当事者たちの貴重な体験を聞く 永田豊隆『妻はサバイバー』 小林エリコ『この地獄を生きるのだ』

 

 

著者は新聞記者。妻を20年にわたって介護している。

妻がかかる病い、示した症状は摂食障害、トラウマによる解離、自殺願望、精神疾患による入院、アルコール依存症大腿骨頭壊死症、認知症

食べては吐く摂食障害は心身にダメージを与えるのはもちろん(「嘔吐でやせが進むと、血中の電解質異常や不整脈、腎機能低下などにつながり、命を落とすこともある」)かさむ食費が家計を圧迫する。一度の買い物で食品を5000円、多いときは10000円以上も買い込む。著者は当時超高金利だったサラ金に手を出す寸前まで追い詰められる。

新婚の頃は穏やかだった妻がだんだんと荒れるようになっていった理由が切ない。

幼い頃から家庭内暴力にさらされてきた彼女は常に怯え緊張しながら生きていた。著者と結婚して生まれて初めて安心できる場所が得られた。安心したからこそ症状を出せるようになった。本人は意識していないが、彼女には自分がいつか夫に捨てられるのではないかとの不安があり、捨てられないと確認する意味で感情を爆発させていた。

せっかく安心できる場所が手に入ったのに、だからこそ症状を出してしまうなんてつらすぎる。

妻を家に一人残して仕事に行く。仕事中も病気や病院対応や家計や家事についての心配が頭から離れない。妻が自殺していないか、近所に迷惑をかけていないか。

身長約150cmで体重30キロ未満、痩せ細った体で連続飲酒。低栄養と肝機能障害。

妻の吐瀉物を掃除し、酔って通販番組で注文した高額な商品の返品手続きをし、コンタクトレンズを外してやるのが著者の日常となる。妻本人が一番の地獄だろうがそばで見ていて介護する著者も劣らないだろうと想像する。

通常は35前後が上限のGOT(肝機能の指標とされる)が3000を越え救急搬送。だが病院側は受け入れを拒否する。妻が精神疾患者のため「意志疎通に手間がかかり、スタッフの人手を割かないといけない。治療の合意が得られず、トラブルにもつながりかねない」からだ。身体状態が悪くて搬送されても「まず精神科に行って」「なぜ精神病院に入院させておかないのか」と言われる。精神科以外の(一部の)医師による精神病患者への差別、偏見。

アルコール性認知症の発症、飲酒の影響による大腿骨頭壊死*1。現在は退院している。

心の傷を抱えた人は依存や嗜癖にのめり込む傾向にある。なぜか。依存症は「快楽におぼれている」とイメージされがちだが、「苦痛の緩和」に本質があるとする見方がある。心の傷をやわらげるためにアルコールや薬物を用いて痛みを自己治療しているのだ。摂食障害などにも当てはまる。妻は過食嘔吐を「たった一つの私の部屋」だと表現した。傍目には凄絶に見えても、本人は自分だけの居場所にこもって心身を癒しているつもりだったのだろうか。生きるために。

過酷だが複数名のいい医師に恵まれたのはまだしもの幸いだったように見える。とくにM医師という精神科医は論理的に辻褄が合う見立てをする信頼できる医師に思えた。何科であれいい医師に当たるかどうかで人生は大きく変わってしまう。

 

 

著者は自分と同年生まれ。うつ病になって退職し、生活保護を受け、その後社会復帰するまで。

デイケアで通うクリニックの闇が凄い。特定の製薬会社と癒着してその会社の統合失調症の薬を使うようになるとそれまでは違う診断をされていた患者たちがみな統合失調症にされてしまう。うつ病と診断された著者も統合失調症に。副院長は高級車を乗り回すようになる。このクリニックは患者にケーキ屋を経営させ、税金で菓子を購入させることもしている。著者が自殺未遂をすると「あなたは私たちを裏切ったから」デイケアへはしばらく来るなと言い放つ。10代の通院者には社会復帰ではなく20歳になったら生活保護を受けるよう誘導する。どれもにわかには信じ難いほど恐ろしい話ばかりだ。貧困ビジネスの一種だろう。障害者や病気の患者が食い物にされている。

前職の経歴を活かしNGOでボランティアとして働くようになって著者は社会復帰する。このあたりの経過を読んでいて複雑な気持ちになった。著者は制度に救われた実体験から「貧困により、自殺したり、精神を病んだり、犯罪に走るくらいなら、早く生活保護を受けてほしい。誰だって受けることが許されているのだから」と書く一方で、生活保護を受けているのは恥ずかしかった、働いて自分の力でお金を稼ぐようになってまた誇りを取り戻せた、とも書いている。著者はおそらく真面目な性格で、世間一般の常識というか通念というか(働かざる者食うべからず的な)を強く内面化しているのだろう。

生活保護費をパチンコに使う人は暇だったり孤独だったりそれ以外の時間の潰し方を知らないからそうしてしまうのであってその問題に目を向けずにけしからんからと現金でなく現物支給にしても根本の問題は解決しない、とか、お金を使う機会を失えばお金を使う技術も失われて買い物が上手にできなくなり結果社会復帰に支障をきたすようになる、とかの意見には同意。特別扱いして世の中の仕組みから隔離してしまえばそれだけ復帰は難しくなる。自分の体験としてもしばらく買わなかった物(電化製品や冬物の上着など)を何年かぶりで買いに行くとうまく選べなくて困難を覚える。買い物という日常的な行為とてしていないと下手になるのだ。

 

今月11日に開催された文学フリマ東京37、行こうかどうか迷った末億劫になって結局行かなかったので気になった著者の新刊『実の兄から性虐待を受けた私がカウンセリングで複雑性PTSDの治療に取り組んだ記録』はBOOTHから購入した。

 

『妻はサバイバー』にせよ『この地獄を生きるのだ』にせよ壮絶な体験談は直接や映像で聞くとその重圧にこちらがやられてしまいそうになる。文章で読み、途中疲れれば一旦本を閉じて休憩し、その間に自分なりに考えたり連想したりする、そんなふうに自分のペースで接する方が接しやすい。本という形にパッケージされた文字メディアの優位性って自分のペースが保てるところにあると思う。

 

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

生活保護費を貧困ビジネスに搾取された挙句消息を絶った作家の私小説。いろいろやばくて面白い。

 

*1:国指定難病。晩年の美空ひばりが苦しんだ病気。小田嶋隆曰く「アル中の別名」。