今週の休日

土曜日。MOVIXさいたまにて「ペット・セメタリー」「ジョジョ・ラビット」ハシゴ。ハシゴを特別なことと思わなくなっている。サタンタンゴを鑑賞済みの今、4時間程度何でもない。前者のモンスター化する子供、後味の悪いエンディングはまるで昨年観た「ブライトバーン」じゃないか。母親のトラウマ設定は伏線として活きていたのか。ただホラーな落下シーンの為だけにあったのか。観終わって感じた疲れは、くだらんものを観たせいか。観なくてもよかった。しかしそれを知るためには観なくてはいけないというのが。「ジョジョ・ラビット」はまあまあ。序盤はコメディ色が前面に出、中盤以降は悲哀のトーンが強くなる。少年が、蝶の行方を目で追ったあとの足のシーンの凄み。靴紐を結んであげたいのにできなくて縋り付いて号泣するシーンはショッキングだった。ここが転換点か。ヒロインはとても可愛い。最後のビンタは少年のついた嘘に対するものだったのだろうが、彼女は婚約者を想像上で殺したり、自分をナイフで刺した少年に対する憎しみはない様子なのが妙だった。少年も、怒りをぶつけるべきは彼女ではないだろうに、あのナイフのシーンはよくわからん。この映画では想像力が鍵要素になっている。ヒトラーは少年の想像上の友だち。ユダヤ人に対する少年の憎悪は想像上のもの。少年自身の内奥から生まれた感情ではない。そして想像上の手紙の執筆と、スケッチブックのイラスト。少年が本物のユダヤ人と出会い、彼女に恋した時、想像していた世界は現実の感情によって崩壊した。だからヒトラーもその影響力を弱めていき、最後には否定される。扉を開け、新たな現実への出発。自由な人間として、踊りながら。友達のヨーキーがナチュラルにいい奴だったのが印象に残っている。雪から変わった小雨の中帰宅。女の人と合流して松屋でシュクメルリ鍋定食を食す。ニンニクが効いていて好み。ご飯に合うのか疑っていたが相性抜群。スープカレー的に食べた。ただし味噌汁は…。松屋に入ったのは十年かもっとぶり。牛丼を食べなくなった。マクドナルドで一服。クリームパイうまし。

日曜日。朝から「リチャード・ジュエル」鑑賞。これは傑作だろう。人々を爆弾から守った英雄から一転、容疑者にされ、メディアの餌食となった警備員の実話。警察はジュエルが犯人でないと薄々気付きながら捜査を続ける。プロファイリングによると爆弾犯の人物像は英雄願望を持った低層の白人男性。さらにジュエルは母親と同居している(こどおじ)「醜いデブ野郎」。女性新聞記者が求める「興味深い奴」、すなわち大衆が好奇心をそそられるタイプの犯人像に合致する。ウォルター・ハウザーが気弱なジュエルをうまく演じていて感嘆。ロックウェル演じる弁護士、ベイツ演じる母親、傲慢な女性新聞記者も、みな演技が素晴らしかった。もう、本当に素晴らしい演技。イーストウッド監督の映画は、渋めのキャストがいい演技をするから見応えがある。この映画の時代にはなかったSNSがある現代であれば、ジュエルや彼の周囲の人たちへの被害は増悪しただろうと推測するとより問題の深刻さ、怖さが浮き彫りになる。栄光→転落→名誉回復という王道の熱いストーリー。ベイツの会見のシーンでは、母の愛の尊さと、追い詰められた者の訴えの切実さに、涙が出た。「ミスター・プレジデント」。久々に、映画館で泣いた。いい映画を観た、という満足感に包まれて映画館から外に出ることの幸福。