SNSから距離を置く


イーロン・マスクによる買収後のTwitter、ゴタゴタ起き過ぎ。あと金の話出し過ぎ。

冷める。

不便を強いてもTwitter側にはユーザーに寄り添うみたいな姿勢一切なく開き直るし、そんなサービスを文句言いながらも利用し続けるのなら『デジタル・ミニマリスト』で指摘されていた強烈な依存に陥っているわけでこれはちょっと怖い。

 

俺のTwitterの利用意図はもっぱら情報収集のためだった。行政、企業、個人がこれだけたくさん集合して日々膨大な情報を発信している場は他にない。しかもそれら自分が知りたい情報が手元のスマホをちょっといじれば瞬時に得られてしまう便利さ。そりゃあ依存してもおかしくない。

 

Twitter、元々は俺自身に発信()するつもりはなく無言でひたすらフォローしているアカウントから提供される情報を得るためだけのアカウントだったのだが、いつからか呟くようになった。吹けば飛ぶような木っ端アカウントである。ネット上で他人と交流できるコミュ力もない。Twitter初期に溢れていたようなしょーもない呟きを(日々の記録として)2020年代になってなおぼそぼそ孤独にやっていただけ。俺が最初にTwitterのアカウントを作ったのはいつだっただろう。東日本大震災より前、ガラケーとPCでやっていた。そう、そのころTwitterガラケーで操作できたのだ。そのアカウントはとっくに消滅した。今のアカウントは3代目か4代目。

 

Twitterが、というよりネット自体が、スマホが普及する前と後では全然違う場所になってしまった、と思う。ネットにアクセスするにはPCがメインだった頃は、なんつうか俺の偏見かもしれないが現実からの避難所みたいな意義があった。現実とは別の人格で楽しむ現実とは別の場所。でもスマホが普及し、大勢がネットに集まり、もはや生活に必須のインフラと化してしまった今*1ネットは現実と地続きの場所になってしまった。さらに言えば人が大勢集まってきたがゆえにビジネスの場になってしまった。動画配信で大金を得られるようになるなんてネチケットキリ番の時代には想像もできなかった。

 

Twitterって昔は2ちゃんねるの過疎板のような暢気さがあったように記憶しているのだけれど今は違う。金の話多過ぎ。怒ってる人多過ぎ。Twitterで議論してんじゃねーよ。顔と顔突き合わせてもしょーもねえのに140文字の応酬で言葉が尽くせるわけねーだろ、いい加減学べ、と思うことがたびたびある。そんなもの見なきゃいいだけだがTwitterの仕様が変わって「おすすめ」と称して知らん人がTLに並ぶようになって以来俺の平和なTwitter生活は終わりを告げた。目障りと思うアカウントは片っ端からミュート、しかし同じことは何度も繰り返されるし次から次へと現れるのでイタチごっこでしかない。くだらねー。そうまでしてここにいたいか、と自問すれば当初はいたいと思っていたもののだんだん嫌気が差してきた。本を読むなり映画を見るなりしたほうがよほどいい余暇の過ごし方になるのに、そして読むべき見るべき対象は部屋の本棚から取り出すなり机の上のiMacを起動するなりすればすぐなのに、ベッドに寝そべってダラダラしょーもない他人のツイートを見続けている。非常によろしくない。精神にとって無益どころか有害じゃないだろうか。

私たちの頭は考えるための作業スペースであって、雑多な情報や他人の考えでいっぱいにしておくための物置ではない。

 

カル・ニューポート『デジタル・ミニマリスト

 

なのでこの1週間、Twitterを見ないようにして過ごした。完全に見ないわけじゃない。最初の3日間くらいは完全断ちの状態だったがそのあとは1日10分かそこらだけ見ることを許した。というか自然とそうなった。ちょっとチェックしてそれで何も得るものがなかったとしてもそれ以上深追いしない。それで何かを見落としてしまったとしても気にしない。縁がなかったと思って諦める。俺が知りたい情報は新刊情報とか映画の公開情報。どちらもTwitterを見るより手間と時間はかかるもののその気になれば「巡回」できなくはない*2。それでもなお完全断ちは難しい。たとえば完全断ちしたらファーファ公式アカウントが見られなくなってしまう。ファーファ公式アカウントは俺の心に潤いを与えてくれる貴重な存在だ。

anond.hatelabo.jp

この増田の言うとおりTwitterは現在だってフォローするアカウントを厳選して使えばいいサービスなのだ。即時性があるので目的地の状況(混雑等)を知るのにも優れている。

 

Twitterは無理なのでとりあえずInstagramのアカウントを削除した。もとより見る専、ろくに利用していなかったしサービス内容も、居る層も、俺の方向性とは違う感じだったので。俺はやっぱり画像・動画よりテキストの方が好きだな。テキストにたまに画像・動画が挟まるくらいがちょうどいい。

 

Twitterは今後もなくなりはしないと思うが行政にせよ企業にせよ海外の私企業のサービスに無料で乗っかるのがどれほどリスキーか、無理があるか、が明らかになった点に関してはイーロン・マスク買収以後の一連の騒動に価値はあったと思う。

 

Twitterの代替としてMastodonやらBlueskyやらMisskeyやらThreadsやらの名を聞くけれども、どうなんだろうか、どれもTwitterの代わりにはなり得ないように思う。あれだけ多くの人が集合して雑多な形式で好きなように発信でき、つながることもつながらないこともできた広大な場所はもう一度作ろうとしても簡単にはできないんじゃないか。今のところ新しいSNSのアカウントを作る気はない*3。俺はネット上に現実の人間関係を持ち込みたくないので匿名利用可能かつ電話帳から勝手に友だち登録しない・しようとしないサービスでないと無理。でも先のことはわからない。いい感じのサービスが出てきたら利用するかもしれない。

 

SNSに氾濫する情報の洪水、対立煽りと炎上、デマやガセ、バズ狙いのパクリ、ビジネス誘導、自己顕示欲と承認欲求…。

消化器官が衰えてきた中年にはもたれる。

Twitterのみならずグーグル検索やアマゾンの品揃え・配送みたいにかつては一強かと思われたほどのサービスがシェアを増すにつれ劣化(ユーザーにとって)していくのは悲しいことだ。商売だから利益上げるために仕方ない面があるのだろうが。今後、AIによるまとめサイトがいかがでしたかブログ(今もあるのか?)を上回る勢いで伸長して今以上にネットが汚染されたらネットから現実に回帰する流れが起きるのではないだろうか。すでに俺の場合、飲食店やクリニックに関してはネットのレビューより知人の口コミをあてにするようになってきてるし。SNSをやってないことがステータスになる、そんな将来も意外とすぐ来るかもしれない。

 

SNSしなくなって空いた時間をこうやってブログ書くのに費やすのもいいかもな。

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

前回のSNS断ちはあっという間に挫折した。

 

 

*1:行政サービスがスマホ利用を前提とするようになっているしライフラインとしてホームレスになったとしてもスマホは手放せないと聞く

*2:新刊情報はあの素晴らしい「本棚の中の骸骨」がある

*3:Tumblrのアカウントだけ少し前に作ったが全然見ていないのでそのうち消すかも