アン・ケース/アンガス・ディートン『絶望死のアメリカ』を読んだ

 

 

本書の内容は上のツイートに要約されている。現代アメリカは超格差社会。国内の主要産業が製造業からテクノロジー関連にシフトしたために高給が得られる職業に就くためには学歴(学士以上)が必要とされる社会となった。ひと昔前までなら低学歴者は自動車関連をはじめとする製造業で働いて十分暮らしていけるだけの賃金を得られた。しかし企業がコスト削減のため人件費が安い海外へ工場を移転したことで賃金の高い単純労働は国内から失われてしまった。仕事を失った低学歴者は以前より賃金が安く、以前より劣悪な職場で働かざるを得なくなった。将来を悲観した彼らの間で、アルコールや薬物の過剰摂取で命を落としたり、自殺したりする者が増加の一途をたどっている。著者たちはそれらを絶望死と定義して本書で分析を試みる。絶望死がもっとも多いのは、低学歴の、非ヒスパニック系白人の、中高年の、男性である。

 

かつての低学歴労働者はたとえ賃金が低くても大企業に直接雇用されており、それが清掃や運転の仕事だったとしても大企業の一員である誇りを持つことができた。現代ではそうした業務は外部委託される。委託前と同じ仕事をしてももはや彼らは大企業の一員ではない。そのことに尊厳を奪われる。

才能があるのになんらかの理由で教育を受けられなかった優秀な子どもが、ビルの管理人からCEOに上りつめることはもはやできない。管理人とCEOは違う会社に雇われ、違う世界に住んでいるからだ。世の中には高学歴層世界と、低学歴層世界がある。後者に属する者が前者に属する希望は持てない。

 

将来性のない男性は結婚もできない。彼らは親世代より厳しい生活を送ることになる。

 将来性のない男性は、結婚相手にふさわしくない。今や低学歴の白人の婚姻率は下がり、結婚して子どもの成長を見守り、孫の顔を見るという恩恵を多くの男性が得られなくなった。(略)将来の展望がないと、親と同じような人生を築き、マイホームを持ち、貯金をして子どもを大学にやることは難しい。給料のいい仕事が足りないと、コミュニティとそこで提供される学校、公園、図書館といったサービスの存続がおびやかされる。

 仕事はただ収入源というだけではない。労働階級の暮らしにおける行事、風習、日課の基盤となるものだ。仕事が破壊されれば、最終的に、労働階級は生きていけなくなる。人生の意義、尊厳、誇りを失い、婚姻関係やコミュニティを失うことで自尊心も失い、それが絶望をもたらす。収入の喪失は二の次なのだ。

 

本書のキーワードとなるのが学歴である。高学歴者と低学歴者では同じ国に暮らしているのに別世界のようなのだ。学歴は親の年収や家庭環境等の反映だから高学歴者の親の子どもは同じく高学歴者となる可能性が高い。その逆も然り。こうして階層が固定化され、格差が強固になっていく。

 学歴の高低によって世界は分断された。(略)職場においては、今の企業は学歴によって隔離される可能性が高い。昔はさまざまな学歴の人々が同じ会社の一員として一緒に働いていたのが、社内でこなしていた簡単な仕事の多くが外部委託されるようになった。学歴の違う人々はいまや住む場所でも隔離され、成功者は住宅価格が高い地域の、恵まれない人々では手が届かないような家に住むようになった。(略)パワーカップルは子どもの学校行事を除いて地域活動に参加する時間がないので、学歴の高い親と低い親がお互いに知り合う機会が少なく、互いの心配事を理解することもなければ、一緒に社会活動に参加することもない。

 

学歴によって健康にも格差が生じる。高学歴者ほど健康で低学歴者ほど病気や早逝のリスクが高い。低学歴者の生活の質の悪化が彼らの死の背景としてある。それはまた痛みの問題でもある。肉体的な痛みであれ、精神的な痛み(拒絶、排除、喪失による「社会的痛み」)であれ、人は耐え難い痛みが決して改善しないと信じて絶望し、自暴自棄になったり死を選んだりする。現代アメリカにおいて最も痛みを訴えているのは大学を出ていない中年世代である。高齢者よりも中年の方が痛みを訴えているのだ。三ヶ月以上続く痛みを「慢性的痛み」という。この、原因が何かわからず治療方法もない「慢性的痛み」を訴えるアメリカ人は調査によると1億人以上もいるという。

慢性的痛みに対する理解はまだ低く、治療も進んでいない。長年、痛みは怪我に対処するために脳に送られる信号として理解されてきたが、その考えは今では放棄されている。代わりに、心がすべての痛みにかかわっていて、社会的苦悩や共感的苦悩が物理的怪我による苦悩と同じ形で痛みを生じさせるという認識が広まった。

本人があるといえばそこに痛みが存在しているのだ。その痛みが彼らを絶望死へと向かわせる。自分も四十肩で二年近く整形外科へ通院してリハビリをしていた時期があって、たかが関節炎というなかれ、関節の痛みそれ自体に加えて眠れなかったりイライラしたり憂鬱になったりと別の苦しみへ派生する。痛みによって人生の質は大きく下がる。

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だから肉体的にせよ精神的にせよ痛みを抱えている人が絶望から自殺したり自殺行為に向かったりするのは理解できる。

 2017年、15万8000人のアメリカ人が私たちが呼ぶところの絶望死で命を失った。つまり自殺、薬物過剰摂取、アルコール性肝疾患、肝硬変によってだ。これは、ボーイング737MAX機が毎日3機墜落して、乗員乗客が全員死亡するのと同じ数字だ。

 

絶望にとってもっとも重要なのは家族、コミュニティ、宗教の衰退だ。これらの衰退は昔ながらの労働階級の暮らしを可能にしていた賃金や仕事の質の悪化なしには起こらなかったかもしれない。だが、中心となるのは生活様式の崩壊であって、物質的幸福の減少ではない。賃金は直接的に影響するのではなく、こうした要素を通じて作用している。

 

産業構造の変化により労働階級の生活もコミュニティも教会も破綻した。彼らは痛みから一時的にでも逃れたくてアルコールや薬物に依存し、耐えられなければさっさと銃で頭を撃ち抜くか首に縄を巻いて椅子を蹴る。反対に高学歴・高所得者たちは富を独占し、あらゆる手段でそれをさらに増やそうとする。少数のエリートによる大衆からの収奪。その一例として挙げられるのがオピオイド鎮痛剤だ。ケシから作られるこの鎮痛剤(ヘロインもオピオイドの一種)は効果が強い代わりに中毒性がある危険な薬物で、アメリカ以外では使用が制限されている。しかし製薬会社は金になるからとオピオイドを承認するよう政府にロビー活動をし、医師たちへ売り込み、資金提供している支援グループを通じて働きかけるなどしてオピオイド鎮痛剤が処方できるよう運動した。結果、痛みは緩和されたかもしれないが依存症や中毒といった別の問題──もちろん製薬会社には予想できたはずだ──が生じた。有名なジョンソン・エンド・ジョンソンも、タスマニアの農場で子会社を通じてケシを育て、アメリカ国内向けオピオイド鎮痛剤の原料として「合法的に」仕入れていたという。同じ頃、アメリカ軍はアフガニスタンのケシ畑を爆撃していたのだが。危険薬物の依存症者を増やして金儲けとは、製薬メーカーは現代の死の商人か。

アメリカ)政府と法制度は共犯者だ。(略)アメリカの医療業界はその最たる例で、それはオピオイドの製造会社や卸売業者だけにとどまらない。彼らの行動責任は、本書を執筆しているこの瞬間にも法廷で問われている。彼らの行動は典型的ではないものの、上に向けて再分配するために市場支配力を用いるという病弊であり、つまり持たざる多数から持つ少数に吸い上げる病だ。議論はあるだろうが、より一般的にはアメリカ資本主義の病でもある。受益者は、大株主でもある富裕層だけでなく、退職基金で間接的に株を保有している高学歴エリートの多く、そして低賃金も含めて企業の利益を増やすあらゆることで得をする人々だ。半世紀以上にわたって続いているプロセスが、労働階級の暮らし、高賃金、良い仕事の基盤を少しずつ侵食しており、絶望死を引き起こす中心的役割を果たしてきたと主張したい。

上から下へ再分配するのではなく、逆に下から上へと吸い上げるプロセスはレントシーキングと呼ばれる。著者たちはこのレントシーキングを制限することが絶望死対策として有効だと提言している。アメリカの医療制度の問題点に関しても長々と書かれているのだがそのあたりは流し読みした。

 

日本はまだアメリカほどの超格差社会にはなっていないがいずれ追いつくだろう。コロナ禍によりデスクワーク可能な層と出勤せねば暮らしていけない層(エッセンシャルワーカーという語に欺瞞を感じる)の格差が見える化された感もある。日本でも学歴によって健康格差が生じていることはすでに観測されている。

 

 

就職氷河期世代(自分がそう)の健康状態は他の世代に比べて劣っている、非正規雇用は健康面で不利、社会参加活動はメンタルヘルスにプラスの効果を及ぼしそれが一部の生活習慣病の発症リスクを軽減する、中高年の健康は学歴に左右される、など。

 

 

安い仕事をする人間は安く見られる、とか人間の尊厳を剥奪する労働について。

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不況と健康の相関についてなど。

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