近年で一番の怪作『茜色に焼かれる』を見た

約1ヶ月半ぶりの映画館ですごいものを見てしまった。予告編を見た限りでは昨今のコロナ禍における社会問題諸々を描いたドラマと思えたのだが、実際に見ると、なんというのか、そうはそうだがその枠に収まりきらない怪作としか言いようのない映画だった。これだけ突っ込みどころが多い映画はあまり見た記憶がない。思ったことのすべてを文章にまとめるのが難儀なので箇条書きする。

 

・冒頭の交通事故。明らかに池袋の事故をモデルにしている。加害者の弁護士が被害者の遺族(尾野真千子演じる主人公)に対してあんなに見下したような態度を取るだろうか。これは以降登場するほぼすべての男性キャラクターについても言えるのだが、露悪的に彼らをクズとして描く傾向がある。

・主人公の「まあがんばりましょう」という口癖には何か意味があるのかと思ったが特に何もなく。なぜあんなに思わせぶりに繰り返すのだろうとイライラした。

・息子役の俳優の棒読みが気になった。あと、なぜ終始はあはあ息切れしてるのか。

・風俗店の客。キャストに面と向かって「歳食ってる」とか「責任とって死ね」とか言うかね。ウシジマ君的な露悪趣味。ふつう風俗行って尾野真千子が出て来たらガッツポーズだろ。そういう店行ったことないから知らんけど。サービス受けてる男の顔きもいから映すな。

・息子をいじめる不良グループみたいなのが出てくるが、今時「売春婦」とか言うかね。「風俗」とかって言うんじゃないの。あえて貶めるような言葉を選んで使っていないか。税金のあるべき使い道とか、中学生がそんなこと考えるかね。

・花屋の店長、店の前で注意した後、さらに追いかけてくるのは不自然。注意はその場でまとめてするだろう。この店長とその上司らしきマネージャーもクズっぽい描写。

・施設のスクリーンで童謡を流すシーン、不気味だった。

・息子が自転車に乗る練習をしていたのは、彼が6歳くらいの頃に父親が亡くなってしまって自転車の乗り方を教えてくれる人がいなかったからなのか。自転車で事故に遭ったから自転車禁止の家庭だったのかもしれない。彼がはあはあ言いながら自転車に乗る練習をしていると遠くからそれを指差して笑っている不良グループの登場が、テンプレ過ぎて滑稽だった。

・なぜ職場で家計簿をつけるのか。

永瀬正敏演じる風俗店の店長が、主人公たちの会話を客に丸聞こえだと注意したくせに自分も普通に生きることの無意味について語り始めて笑った。

・風俗店の同僚と二人で酒を飲むシーンの尾野真千子のセリフの寒さ。「叫んだらごめんね。今必死で抑えてる」。すげー共感性羞恥を覚えた。「風俗嬢とかシングルマザーならすぐにやれると思っている男がムカつく」ってなんじゃそれ。映画で言うことか。

・息子のオナニーシーンの必要性。ないだろ。風俗の客の顔を映すのと同じで、監督はリアリズムを勘違いしていないか。露悪的にやって、これってリアルだろ、とか思ってそう。自然主義はリアルの極地か、ただの露悪趣味か。それとも観客を舐めてるのか。

・今時風俗ビラが貼られた電話ボックスなんてない。ケータイが普及する以前ならいざ知らず。やっぱリアル追求しているんじゃないのか。

・なぜ息子が自転車でアパートに到着したタイミングで相手が部屋から出てくるのか。都合良すぎ。肩から水筒掛けてたのはいいと思った。

・堕胎シーンも変にリアルっぽくしていて腹が立った。

・8歳で実の父親から性暴力→糖尿病でインシュリンが必要な体→風俗嬢→堕胎→子宮頸がん発覚。て、盛りすぎだろ。少し抑えろ。笑ってしまった。病気で死なせれば客が感動するとでも思ってるのか。やっぱ舐められてる。

・中学の同級生の唐突な登場。「全て任せろ」とかカッコつけておいてこいつもクズ。離婚したと言うのは嘘だったのか。「客とやって感じるの?」とか「じゃあ上手いんでしょ」とか、実際ああいう空気でそういう発言するかね。なんか漫画とかだと不自然じゃなくても実写でやると不自然になる描写ってある気がする。

・息子は塾に行かず自宅学習もせず本を読んでいるだけで全国模試トップクラスになれるチートキャラ。

・不良グループが息子に執拗に構う必然性がない。

自転車泥棒のシーンなくていいと思う。盗まれた方も気付くだろ。

・主人公がキレるのはいい。しかしなぜ家で塗らず神社のトイレで口紅を塗るのか。「おい!」は迫力があって素晴らしかった。包丁を取り出した時は「刺せ! 殺せ!」と声出しそうになった。この神社のシーンがこの映画の白眉。男が橋の上で蹴られているとき、後ろで店長が「落とせ、落とせ」言ってるところで声だして笑った。

・というかキレるなら自宅に放火した不良グループにキレるのが筋だと思う。相手を好きになった自分にも一端の非はあろう。男にキレるのはお門違い。

・タイトルにもつながる、一番大事な夕暮れの母子二ケツシーンがバレバレの合成で興醒め。そこはちゃんと撮ってほしい。

・ミュージシャンで、本を大量に持っていて、有り金全て新興宗教に巻き上げられて、愛人とその子供がいて…と死んだ夫の設定盛り過ぎ。

・死んだ夫の愛人の娘は今年高校生だという。主人公の息子は少なくとも中学二年だろう(不良グループが自分たちは年上だと言っている)。ということは愛人の子供の方が年上で、というとそれは本当に愛人なのだろうか。むしろ主人公の方が愛人だったのでは…? ということはこの映画は彼女の妄想なのか? と戸惑った。多分設定ミスだろうが。

・この愛人と夫のバンド仲間のやりとり(無駄な性欲描写)は展開上不要。

・花屋の店長が、大事な取引先の娘にボディタッチしまくっているのはなんだあれ。

・最後まで、主人公が事故の加害者から慰謝料を受け取らなかったこと、愛人に養育費を払っていることの説明がないのでスッキリしない。「母ちゃんは難しい人だ」という息子のナレーションで済ませてしまうのは雑。

・ラストの芝居のシーンがやばすぎる。見てはいけないものを見てしまったような気まずさが笑いより先にきた。周りからは笑い声が結構起きてた。連れも笑ってた。永瀬正敏が真顔でカメラ回してるのがシュール。「神様」ってなんだ。

 

覚えている限りではこんなところか。この映画はとにかくラストがやばすぎる。意味が全然わからない。あと、作中で頻繁に「ルール」という言葉が出てくるのだが、コロナによって明らかになった日本の同調圧力のことを言っているのだろうか。貧困、格差、母子家庭、虐待、いじめ、女性差別、女性蔑視、セクハラ、そしてコロナ。描写は陳腐なのに、監督は大真面目に、「今の日本のリアルを描き切った」とかドヤ顔で思ってそう…と自分は感じて、見終わってげんなりしたのだが、Twitterで軽く検索すると結構評判いいようで驚いた。ただ、駄作とまでは思わない。自分に撮って駄作とは、紋切り型の設定やセリフ、予定調和な展開に終始し、見ても何一つ得るもののない作品のこと。この映画は少し違う。陳腐さに満ち満ちていながらどこかズレていて、お約束をはみ出していくところがある。露悪趣味もいいスパイスといえなくもない。もしかしたら監督はじめスタッフが一所懸命に作ったのかもしれない。一所懸命なものって滑稽さと紙一重な部分があって、シリアスは容易に笑いに転じうる。観賞後、連れはあれこれ突っ込みながら感想を述べ、結構満足した様子だった。自分も突っ込み部分を挙げながら、見終わってからこんなに内容について二人で語った(突っ込んだ)映画を見たのも久しぶりな気がした。

 

稀有な怪作。もし、終盤から一転して尾野真千子が自分を舐めた相手を一人一人殺していく展開になったら(包丁を持ち出した時、そうなったらいいなと思いながら見ていた)、自分にとってはすごい映画になっていた。