モンテーニュ『エセー抄』を読んだ

 

箴言の宝庫のような本。各章まずテーマが示され、それについて自身の経験や読んできた本の引用などが続き、やがて話題が少しずれていく。とりとめないというか融通無碍というか、そんな「ふんわり」さが魅力のまさに随想。何年も前に一度読んでいるが、今の時勢にぴったりの一節があった記憶があり、それを確かめるついでに何となく再読。

それにしてもわれわれは大変な愚か者なのである。だって、「彼は人生を無為にすごした」とか、「今日はなにもしなかった」などというではないか。とんでもないいいぐさだ。あなたは生きてきたではないか。それこそが、あなたの仕事の基本であるばかりか、もっとも輝かしい仕事なのに。

 

人間にとっての名誉ある傑作とは、適切な生き方をすることにほかならない。統治すること、蓄財すること、家などを建てることといった、それ以外のすべては、せいぜいが、ちっぽけな付属物とか添え物にすぎないのである。

ステイホーム推奨がもう一年以上も続く昨今、旅行に行く気にはならないし、外出せずにいるうちにそれが習慣になってしまって家にいても何をするでもなくだらだらとネットをしたり映画を見たり読書をしたり、それらもつまらないと思えばすぐ途中で放り出して昼寝してしまったり、と何とも自堕落な休日を送り続けているとだんだん気が滅入ってきて、何をするにも億劫になって何もしたくなくなる。外界と接触する機会が減少して刺激がなくなり退屈のあまり憂鬱になってくる。最近は些細なことが原因で苛つくことが増えたように思う。この夏季休暇中も、コロナ禍と毎日の雨に閉じ込められ、休暇前は、どうせ緊急事態宣言のせいで遠出できないから何か料理を一品覚えてレパートリーを増やそうと計画していたのに、結局面倒くさくなってしなかった。

しょうもない奴。ベッドに寝そべってこんな休日休暇がいつまで続くのだろうと考えているうちに、モンテーニュがなんかいいことを書いていたっけとふと上記引用部分を思い出して、本書中もっとも長い「経験について」の章から読み始めた。本題から逸れて寄り道するような文章が続くので、関心が持てる部分は読み、まだるっこしい部分は飛ばしながら。

魂の偉大さとは、高みにのぼったり、前に進んだりすることよりも、むしろ、自分の場所にいて、境界線を守ることにある。それは、十分なものならば、それで偉大なのだと考えるし、傑出したものよりも中庸を愛することによって、崇高さを示すのだ。人間としての義務をわきまえてふるまうことほど美しく、正しいことはないのだし、この人生に、しっかり対処して生きていくことほど、むずかしい学問はない。

別の章にはこうある。

精神の価値とは、高みにのぼることではなく、秩序正しく進んでいくことにある。魂の偉大さは、高い場所ではなしに、むしろ月並みさのなかで発揮される。

元祖書斎人というべきモンテーニュだが、この人は裁判官として勤務し、職を辞して引きこもったのちも求められてボルドー市長を務めるような実務面で有能な神様のような人だから、自分などが「モンテーニュもこう言っているから」と慰めとするには畏れ多い。でもこんなことも書いている。

わたしとしては、キケロのなかよりも、自分のなかで、しっかりと自分を理解したい。わたしがよい生徒ならば、自分の経験そのものから、自分を賢くしてくれるものをたくさん見つけられるはずだ。過去において、あまりに怒りすぎたことを、どれほど逆上してしまったのかを、きちんと記憶にとどめている人間ならば、この情念のみにくさを、アリストテレスを読むよりも、しっかり納得できるし、この情念に対して、より正しい嫌悪感をいだくことができる。 

 

われわれにとっては、カエサルの生涯も、われわれの生涯にまさる手本にはならない。皇帝の人生であれ、庶民の人生であれ、それはいつでもひとつの人生なのであって、人間の身に起こるすべてのできごとがかかわっているのだ。自分の人生にだけ耳を傾けようではないか——人間は、自分にとりわけ必要なことは、すべて、自分に向かって話すものなのだから。(中略)わたしはあやまちの種類とか個々の実例を、あたかも自分がつまずいた石のように見ることはしない。むしろ、どこでも歩き方に気をつけなくてはいけないことを悟って、きちんとした歩き方をしようと努力する。ばかなことをいったとか、したとかわかっても、それだけでは仕方ない。自分がおろかな存在にすぎないことを悟る必要がある。このほうが、よほど豊かで、たいせつな教えだと思う。 

この人は、当時西欧人が新大陸の先住民を「野蛮人」と呼んだことに対して、彼らは自然に従っているだけであり、戦争に明け暮れる西欧人の方こそ野蛮なのではないかと書くような、当時としては驚くほかないほど広い視野を持つ寛容な考え方の持ち主だった。分断やヘイトを煽るような攻撃的なYouTube動画が蔓延り、そんなものの登録者数が100万だか200万だかを越えているらしい昨今、そんな害しかないものを見る時間があるならモンテーニュの一章(短いものなら数ページしかない)でも読んだ方がよほど人生の豊かさにつながるんじゃないの、という気がするが、自分も人生の限りある時間を無駄に過ごしてばかりで有効活用できているわけではないから偉そうなことは言えない。自分も人格卑しい人間だし。寛容という徳は地味だから人に訴える力が弱いが人類が共に生きていく上でとても重要なんだぜ、と書いたのはヴォルテールだっけフォースターだっけ。

 

「年齢について」「なにごとにも季節がある」「後悔について」「経験について」の章には自身の老化や生活習慣について述べていて、本書も中年本または老齢本として読むことができる。