エリック・ジェイガー『最後の決闘裁判』を読んだ

 

リドリー・スコット監督の映画の原作。映画へ行く前に内容を把握したく読んだ。結果的には先に読んでから映画を見て正解だった。退屈な映画だったが読んでいなかったらもっと退屈に感じただろう。ただしこの本自体は面白い。

 

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1386年のノルマンディで起きた決闘裁判の顛末。元々は友情で結ばれていた二人の男。一方は領主の覚えめでたく出世の階段を上り、もう一方は扱いづらい気質から冷遇される。富と権力の差が開くほどに友情は弱まっていき、いつか不幸な側は恵まれた側を妬み、憎むようになる。落ちぶれたのは騎士ジャン・ド・カルージュ。登っていったのは従騎士ジャック・ル・グリ。カルージュのものとなるはずだった土地はノルマンディの領主ピエール伯によりル・グリのものとなり、さらにカルージュは城塞の長官職も取り上げられる。自分がこんなにも惨めな目に遭うのはル・グリが出世目的で自分の悪い噂を領主に吹き込んでいるからに違いない、そう信じ込んだカルージュは怒りに任せて公然とかつての友を罵倒する。二人の友情は終わる。

 

互いに禍根を残したこの状況で、カルージュの妻マルグリットが夫の留守中にル・グリに強姦される事件が起きる。ル・グリは否定する。訴訟となるが有罪か無罪か、双方立証できない。男たち二人にはそれぞれこの事件を起こす動機があった。カルージュにしてみれば、長年自分を足蹴にしてきたル・グリを訴えてその富と権力を奪うために、妻に、ル・グリに強姦されたと訴えるよう指示したのかもしれなかった。ル・グリにしてみれば、自分を公の場で罵倒したカルージュへの復讐としてその妻を犯すことを目論んだのかもしれなかった。ではマルグリットは? 彼女は法廷において、命をかけて(当時偽証は死罪だった)「ル・グリに強姦された」と主張した。ちょうど事件のあったタイミングで彼女は最初の子を妊娠していた。強姦は本当にあったのか、それともでっち上げか。歴史書には、後年になって全く別の男が、彼女を強姦したのはル・グリでなく自分だと自白したとの記述もあるという。しかし真相は最後まで「闇のなか」だった。

 

政治的な絡みもあり、パリの高等法院は裁判の帰趨を神に委ねることを決定する。決闘裁判。神は常に正しき者の味方である。だから決闘に勝った方が正しい。敗北した決闘者は偽証罪で処刑される。もしカルージュが負ければ彼は嘘をついていたことになる上、マルグリットも偽証罪で生きたまま火あぶりにされる。赤ん坊は生まれたばかりだった。1386年の12月、かつての友人同士は自身の主張こそ真実だと証するため決闘の場に赴く。

 

 

中世当時の強姦や女性の権利に関する記述に印象的な箇所が多かったので引用する。

中世は無法の時代であり、婦女暴行が蔓延し、強姦は犯罪とは認識されていなかった……。現代の人は、そう想像するかもしれない。たしかに、中世では強姦の被害者が加害者との結婚を強制されることもあったし、加害者のほうも犠牲者との結婚に同意することで自分の命を救うことができた。そして、夫婦間の強姦は法的に認められていた。というのも、妻は結婚により夫に〝借り〟ができるため、たとえまだ一二歳の幼い娘が自分の数倍の年齢の男と家族に無理やり結婚させられたとしても、性の務めをはたさなければならなかった。

 

しかし、中世の法典と現実に起こった裁判の記録を見ると、強姦が重罪であり、極刑に値する罪と見なされていたことがわかる。ノルマンディも含め、フランスの法律はたいてい古代ローマ帝国のやり方にならっており、古代ローマ帝国では強姦──婚姻外で強制された性的関係と定義されていた──は死をもって罰せられた。十三世紀のフランスの法律の権威であるフィリップ・ド・ボマノワールは、強姦にたいする懲罰は殺人や反逆の罪と同様に重かったと述べている──つまり「路上を引きずられたあと、絞首刑」に処せられた、と。

 

強姦の告訴と刑罰は、被害者の社会階級と政治的影響力に左右されるばあいも多かった。フランスでは窃盗のような軽犯罪で有罪となった女性が死刑になる例もあったが、強姦罪で有罪となった男性への刑罰が罰金の支払いだけにとどまるという例もあった──この賠償金もまた被害者の女性ではなく、その父親や夫に支払われるほうが多かった。というのも、強姦は当の女性にたいする性的暴力というよりは、女性の後見人の財産に損害を与えた犯罪であると見なされていたからだ。訴訟記録によれば、強姦罪で訴えられた加害者のなかでは、教会で職に就いている聖職者の数が突出して多かった。だが、かれらは〝聖職特権〟を主張し、一般の裁判ではなく宗教裁判を受け、重い刑罰をまぬかれた。

やっぱ聖職者ってクソだわ。聖職って言葉自体胡散くさい。そして当時、女性は男の「所有物」だった。持参金と、後継者を産むための存在としかみなされていなかった。

 

犯罪現場の状況を法廷で立証する際には証人がいないばあいも多く、非常にむずかしかった。そのうえフランスでは、その社会的地位が高かろうが低かろうが、そもそも女性は夫や父親など男性の後見人の協力がなければ告訴することもできなかった。そのうえ強姦の被害者の多くが、他言すれば恥をかいて不名誉な思いをするのはおまえのほうだと脅され、犯罪を公表して家族や自分の評判に傷をつけるよりは沈黙を守るほうを選んだ。そのため法的には強姦は重罪であり、重い刑罰がともなうにもかかわらず、現実には強姦を犯しても男は罰せられず、訴えられず、報告もされないばあいが多かった。

このあたりは現代ではどうだろう。少しは改善しているのか。映画では法廷尋問は二次被害的に、マルグリットの義母は「沈黙を守」った人物として描かれていた。

 

当時、女性は合意なき性行為によっては妊娠しない、というのが医学的にも法律的にも常識とされた。なぜか。支配階級だった貴族たちがそれを支持したからだ。彼らにとってもっとも重要なもの、それは血統である。血統こそが彼らの権力を保証し、親から子へと継承される。ゆえに姦通や強姦によって血のつながりを汚される、望まれない違法な子が被害者家族に押し付けられるなどというのは彼らの想像を絶する、絶対にあってはならないことだった。カルージュは、妻マルグリットが妊娠したのは自分の子だと裁判で主張し、のちに財産を継承させている。妊娠している本人も同じように考えていただろうか。それとも、彼女だけにわかる「真実」があったのだろうか。

 

あのさびしい城で、夫人の身にいったいなにが起こったのか、われわれに、その正確なところはわからない。ル・グリの弁護士が依頼人の有罪を疑っていたとはいえ、年代記作家のなかには、マルグリットのことばを疑っている者もいた。以来、多くの歴史家が、この有名な犯罪、審理、決闘について、さまざまな疑問を投げかけてきた。しかし、いまも昔も、驚愕するような話ではあるものの、フランスの高等法院でみずからを危険にさらしながら宣誓し、くりかえし、揺るぐことなく一貫して主張をつづけた夫人と夫人の話を信じる者は多い。

 

決闘裁判ののちカルージュは十字軍遠征で戦死する。夫の死後、彼に代わってマルグリットは土地を所有し続け、何年も経ってからすべてを息子に遺贈したというが、裁判後の彼女の消息について年代記作者は詳細を伝えてはいない。