映画『プラットフォーム』を見た

 

MOVIX昭島にて鑑賞。40人くらい。ほぼ男性ばかりだった、とは同行者のコメント。自分はまったく気付かなかった。中央あたりに上映中ずっとポップコーンを音立てて食ってはゲップしている客がいて嫌な気分になった。映画館、いいんだけど新作の配信サービスがあれば同料金払うからそっちでもいいと思うことが多いのは自分の狭量さゆえ。でも棲み分けできるなら選択肢が多いのはいいことなので、コロナ禍をきっかけにそういうサービスが出てきてほしい。自分は他人の挙動が気になるケチな人間です。

 

正方形の、洗面台とトイレしかない部屋に二人一組で配置される。中央には巨大な穴。一日に一度だけ、最上層から食事の載った台が降りてくる。その台がある間だけ食事にありつける。一定の時間が過ぎると台は下層へと移動する。1層以降の人間たちは上層の食べ残しを食べることになる。後で食べようと保存する事は事実上不可能な仕組みになっている。当然ながら下層へ行けば行くほど食事の量は減っていき、全体の半分を過ぎる頃には何も残っていない状態になる。階層は1ヶ月ごとにランダムで入れ替わる。

 

上層の人間は下層の人間のことなど考えない。自分が食事にありつければいい。必要以上に食ったり、次に食う人間への嫌がらせとして唾を吐いたりする。ゴミはそのまま放置。上層にいる間は、ただ上層にいるというだけの理由で下層の人間を人間以下に思っている、一ヶ月後には立場が変わるのだが。シチュエーションが全ての映画なので、この施設を誰が何の目的で運営しているのか、など設定的な謎は明かされない。ただ、最上層である0層では、料理人たちが品質や味や盛り付けに徹底的にこだわってプラットフォームの料理を提供しているらしいことが描かれている。責任者らしき人物が、料理に毛髪が混入していたことに激怒するシーンがあるが、提供すれば瞬く間に食い荒される料理の品質にあんなにうるさいのは一種のブラックユーモアだろう。豪華で見栄えの素晴らしい料理の数々が、あっという間にぐちゃぐちゃに食い荒らされるのはグロテスクというほかない。

 

下層までは食い物が回ってこない。だから飢えのために自殺したり、互いを食おうと殺し合ったりする。人肉食のシーンもあり、モザイクがかかっているため一層想像力を刺激されてちょっと気持ち悪い。しかし、中盤に登場する元・施設スタッフによると、提供される料理は全員分あるのだという。全員が欲張らず必要な分の食事だけをとれば最下層まで足りる計算で作られている。なのに足りなくなるのは人間のエゴイズムのせいではないのか。それを知った主人公は、この施設のシステムを打破しようと行動に出る。同室者と二人で、最下層まで食事と共に台に乗っていき、下層まで公平に分配しようとする。そして一品、全く手を付けていない料理を最上層まで送り返すことができれば、エゴイズムの克服というメッセージとして管理者に届くのではないかと期待する。もちろんそんな理想が飢えで理性を失いかけている人間たちに容易に届くはずがない。主人公たちの行動は命がけの革命行動となる。

 

下層へ降るほど生存者の数は少なくなっていく。死体ばかりが部屋に転がっている。ここから下にはもう生きている人間なんて一人もいないのではないか、そう思った主人公たちは、最下層近くになって、一つの究極の選択を迫られることになるだろう。本当のエゴイズムの克服とはどういうことか、という選択。

 

いうまでもなく、この映画における料理とは社会の富のメタファーだろう。重層構造の施設とは社会における階級だろう。理想を語る主人公が「共産主義者か」と詰られるシーンがあったり、彼が読んでいるのがセルバンテスの『ドン・キホーテ』であることもそれを示唆している。上層の人間が富を独占し、下層の人間には残さない。譲らない。下へ行けば行くほどに貧しくなり、自ら命を断ったり殺し合ったりするほどまで追い詰められる。でも、富をもっと平等に、公平に分配出来たら、この世界は変わるのではないか。むろん、現実社会にはこの映画のような都合のいいメッセージになるものは存在しない。それを誰に届けるべきかもわからない。メッセージを管理者がどう受け取ったかまでは映画に描かれてはいない。おそらくは現実においても、映画と同様、富の公平な分配が鍵になるのだろうが。

 

現実の社会問題をSF的シチュエーションに仮託して描いた映画としてとても面白かった。グロシーンはそれほど過激ではない。というか、なんかちょっと過剰に暴力シーンを入れてないか、とたびたび気になった。娘を探している女性の行動が特に。犬を傷つけるのはやめてくれよ、直接描写はないにしても傷つける必然性ないだろう、と該当シーンには少し腹が立った。密室ではないのに部屋の温度管理ができたり、唐突に「偉い方」が登場したり(なんでそんな人がこんな場所にいるんだよ)、そもそも最上層まで上がる方法は下層の人間であれば思いつきそうなものだが等つっこみたい部分はあるものの、それをいうのは野暮というもの。シチュエーションを思い切り楽しんで見たい。自分はそうした。とても満足して、いい映画を見たいい気分で映画館を後にした。