倉橋由美子『反悲劇』を読んだ

 

 

ギリシア悲劇をモチーフにした短篇集。

「向日葵の家」はオレステスエレクトラの物語。メタ的というのか、登場人物が芝居を演じていることに自覚的だったり、デウス・エクス・マキナを神ではなく人間にやらせているところがユニーク。冒頭の老婆たちは運命を予告するマクベスの魔女たちのよう。エレクトラに対応する姉のLの魅力が乏しいのが残念。展開はほぼ原作どおり(読んだことはないが)。この短篇はさらに「神神がいたころの話」につながる。復讐を遂げたものの悪霊に取り憑かれてパニックに陥った青年はヒッピーとなって各地を放浪する。彼が犯した殺人は法廷で裁かれる。アポロンは弁護士、アテナは裁判官。「向日葵の家」はリアリズム小説として読めるが、「神神がいたころの話」になるとだいぶリアリズムからの逸脱が見られ(野外法廷のシーンなど)、ギリシア悲劇を現代(といっても書かれたのは半世紀も以前の昭和40年代だが)でやることの滑稽さ、難しさが窺える。

 

ヘラクレスとその息子ヒュロス、ヘラクレスの愛人で彼の死後は息子の妻となったイオレーの物語をモチーフにした「酔郷にて」が本書収録作の白眉と思う。飛行機の墜落するところを見た、そしてのその飛行機には妻が乗っていたはず、という魅力的な導入。しかしどうやら墜落事故などはなかったようで、語り手がそう述べるのは彼の願望か、妄想か、それとも酩酊による幻のためであるよう。権力者だった父親から「譲られた」妻、語り手は彼女が父親と関係していたのではないかと疑っている。しかし父親はすでに死に、勘繰っても妻は「ご想像にお任せしますわ」としか答えないので真実は隠されたまま。死後も自分に影響を及ぼす巨大な父親への、そして不気味な他者であり続ける妻への意趣返しをするかのように、語り手はある娘と懇意になる。ほんの遊びのつもりだったのに向こうはこのまま彼の「お世話」になると言い出す。この娘もまた妻と同じように語り手には計りかねる部分があり、「女性という他者」が強調される。墜落事故といい、神話と現実との二重写しの対話といい、酔うと体が大きくなるだの、幻覚小説とでも呼びたくなる奇妙な味わいが楽しい。この短篇だけ文体が妙に吉田健一っぽく感じた。

 

メディア伝説をモチーフにして能だかの要素も取り入れたという「白い髪の童女」は読んでいて既視感がある話で印象に残らず。「コロノスのオイディプス」をモチーフにした「河口に死す」はモチーフがどう対応しているのか分かりづらく、ストーリーも魅力に乏しくいまいち。

 

倉橋由美子の小説は文章がいいので読んでいてストレスがない。ただ、連発される「〜ですわ」という女性のセリフには時代の懸隔を感じた。こんな喋り方する女、昔も今もいないだろ。いや、昭和40年代のいいとこのお嬢さんはそんな喋り方を実際にしていたのか? 19歳で嫁ぐのは早過ぎるわけでもない、みたいな台詞も出てくるし、そういう時代の小説。

 

この本は「酔郷にて」に尽きる。これは自分好みの、何回読んでも楽しめる短篇だと思う。

以上、そんなところ。

 

 

ソポクレスの感想。

hayasinonakanozou.hatenablog.com