俺の好きな要素いっぱいで最高──映画『NOPE/ノープ』感想

ジョーダン・ピール監督作品は『ゲット・アウト』も『アス』も見ている。前者は配信で、後者は劇場で。前者、B級感ありつつ話は面白く気持ち悪さもあり、後者はつまらない…というかアホらしかった。というわけでこの監督のファンというほどではないけれど『ノープ』は予告編がすげー面白そうだったのでちょっと遠い映画館までわざわざ見に行った。


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土曜夕方の回で観客は50人ほど。ホラー? のわりにはかなり入っていて意外だった。宣伝やってるのかな? でも宣伝するの難しそう。

 

感想としては、最高。すげー面白かった。エンドロール中観客の誰一人席を立たず、照明が点くと、劇場内が、いい映画だったとき独特の空気に包まれていた…ように感じた(うまく表現できないが声にならない満足のため息のようなものがあちこちから聞こえるような)。ああ、これが映画館で他人と一緒になって映画を見ることの醍醐味か、と何年か前に『グレタ』をシャンテで見たときのようないい気持ちに。斜め後ろに、鼻息の荒いおっさんさえいなければマジで最高だった。他人の吐息を聞かされるみたいでキモいんだよ(狭量)。

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以下、ネタバレあり感想。

俺はこの映画を「SFの皮を被った『ジョーズ』」と見た。『ジョーズ』、マイ・フェイバリット・ムービーである。予告を見るとUFOが思いきり映っているからてっきりSF映画だと思っていた。まあSF映画ではあるのだが、となるとUFOの中にはグレイとかいう真っ白でつんつるてんの巨大な目をした宇宙人が乗っているのだろうな…という自分の(浅はかな)予想を見事に裏切る設定。すなわち、あれはUFOではなく生物だったと。この斬新な設定にはびっくり。手垢がつきまくっているオブジェクトもアイデア次第でこんなに面白くできるんだと感動もした。

 

冒頭、ナホム書からの引用がある。これは手許にある新共同訳で映画冒頭のとは少し言い回しが違うが、「わたしは、お前に憎むべきものをなげつけ、お前を辱め、見せ物にする」という一節。そのあと、テレビドラマのキャラクターだったゴーディという名のチンパンジーが撮影中突如暴れ出して出演者に襲い掛かるショッキングなシーンが描かれる。このシーン、最初は意味がわからない。しかし展開が進むにつれ本作の象徴的なシーンだったと理解できてくる。人間は己の利益のために野生を飼い慣らし、利用しようとする。チンパンジー然り、馬然り、あるいはもっと巨大な自然のエネルギーまでも。しかし一見服従させたように見えても野生は決して人間が屈服させられるものではなく、何かきっかけがあればすぐさま牙を剥く。決して飼い慣らせない野生・自然への畏怖・畏敬。それが本作のテーマだと自分は見る。

 

かつてドラマの出演者で事件の当事者でもあったジュープは今はアミューズメントパークを経営している。彼はゴーディ事件に異常に執着し、おそらく当時の恐怖はPTSDとなって今も彼を苛んでいる。当時少年だった彼は目の前で共演者が瀕死になるまで殴られ、食われるのを至近距離で目撃し、しかし凶暴化したゴーディに襲われることはなく、心を通わせてグータッチするという奇妙な経験をしている。野生の恐ろしさを目撃しながら、自分ならば飼い慣らすのが可能だと錯覚させるような出来事。成長した彼はUFOの外見をした怪物と「協定」を結んで自身の金儲けに利用しようとする。最初はうまくいっていたが徐々に制御できなくなり、遂には自らも餌食となる。怪物の食道だか胃だか判然としないが、食われた人間たちが断末魔の叫びとともに消化されていくシーンは見応えがある。でもこれを残酷と見るのは人間中心主義的な見方で、怪物にとっては単なる食事、生命維持活動に過ぎない。自分はこのシーンを見ながら、先日知った、飼っていたピットブルに襲われて死亡した女性の事件を連想した。

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悲惨な事件の背景には野生を侮る傲慢さがある。「お前を辱め、見せ物にする」。ジュープが怪物を飼い慣らそうとしたのも、CM撮影に使う馬を怖がらずに見下す撮影スタッフも同じ過ちを犯していながら自覚がない。さらには人が毎夏、川や山や海へ行楽に行って命を落とすのも、同じく野生や自然に対する恐れの圧倒的な欠如、感覚の麻痺に基づいているだろう。

 

主人公のOJは野生との付き合い方をわきまえている。相手の目を見ることが攻撃のスイッチになるのだと理解して怪物から目を逸らし九死に一生を得る。その習性を利用して妹を助ける捨身の行動にも成功する。肉食獣たちは獰猛だと言われる。しかし意外にも彼らは決して好んで争ったりはしない。攻撃するよりも去るか、威嚇して相手を退けようとする。山中のクマもそう。襲えば人間に勝てるのに彼らは気配を察知すると近づこうとせず奥へ引っ込む。無用な争いは基本的に回避する。これは「怖がり」あるいは「痛がり」でないと野生ではすぐ命を落としてしまう、という自然界の知恵なのだろう。好んで争うのは人間だけである。満員電車内で足を踏まれたとか、すれ違う際に肩がぶつかったとか、運転していたら前に割り込んできたとか、そんな些細なことですぐ逆上する。相手が自分たちと違う考え方をしているというだけで戦争にまで発展する。野生動物たちは沽券や面子を気にしない。イデオロギーなんて持っていない。何より生存が第一だと正しく理解している。野生と人間の対比という問題は、映画を見ている最中ずっと頭から離れなかった。

 

わかったつもりでも実はわかっているのはごく一部に過ぎない、あるいは当人の錯覚に過ぎない、永遠の謎である他者という問題。

フォークナーの短篇やレムの『ソラリス』、漫画『寄生獣』にあった野生への畏怖、あるいは人間中心主義への批判という問題。

このどちらも自分が関心を抱く問題である。これらを扱いながら、オブジェクトとしてUFOを利用する。『ジョーズ』のようなモンスター・パニック。舞台となるのはアメリカの荒野。こんなに自分好みの要素が盛り込まれていて面白くないわけがない。ストーリーだけじゃない、絵も素晴らしい。舞台になる溪谷のだだっ広さ。周囲には民家どころか建物すらない。この途方もない土地の広さがいかにもアメリカという感じで、スクリーンを見ているだけでワクワクする。無知な自分は読み取れなかったけれどたぶん西部劇的なモチーフも含まれているだろう。ラストシーンなんていかにもそれっぽかったし。怪物の変形も見応えがあった。はじめはUFO、それから羽のあるクラゲのような形態に。パークのセットといい、すげー金かかってんだろうなーと惚れ惚れ。空気人形を吸い込む理由はよくわからなかったが、ガスで爆散するのは『ジョーズ』のオマージュだろう。硬貨は父親の命を奪ったが、最後は「オプラ写真」撮影のための重要な小道具となっていて面白い。正直、終盤はちょっとだれる。尺が少し長くも感じた。でも冒頭から中盤の、家の真上に怪物が来て、消化した人間の血やさまざまな異物を吐瀉するあたりまでは予測できない展開にずっと緊張感を持続させて見ていた。血の混じった大量の水(あれは本当に雨だったのか、それとも怪物の排泄行為か鯨の潮吹きみたいなものだったのか)が玄関の階段のところを猛烈に流れていくシーンに、全然絵は違うのに『シャイニング』のエレベーター前の血の奔流を連想した。

 

過去の二作と比較して圧倒的に金がかかっているのが素人目に見てもわかる画面の豪華さは楽しい。過去作と比較して人種問題が薄味なのも自分にとって見やすかった。ただ、ジュープの存在は引っかかった。両親や姉は明らかに白人なのに彼はどう見てもアジア系、しかもそれを触れてはいけないことのように過去のドラマでは取り繕っている。人間の欺瞞の犠牲者同士、ということでジュープはゴーディと意思疎通ができたのだろうか。しかしその後は、彼も驕り搾取する側に回ってしまう。悲しいことだ。

 

この映画はIMAXカメラで撮影した初のホラー映画とも言われている。できればもう一回、今度はIMAXで見たい気持ちはあるが、『トップガン マーヴェリック』や『ワンピース』と比較するとマイナー扱いらしく(仕方ないことだが)上映回数が少ないので(そもそも通常上映してくれる映画館自体も少ない、だからわざわざ遠い映画館まで出向く羽目になった)来週以降でどうなるか。こんなに面白いとは予想外だった。『トップガン マーヴェリック』と並んで今年のベスト候補といっていい。