晩酌やめて10日が経過した

 

なんとなく続けていた晩酌をやめて10日が経過した。

上の写真は2週間の酒量。大した量じゃない。

 

晩酌は帰宅後のルーチンだった。風呂入って飯食ってから自室に引き上げ適当なつまみと一緒に一杯。デュワーズは暖かい季節ならロックで、寒くなってきたらストレートで。時間をかけて舐めるようにちびちびと3杯か4杯。レモンサワーはデュワーズに飽きたときたまに。夏はスーパードライの350ml缶を1本空けてからロックでデュワーズか、またはコノスル赤を1杯か2杯。

 

これをここ1年か、もっとか、ほぼ毎晩続けていた。

酔いたかったとか酒が旨いからとかじゃなく単純に生活のクセとして。無趣味な人間が時間を潰すのに飲酒は適している。

 

飲んでも酔わないし気分よくなるわけじゃない。ただ帰宅後リラックスするのに晩酌が習慣になっていたというだけ。外食時は車じゃなければ生中を1杯。店だと高いからね。

部屋で一人で飲んでいるので楽しくもない。ネットしながら、動画(アマプラでフリーレン)見ながら、ちびちびやって、適当なところで切り上げて寝る、そういう毎日。俺は交代勤務従事者なので必ずしも夜だけ飲んでたわけじゃないが。夜勤明けということもある。

 

北側諸国の冬

 

…だったのだが、先日女の人に晩酌してると言ったら「え、飲んでるの!?」と結構強めに驚かれてしまい、逆にこっちが戸惑った。大した量じゃない、と答えても不服そう。なぜだろう? 酒で失敗したことはないはずだが。妙に空気が白けてしまった。彼女は体質的に酒が飲めない。

 

今減量にトライしているのだがなんとなくで食事量を減らしたくらいしかやっておらず全然体重が減らない。酒とつまみをやめれば効果が出るのではないか。で、いっそ酒やめるか、となった。少量のアルコール摂取でも脳は萎縮するとの調査もあり、俺はひとりものだが健康に長生きしたいひとりものなので。

gigazine.net

 

ただし付き合い*1で飲めないとかたまの外食で飲めないのはつまらないのでそういう時に限り飲んでいいこととし、晩酌禁止のルールにした。

 

10日経つが今のところ体重に変化はない。他の体調変化──食欲が増すとかよく眠れるとかもない。体感的に飲んでたときと変わらない。引き続き経過観察していく。

 

楽しくて毎日飲んでたわけじゃないし酒に執着があったわけでもないので簡単にやめられると思っていた。で、実際、この10日間問題なくアルコール断ちができている。禁煙も成功しているから(今年で7年くらい経つ)わかるのだが、俺の場合薬物としてのニコチンやアルコールに依存するんじゃなくて、なんとなく習慣でだらだら続けている、いわば習慣の依存(?)に陥っている。なので最初にちょっとだけ頑張って我慢すれば離脱症状が起きるでもなくスムーズにない生活に移行できる*2。新しい何かを空白が生じた晩酌の時間に当てはめれば今度はそっちが習慣化して酒がなくても平気になるだろう、と予想したが実際やってみたらそんな大層に考えなくてもすんなりうまくいってしまった。

 

ここのところ寒くなってきたのがよかったのかもしれない。酒が家にないと買いに行かなくちゃならないが寒い中外に出るのは億劫だ。だから買いに行かなくなり結果的に飲まずに済む。家にストックを置かないのは大事。小田嶋隆は『上を向いてアルコール』で暇や金がないおかげでアル中にならずに済む人も多いのではないか、と書いている。禁酒を精神的にやるんじゃなく、飲める条件を遮断してしまうのがいい。『妻はサバイバー』にはアルコールを飲むと気分が悪くなる薬が出てくる。禁酒のリーサル・ウェポンだな。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

『上を向いてアルコール』は元アル中が20年の断酒について語った本。吾妻ひでお失踪日記』や中島らも『今夜、すべてのバーで』に並ぶアル中本の名著と言っていい。当事者ならではの含蓄ある指摘が頻出して読み応えがある。

 

 アル中になる前に飲んだ理由は、別に普通の人が飲む理由とそんなに変わりません。なんとなく習慣で飲んでました、仕事が終わって一区切りで飲んでました。その程度のものです。

 

 一般の人でもね、酒を毎日飲んでると、本来の量よりたくさん飲めるようになると言われている。なぜかというと、普通の状態でウィスキー水割り五杯が限度の人が、毎日水割り二杯ずつ一〇日間飲んだとすると、許容量、限界量には達していなくても肝臓の処理能力が追いつかなくなる。そうすると、肝臓が処理して酔いが回るという本来の活動がないから、半分しか酔いが進まない。本来五杯しか飲めない人間が一〇杯飲んでもまだ倒れないでいられるんですよね。

 

 アルコール依存者について「緩慢な自殺」という言い方がありますけど、あれは緩慢な自殺だっていう設定で自分をごまかしているというお話です。これは、飲む人の間にはおそらくある程度共通している心理だと思います。

 飲むときの気分は「どうせオレはもうじき死ぬんだから飲むんだ」みたいな、そういうフィクションの中で飲む。「今借金がたまっているぞ、連載がなんとかだぞ」とか、いろいろ上手くいかなかったり、困ったことがあるのも、「まあどうせ長い命じゃない」と先送りしちゃうみたいなものの考え方ですよね。

 

 先生の言うには、アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるとかいう話ではない。酒をやめるためには、酒に関わっていた生活を意識的に組み替えること。それは決意とか忍耐の問題ではなくて、生活のプランニングを一からすべて組み替えるということで、それは知性のない人間にはできない、と。

 

 酒をやめるのも、単純に「オレは酒を我慢しているんだ」って話だと減量と一緒で半年しかもたないはずです。そうじゃなくて「酒がない代わりにオレはこれを始めたぞ」と、酒以外の何かで、自分の人生を再構築するプランニングを再発明することですよね。えらそうに言えばですが。

 

引用4番目の知性云々は俺が上で述べた空白が生じた時間に何か代わりのことを習慣として当てはめてやればいい、というのと同義だろう。俺は知性よりもめんどくささこそ禁酒に有効と思う。何かするのがめんどくせえからだらだら酒を飲んでるのであって、その酒を飲むのがめんどくせえことになればやめてしまうだろうから。外が寒いからとか売ってる店が遠いとか、そんなめんどくせえことしてまで手に入れて飲みたかねえよ、となるんじゃないか。

 

アルコール依存についての本なのに自分がとくに秀逸と思ったのは最後のスマホによるネットやSNS依存について書かれた章。ネットやSNSに依存したって酒みたいに肝臓壊すわけじゃない。そういう意味では安全だが代わりにアイデンティティが危機に直面する。なぜか。スマホをいじってるあいだ人は頭を使っていないからだ。

 というよりも、スマホを眺めている人間は、自発的な思索をやめてしまっているわけで、外部に情報を求めるということは、自分の頭で考えないことそのものだからです。

 

 実際、コラムを書くときっていうのは、私はよく机から離れてメモをつくったりするんですけど、なぜ机から離れるのかというと、PC見ちゃうことをやめるためですよね。「あれってなんだっけ」って検索にいっちゃうともう、検索先に自分の脳みそを吸い取られる。自分の頭で考えるためには、検索しないということがとにかく大切なんですよ。

 

スマホでサッササッサとスクロールしてるときってたしかに脳みそ全然使ってない。脊髄反射だけする動物みたくなってる。そんなんで得た情報は10分後にはもう忘れて思い出せない。アルコールよりネット依存が怖い、俺は。

 

 してみると、何かに依存するってことは、自分自身であり続けることの重荷から逃れようとすることで、逃避という行為自体はスマホでもお酒でもそんなに変わんないんですよね。

 

晩酌やめて空いた時間は読書か筋トレ(ボーナス出たらフィットボクシング2買おうか迷ってる)に当てようかな。

 

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

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*1:俺は友だち0人なので付き合いは年何回かの職場の集まりに限られる

*2:禁煙した人はよく吸っちゃった夢を見るというが俺は一度も見たことがない