ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』を読んだ

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ヴィリエ・ド・リラダン・コレクションの第一弾。『未来のイヴ』『クレール・ルノワール』と続くとの告知。小説を集めたコレクションであるようで「生活なんてものは召使いにさせておけ」の台詞で知られる戯曲「アクセル」が収録される予定があるかどうか微妙。読んでみたいのだが。

 

リラダンは斎藤磯雄訳で『未来のイヴ』のみ一度読んでいる。1886年発表のこの小説は、人造人間にアンドロイドという呼称を用いた最初の作品だという。リラダンを知ったきっかけは押井守監督の映画『イノセンス』のエピグラフだった。「われわれの神々もわれわれの希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」。この『未来のイヴ』からの引用、映画で知ったときは哀切な訴えのように思えたのだが、実際に小説を読むとどうやら作者は諷刺・嘲弄の意図で述べている様子だった。

 

リラダンはその淵源を11世紀に遡る貴族の出身だったが、彼が生まれたときはすでに家運は衰え、「マルタ騎士団の財宝探しの夢に錯乱した父ジョゼフ=トゥーサン=シャルル侯爵のために家族は困窮状態にあり、ブルターニュ貴族の血統への矜持をほとんどおのれの存在理由のごとく抱懐しつつも、ヴィリエは経済的問題に生涯苦しめられることとなった」(訳者解説)。自らの血統への矜持、当時の新興勢力であったブルジョワへの侮蔑、自身を認めようとせぬ社会への怨嗟、そういったものが彼の文学の底流にあるように思う(生涯女性関係に苦しんだゆえのミソジニー傾向も窺われる)。再び訳者解説から引用すれば、「『残酷物語』全体を通じて提示されるメッセージは明確であり、すなわち第二帝政から第三共和制にかけての時代の、実証主義に基づく物質万能主義に毒されたブルジョワ社会に対する批判である。(中略)効率性や金銭を崇拝し権力者によって容易に扇動される一般大衆と、社会から疎外され孤高を保つ精神的貴族との二項対立が、作品集全体に通底する基本図式となって」いる。本書には怪奇小説歴史小説、SF、諷刺小説、詩などバラエティに富んだ作品が収録されているが、とくにSFや諷刺小説に上記リラダンの批判精神が顕著と見る。

 

数えると28もの作品が収録されている。が、正直に言って楽しく読めたのはそのうちの数篇しかなかった。「ヴェラ」「最後の宴の会食者」「人間たらんとする欲望」「断末魔の吐息の科学的分析」「追剥」「王妃イザボー」くらいか。最後に収録の二篇のみ退屈すぎて途中で読むのをよしてしまった。幾つかのSFも今日の目で読むと斬新さは感じられず。世の趨勢が変わるごとに支持を変える浮薄な市民を諷刺した「民ノ声」も、普通に読めるは読めるがこれを小説として今更読んでもなあ…という思いがある。極論すれば本書で本当にいい小説だと感心したのは「ヴェラ」のみである。そしてこの有名な怪奇小説は本書以外にも収録している本が複数ある。

 

新婚の妻ヴェラが亡くなる。彼女を深く愛する伯爵は彼女の死を認めず、彼女が生きているかのように振る舞い続ける。すると次第に言動が自身を欺き、本当に彼女が生きているかのように錯覚する。しかし妻の一周忌の日、突如伯爵は我に帰る。妻は死んだと今更ながら悟り、彼女に再会したいと乞い願う。ラストは一種の開かれたエンディングで複数の解釈が可能になっている。筋だけならポーの死んだ妻だか恋人だかを主題にした幾つかの短篇や『死都ブリュージュ』とか、無知な自分は知らないがほかにもいくらでもあるだろうようなものと大差ない。「ヴェラ」が素晴らしいのはその叙述にある。妻の死を認めず、あたかも生きているかのように「演じる」(リラダンは劇作に執心していた)ことで現実と空想の境界が曖昧になっていく過程、一旦は蘇った二人だけの小世界が一周忌で突如夢から覚め、途端に目に映る一切が色褪せていく描写、それらが、多少気取ったようなまだるっこしいところはあるにせよ、装飾的な叙述と内容がよくマッチしていて、もとより自分が怪奇な話を好むというのもあり、いいものを読んだという充実を与えてくれる。すでに死んでいる妻のベッドに向かって「自分が死んだつもりでいる」と声をかけるのだから可笑しく、そしてまた恐ろしい。

 

リラダンのはモーパッサンチェーホフのような筋の面白さで引っ張っていく短篇とは違う。翻訳だからその片鱗しか味わえないが文体にかなりのこだわりがあったようで、そのあたりの機微がこの作家を特徴づけるものだと思う。文学愛好者には読まれ続けるかもしれないが一般的には忘れられつつあるのも無理ない作家かな、というのが正直な感想。だがこのご時世にリラダンの作品集を出すという企画を応援する意味も込めて、続く二冊も購入の予定でいる。

 

 

水声社の本はアマゾンでは取り扱いがないので代わりにこちらを貼っておく。