。本の話は大抵楽しい。俺も少しは(本当に少し)本を読む人間だがあまり奇書には縁がなくどちらかというと正統的なもの、大衆的なものを好んで読んできたし今も読んでいる。面白みのない人間なのである。本棚をざっと見回して奇書っぽいと思ったものをいくつか*3挙げてみる。『ドン・キホーテ』や『白鯨』なんかは今やカノンと化してしまっているので奇書ではないよなあ…と判断。電子書籍なので写真にはないが稲生平太郎アクアリウムの夜』と『アムネジア』は奇書だと思います。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

*1:文末の注の多さよ

*2:本人は大真面目に書いているつもりらしい「怪文書」はインターネットをちょっとうろつけばいくらでも見つけることができる

*3:読んでない本も含んでいる