ミシェル・ウエルベック『セロトニン』を読んだ

 

セロトニン

セロトニン

 

 

少し前だが読んだ。『ランサローテ』と『服従』以外のウエルベックの小説は一度は読んでいる。初めて読んだのはちくま文庫の新刊で出ていた『素粒子』で、真綿で首を絞められるような絶望感、人間の孤独、露悪的なまでの性描写などに結構な衝撃を受けた。もう十年以上も前か。その後、『闘争領域の拡大』『プラットフォーム』『ある島の可能性』『地図と領土』を読んできた。話題になった『服従』は読みそびれたまま。どれももう今はほとんど内容を思い出せないが、『素粒子』と『地図と領土』がとりわけよかったように思う。どちらも最後には人間を突き放すようなところがあって、読み終えて清々しい気持ちになれた記憶がある。

 

本作は、上に述べた過去作のような感動はなかったけれど最後まで退屈せずに読めた。ウエルベックおなじみの上層階級の独身中年が、自分を取り巻く環境に嫌気が差し失踪する。脳裏に去来する過去に愛した女たちの思い出。すでに消滅したかつての恋愛。学生時代の友人との再会。自分が絶望しているように彼らもまた絶望している。生きてはいる。しかし希望はない。希望を望んでいるが叶わない。人々が行き詰まっているのはそもそも時代がそうだから。一例として挙げられるフランスの農業従事者を取り巻く厳しい状況は現実を反映しているものであるようだ。追い詰められたがために登場人物の一人は過激な行動に出る。

絶望しながら生きることはできる、大方の人はそのように生きているのだ、それでも彼らは時々、希望の息吹を入れられないかと思うことがある、少なくともそう自問自答をするのだが、答えは否なのだ。 

いつもの諦念。似たようなフレーズが幾度も反復される。

 

ウエルベックの特徴に過激な性描写がある。読んでいてげんなりすることも多々あるが、本作では割と控えめ。しかし彼の小説の主人公はいつも異性愛とそれに伴う性の問題を重要視しすぎる向きがあって、それは本作も同様で、そういう考え方や生き方をしている限り苦痛と屈辱が絶えることはないのだろう、という気にさせられる。『地図と領土』には心の平安に関しての新境地みたいなものを感じたのだが。