『寝そべり主義者宣言 日本語版』を読んだ

 

はてブ見てたらこんなニュースが目に入った。

jp.reuters.com

16歳から24歳の失業率が約20%、しかし統計の取り方次第では40%を超えている可能性もあると。この記事に引用されている大学教授のコメントの「家で寝そべっている」若者とは寝そべり族を指しているものと思われる。

2年前の記事。

courrier.jp

寝そべり族はこの2年間変わらず寝そべり続けていたのだろうか。

 

最近では「大学を卒業したら(仕事がないので)死ぬ」との心境を表現した「死亡卒業写真」なんてものも中国のSNSに投稿されている様子。

togetter.com運よく就職できたとしても「996勤務」。経済の低調と競争の激化で日本の就職氷河期みたいな事態になってるのかな。

 

1977年生まれの俺ももろに氷河期世代。当時は本当に不況で就職先がなかった。いい大学出てパチンコ屋に就職とか珍しくもなかった。俺はというとまあまあのブラック企業に就職したものの1年もたず退職、その後2年くらい引きこもった。もう20年も前なのでよく覚えていない。その頃のことは以前少し書いた。今となってはできれば忘れたい黒歴史だ。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

まあ俺のことはどうでもいい。

 

寝そべり族の話だった。2021年、上のニュース記事で寝そべり族を知ってからちょっと興味を持っていた。少欲知足。低欲望、低消費、低労働意欲。Wikipediaには「具体的には、"不買房、不買車、不談恋愛、不結婚、不生娃、低水平消費"(家を買わない、車を買わない、恋愛しない、結婚しない、子供を作らない、消費は低水準)、「最低限の生活を維持することで、資本家の金儲けマシーンとなって資本家に搾取される奴隷となることを拒否する」といったポリシー」とある。

ja.wikipedia.org

 

サイレントテロみたいなものか、というのが当初の印象。

その後何かで『寝そべり主義者宣言』というパンフが日本語に翻訳されていると知った。自費出版なので通常の本屋では売っていない。売っている店を検索したら新宿の模索舎が出てきたので春に新宿御苑での花見を兼ねて買いに行った。本書と一緒に『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』も買った。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

さて、この宣言、どういう経緯で発表されたものであるのか。

出版者によると「中国のとある地方で『躺平(寝そべり)主義者宣言』という文書が発表され、中国各地で印刷されてばら撒かれ始めた」とある。執筆者は匿名。これ読んだら寝そべり族のことがわかるかも…と興味本位で読み始めたものの想像に反してかなり硬派な内容で戸惑う。資本主義や経済格差を皮肉やユーモアを交えながら批判する、そんな感じのテキストだとばかり思っていたら実際は哲学的な内容。15ページほどの分量ながら読むのに難儀した。

 

寝そべり族とはこういうものだ、とWikipediaにあるようなポリシーについて具体的に述べたものではない。体制側や社会通念をやんわりと否定しつつ寝そべり族のメンタリティを説く内容。

宣言曰く、

寝そべり主義は正義である。

寝そべり主義は加速主義の反動である。

寝そべり主義の個人的な実践は資本主義に絡め取られて無効化される*1

ゆえに寝そべり主義者たちは繋がれ、団結せよ。

 

2回ほど読んだけれどちょっと文章が高踏的かなと。

寝そべり族のみんながみんなこの宣言に同調しているかといえばそんなことはないだろう。加速主義の反動だとか、個人的な実践の限界を見極めて社会運動化していこうとしているとの記述は興味深い。金がある上で寝そべれば憂いなくて最高なのでは? と思ったらこの宣言では富の蓄積による寝そべり(FIRE的な)を批判的に見ている。寝そべり主義は富の蓄積や維持よりも債務から逃れることを重視すると。引き算の思想。ミニマリストっぽさもあるな。

 

資本主義が加速して経済的に豊かな社会になると出世や金儲けに走る人が増える一方でその風潮に対しての反対派も出てくるのはかつての日本もそうだった。本書を出版した松本哉は序文でバブル期における「だめ連」を似た例として引いている。自分はだめ連を知らないのでなんともいえないが、同じように経済的豊かさへのカウンターカルチャー的な言説をどこかで読んだような…と思って本棚を眺めたら都築響一だった。『TOKYO STYLE』は1991年から93年にかけての東京の「ぼろくて散らかった部屋」ばかりの写真集。そのあとがき的な文章にこうある。

高い家賃や銀行ローンのためによけいに働くよりも、自分の好きなものに囲まれて時間を過ごしているほうがいい、そんなふうに思っている人たちが、雑誌やテレビには登場しないだけで実はどれだけたくさんいて、そこそこ快適に普通の生活を送りながらこの都市を成り立たせているか、

寝そべり族と通じる。現代から見ればなんでもない一般的なことのようだがバブル期にこういう視点は異端だったのでは。やたらとみんな見栄を張りたがる時代だったように思う。

でも『TOKYO STYLE』はリーマンショック東日本大震災よりも前の時代の出版だから今読むとちょっと暢気に思えなくもない。経済格差や、社会構造的に強いられた貧困(非正規雇用等)の問題が今ほど認識されていなかった時代だったから。今は好んで上のように生きているのではなく強いられてそうしている人の方が多いのではないだろうか。

 

俺も何もかもうっちゃって寝そべりたい気持ちはある。ひとりものなんだから寝そべろうと思えば寝そべれなくはないが金の心配が常に付きまとう寝そべりじゃあ心休まらない。

なので資本主義の環境をうまく利用しながら経済的独立を果たし、メンタリティとして寝そべる、隠遁する、そんなふうに生きられないか模索中。

 

家電話、ブラウン管テレビ、カセットテープ、畳にベッド…懐かしい。今と比較して90年代をいい時代だったとも帰りたいとも思わないが懐かしさはある。

 

 

*1:「実際に寝そべり主義者が個人主義的な実践方法論をなお実践しようものなら、往々にして彼らは苦行僧の禁欲主義と世俗の誘惑の往復を迫られる。(略)つまり、相対的に余分な人口をコントロールして、収入のない「失業者」と権利保障のない「日雇い労働者・ギグワーカー」の間で往復させるのである──」