ジェームズ・ブラッドワース『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』を読んだ

 

イギリスのジャーナリストによる最低賃金労働現場の体験ルポ。原題はシンプルにHIREDなので邦題はだいぶ盛っているというか煽ってるというか。著者が体験したのはアマゾンの倉庫(フィルメントセンターと呼ばないといけないらしい)のピッカー、訪問介護、コールセンター、ウーバー(イーツじゃなくて配車サービスの方)の四つ。著者はこれら四つの仕事にそれぞれ別の都市(町)で就いている。仕事内容についてのみならず働く土地の現状や歴史についての記述もかなり多い。

 

アマゾンの倉庫があるのはかつて炭鉱で栄えた町だった。この町は鉱山の閉鎖により大量の失業者を出した。おそらく土地が安かったのだろう、アマゾンはここの土地に倉庫を建て、失業者たちを雇った。雇われた人々は最低賃金でろくに休憩もとれないような仕事を、それでも仕事がないよりマシと受け入れた。しかし現在(本書の執筆は2017年)ではアマゾンで働いている人の大半はイギリス人でなく東欧からの移民だという。

これらの町は、だいたい次のような道をたどることが多い。炭鉱が閉鎖され、多くの住民たちがしばらくのあいだ失業保険で食いつなぐ。最後には経済的な「再生」が訪れるが、それをもたらすのは往々にして、不安定で低賃金の仕事を提供する多国籍企業だった。これらの共同体にとっておそらくより屈辱的なのは、仕事を必要とする住民たちが、アマゾンのような企業にぺこぺこ頭を下げるだろうと見くびられていたことだった。

アマゾンの倉庫での仕事は辛い。最低賃金で、週ごとの労働時間の定めがないゼロ時間契約。ピックする数が少なかったりトイレから戻ってくるのが遅かったり、いやそれどころか体調不良で休んだり交通機関の遅延による遅刻をしたとしても、ピッカーを管理するマネージャーによって評価を下げられ、一定値以下になれば契約を打ち切られる。バスが渋滞にはまって遅れたのだから自分のせいではない、そんな言い訳をしたところで通じない。雇う側にしてみれば代わりの労働力などいくらでもいるのだ。著者は倉庫での労働(労働自体の肉体的過酷さもさることながら休憩時間に広大な倉庫内の移動が含まれるため実質的に短い)により、帰宅後は疲れ果てて何もする気にならなかった、と述べる。一日中時間に追い立てられて動き回った後で、帰宅して料理を作る元気は出ない。自然と食事はジャンクフードや冷凍食品など手軽だが健康的とは言えない、しかも金のかかるものになる。食事だけではない。「単純労働による身体的・感情的な消耗を、何かで補う必要に迫られ」、酒やタバコに手を出すようになる。これは「残された数少ない喜び」だから。また、彼ら最低賃金で働く低所得者には時間もない。仕事が終わってもマイカーがないからバスの発車まで待たねばならない。書類を提出する必要があれば印刷できる店を探さねばならない。派遣会社の明細がしょっちゅう間違っているので(ただし支給額が実際より多くなる間違いは絶対に起きない)問い合わせの電話をしなくてはならない。それらすべての用事を終えたあとようやく家に帰れる、ただし徒歩で。日曜日、中流階級の人であれば昼には多めに調理してそれらをタッパーに移し、家事を時短する丁寧な暮らしを送れる。一方で低所得者は日曜日も生活のために出勤しているか、疲れ果てて家で死んだように眠っているか、安い酒を飲んで酔っ払っている。丁寧な暮らしなんてのは余裕あるブルジョワにのみ許された贅沢なのだ。

 中流階級の人々を驚かせるのは、悲惨で哀れな仕事そのものではなく、そのような仕事に就く者たちが示す態度のほうだ(そういった態度を引き起こす原因がしばしば陰鬱な仕事そのものにあるという事実はとりあえず置いておこう)。ロンドンのオフィスという繭のなかで専門的な仕事をする中流階級の人々は当然のようにこう考える。労働者がジャンクフードと油と砂糖をたらふく食べるのは、彼らが怠惰で優柔不断だからにちがいない、と。結局のところ、中流階級の人間が同じようなことをするのは、心が弱ったときか、あるいはカロリー計算をきっちりしたときだけだ。つまり、彼らは自分が食べるに値すると感じたとき、チョコレートバーやケーキで自らにご褒美を与える。(略)一方、労働者階級の人々は、現実からの感情的な逃げ道として脂っこいポテトチップスを買う。ある午後にニルマールが私に言ったように、「この仕事をしていると無性に酒が飲みたくなる」のだ。

 まったくそのとおりだった。アマゾンの倉庫での仕事は、肉体的にきついだけでなく、精神的にもうんざりするものだった。1日の終わり、赤く腫れて熱を帯びた足に絆創膏が必要なのと同じように、この仕事には感情のための緩和剤が必要だった。専門的な仕事にはたいていなんらかの楽しい側面があるものだが、アマゾンの倉庫のような社会の底辺で働くのはまったく楽しいものではなかった。(略)シフトが終わって真夜中ごろ家に着くと、私はブーツを蹴って脱ぎ、マクドナルドの袋と缶ビールを手にベッドに倒れ込んだ。家に帰って30分ほど台所に立ってブロッコリーを茹でようなどとは思わなかったし、似たような仕事をする人のなかで、そんな行動をする人物に会ったことはなかった。

かなり長い引用になったがこの部分は自分には堪えた。貧困層ほど肥満率が高いといわれるのも上記のような生活と関係しているのだろう。労働がその人の人生を規定する。労働が原因で人が死ぬことだって決して珍しくはないほどに。この箇所を読んで、やはり労働は呪いだ、労働は悪だとの思いを一層強くした。

 

アマゾンの倉庫のような職場で働きたくないから若者は奨学金を借りて大学に行き、卒業と同時に借金を背負う。しかし今日、イギリスの大卒者の58パーセント以上が本来は学位を必要としない仕事に就いているのだという。政治家たちはこれ以上専門的な仕事を創出する経済状況を作ることができなくなり、結果、奨学金という借金を背負った何千人もの大卒者たちが、現場仕事をしたりコールセンターのクレーム処理をしている。まったく希望がない。

 

ウーバーもまたアマゾンと同じように労働者をいくらでも代わりがきくものとして扱う。彼らは言う、ドライバーはウーバーに雇用されているのではない、プラットフォームを貸しているだけの自営業者だと。ケン・ローチ監督の『家族が想うとき』の主人公と同じく、契約のときには「この仕事は自分が自分のボスになれる仕事だ」と綺麗なことを言う。しかし実際には自営業者の自由はウーバーにはない。一旦アプリをオンにしてしまえばウーバーのアルゴリズムの指示に従うのみ。客のいる場所が遠いなどの理由でキャンセルすればペナルティとしてそのあと何分かアプリが利用できなくなる。キャンセルを何度もすれば指導、しまいにはアカウントの永久利用停止。ウーバーが言うとおりドライバーが自営業者ならば料金や客の乗車に関しての裁量権は彼らにあるはずだ。しかしそんなものはない。客を乗せるまで目的地がどこかわからないし、距離が近いからとか客が泥酔しているからとか至極もっとも理由でドライバーが乗車拒否すればペナルティが、さらに先にはクビが待っている。自営業者がクビになるとは?

 

ウーバーのような仕事は「ギグ・エコノミー」と言われる。ギグとは「単発の仕事」。ギグ・エコノミーという経済形態は2008年の世界金融危機後に起きたものだという。2008年、イギリスには380万人の自営業者がいた。それが2016年には過去最高の470万人に増えた。

金融危機が起きてから自営業者の数は100万人近く増えた。楽観的な見方をすれば、積極的に独立して事業をはじめようとする起業家が増えていると考えることもできる。しかし、そこにはある疑いがあった。経済の多くの領域で利益率が低下するなか、企業は彼らが従業員ではないとうまく見せかけることによってコストを抑えてきたのではないか?

現代の資本家は、かつてディケンズが描写したような、シルクハットをかぶって葉巻をふかし、気に入らない労働者は蹴りとばす肥満体の紳士ではない。現代の資本家の多くは「ワイシャツの襟元のボタンを外し、袖をまくり上げ、多様性について熱弁を振るうような人々」──夢やら愛やら自己実現やら、美しい言葉を用いた爽やかな弁舌で巧みにこちらを魅了するような人々なのだ。だから恐ろしいのだ。

 

ウーバーは市場のシェアを拡大するために価格を低く設定する。客の中にはドライバーを人間扱いしないような不届き者が多数いる。低価格のサービスであることが客のそういった態度を助長している、とドライバーたちは口を揃えて言う。

「安い仕事だからだよ」とアマンは言う。「残念なことではあるけど、低賃金の仕事をしているとまわりから見下される。誰もこちらに敬意を払おうとはしない」

一日の大半を費やしてしたくもない労働を生活のために我慢してやっているだけでも苦痛なのに、さらに他人から屈辱を与えられるとは。

 

本書を読んで、繰り返しになるが、労働は呪い、労働は悪との思いを強くした。前述したが仕事のみならず土地に関する記述も多く、とくにコールセンターの章はかつてあった炭鉱の話が長かったので読み飛ばした。訪問介護の章も著者はほとんど仕事をしていない(就業許可が下りなかった)。なのでアマゾンの章とウーバーの章だけ読めば、多国籍企業による労働者の搾取、人間性の剥奪といった問題は読み取れると思う。遠い外国の話とは思わない。多国籍企業のやることはイギリスだろうと日本だろうと同じだろうから。他人事とも思わない。自分も五回転職をしているし、震災後は一年近く仕事がなく何十社も面接を受けて落ちた経験があるから。今多少は余裕ある暮らしを送れているのは偶然に過ぎない。著者の結びの言葉どおり、

 インターネット・ブラウザーを通して出前を頼み、クラブからの帰りにタクシーを呼び、紅茶を飲みながら商品を注文する──その便利さを謳歌する人物が、いつギグ・エコノミーの世界の住人になってもおかしくはないのだ。

この記事にアマゾンの商品リンクを貼る欺瞞よ。

 

 

読んだのが何年も前なのでもう内容は忘れたがこの本も低賃金労働の体験ルポで結構よかったような記憶が。

 

 

ケン・ローチ監督は偉大。

家族を想うとき (字幕版)

家族を想うとき (字幕版)

  • クリス・ヒッチェン
Amazon