今年読んだ本は70冊。
去年が65冊だったので去年よりは読めた。
冊数に深い意味はない。難解な翻訳物の分厚い人文書とエンタメ文芸を同じ1冊としてカウントして数を競うなんて不毛だ。冊数はただの目安。
今年とくに集中して読んだのはホラー小説とライトノベル。これまで親しんでこなかったジャンルなのでそれぞれよいガイドの導きに従った。前者は『このホラーがすごい! 2024年版』、後者は『このライトノベルが奇書い!』。
読書の世界は広い。わりと本読みますよ、という程度の人間にはまったく手付かずなジャンルの密林がいくらでも広がっている。未知の地をちょっと進んで、この先に何かありそうだと思えばさらに奥へと足を踏み入れ、ちょっと違うかなと思えば引き返す。読書に無理は禁物。合わないのなら退くのも知恵であり勇気だ。またいつか機が熟したら挑戦してみればいいし、二度と挑戦しなくてもいい。読者である俺たちは自由だ。
今年選んだ本から10冊を選ぶ。2024年の俺は何を好み何に関心を持ったのか、の記録。以下、読んだ順に。
増田みず子『理系的』
今年の前半、増田みず子の作品を5冊ほど集中的に読んだ。『シングル・セル』は自分のオールタイムベスト小説の一冊。1948年生まれの76歳、自分の母親と同い年。芥川賞候補になること最多の6回(の一人)。
『理系的』は19年の沈黙を破って刊行された短編集『小説』に続くエッセイ集。私小説的な『小説』以上に自身について直截に述べている。初期作品は内向的で不穏な作風だったが近年刊行された2冊はどちらも前向きで軽やかな感じが出ていて、ジムで運動をするようになって体力がついた影響なのかな、と勝手に推測している。よき配偶者に恵まれたのも大きいのだろう。若い頃から希死念慮があり、「いつでも好きなときに死ねるように」と35年間大事にしていた毒薬をとうとう捨てたという。かつて、小説を読む以上に楽しいことなんてないと思い込み作家になった人が、今は小説を書かずに普通に暮らしているだけで楽しい、と述べているのに、他人事ながら安堵する。どうか、楽しく生きてください。そして『理系的』が最後の一冊などと言わず、また本を出してください。いつまでも待っています。
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pha『パーティーが終わって、中年が始まる』
今年上半期の話題の一冊だったんじゃないだろうか。この本はこれまでphaさんが出したライフハック的な本とは趣向を変えた、内省的・懐古的なエッセイ。中年の悲哀、デフレ文化への郷愁、web2.0への幻滅…同年代の自分には刺さりまくった。あとがきに「中年以降は論理とか勢いとかではなく、美しさとかを目指していくのがいいのかもしれない」とある。中年として美しく正しい生き方を心がける。陰口を言わない、誰かを傷つける言動をしない、子供の前で汚い言葉を口にしない、困っている人に手を差し伸べる、自分から挨拶する…等。自らの過ちを認めず、とぼけたり開き直ったり忘れたふりをしてやり過ごそうとする小賢しく器の小さい中年ばかりが目立つ今の世の中だからこそ、美しく正しく生きている中年になりたい。人の目や評判はどうでもいい。自分が自分に胸を張って、俺は嘘をついていない、と言える生き方ができれば。生き方は顔に出るという。美しい生き方をすれば美しい顔になれるかもしれない。
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トーマス・ジョイナー『男はなぜ孤独死するのか』
『パーおわ』の影響で今年は中年男性にまつわる本を3冊ほど読んだ。何年か前にも荻原魚雷『中年の本棚』をガイドに中年本を断続的に読んだ時期があった。
基本的にどの本も言っていることは同じで、男性は女性と比べてコミュ力が低い、構ってちゃん、マチズモに洗脳されている、みたいなことが書かれている。本当に、女性、とくに高齢女性のコミュ力の高さには驚かされる。今年、秩父に泊まりで3回行ったけど、3回とも地元住民らしき女性に話しかけられた。写真撮ってたら「何撮ってるの?」、買い物すれば世間話。若い頃だったら億劫に感じただろうけど、中年の今はわりと他人との触れ合いもウェルカム状態というか、中年男性なんて基本警戒されるものだろうにフレンドリーに話しかけてもらえるだけでありがたい。
それは別としてポリコレがやかましい現代社会で、中年男性への揶揄蔑視だけは根強く残っている風潮は何なんだろうか。独身中年は狂うだのパーカー着るなだの、うっせえわ。狂ってる?それ誉め言葉ね。
過激な発言で炎上して注目を集め収益を得ようとするインフルエンサーはみんなでスルーしよう。
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山崎元『がんになってわかった お金と人生の本質』
noteで闘病中なのは知っていたが新年早々の訃報はショックだった。水瀬ケンイチさんとの共著『ほったらかし投資術』によりインデックス投資を知り、『難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください!』によって俺のNISA口座でのインデックス積立はスタートした。その後資産は着実に増え続けた。投資を続けていく過程で節約や節税の重要性を意識するようになった。最低限の掛け捨て保険、クレカ決済、ふるさと納税、iDeCoなど。山崎さんは節約的なマインドはない方なので(むしろ逆だろう)そちらの方面は『隣の億万長者』から学んだ。
『がんになって〜』を読んでも新しい発見はない。がん保険は不要、お金に感情をこめるな、サンクコストにこだわるな等々、すでに過去の著書を読んで知っていることばかりが繰り返される。だがそれでいいのだ。その再確認こそが山崎さんのブレなさの証明になっている。
「インデックス投資の設定をしたら投資のことは忘れて人生を楽しめ」
その教えに従って生きていこうと思う。
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スズキナオ『家から5分の旅館に泊まる』
コロナ禍における中年の旅エッセイ。あの頃はちょっと人と会うのにも勇気が要ったし、「体に気をつけてね」という何気ない挨拶が重い意味を持っていたものだった。
「とにかく何かがプラスのほうに向かうことを掲げた本ばかり」が並んでいる書店の棚の前に立って何一つ読みたい気が起きなかった著者だから書けた「暗くて静かな旅行記」。白黒ながら写真付きでそれがいい味を出している。
「人間は誰でも心の中に獣みたいなものが住んでいると思うんですけど、それをみんなうまく飼いならしていて。でも、それができなくなると人間らしい部分が獣に食べられて、獣はどんどん大きくなって、最後は獣そのものになってしまうんじゃないでしょうか」というFさんの言葉を聞きながら、自分の中に獣がいるとしたらそれはどんなやつで、どんな大きさだろうかと考える。私は家族にも友人にも「いつも楽しそう」「お前は恵まれている。楽に生きてるほうだよ」と言われることが多く、それはそれでそう見えているならいいことだし、まあ実際のん気な暮らしだとは思うが、不安や寂しさはいつも消えない。
どこに行って何をしても、同時に、行けなかった場所、できなかったことがその背後に残る。知り尽くせるわけがない膨大な時間の堆積や文化がその土地ごとにあって、私はそのなかの、砂の一粒ぐらいのものにしか触れることができない。どこかへ出かけるたびに痛いほど感じるのはそのことである。
知ることのできない広がりを前に無力さを感じ、でも、少なくともその場所で過ごした時間だけは、自分にとってかけがえのない記憶として残る。その繰り返し。
どこかへ行くたびに「この街で暮らしている自分もあり得たかもしれない」と思い、今の自分がやはりこれでしかない一回性のなかに存在していることがわかる。
大きなお世話だろうがドクターストップがかかっているのに飲み続けているのが心配になる。いい文章を書く方だから体を大事にして長く活躍してほしい。
角田光代『方舟を燃やす』
登場人物たちの多くが何かを信じている。でもその信じているものはそれを信じていない者の目からは、オカルト、カルト、デマ、フェイクニュースのように見える。
前半で描かれるオカルトブーム真っ最中の昭和の風景が懐かしい。俺もまた、ネッシー、雪男、口さけ女、人面犬、UFO、コックリさん、心霊写真、スプーン曲げ、そしてノストラダムスの予言に夢中になった子供の一人だった。そうした一切を馬鹿馬鹿しいと切り捨てて大人になったつもりだったけど、もうすぐ50歳というタイミングでまた当時のような好奇心が起きてくるのはなぜだろう。現実の味気なさに嫌気が差したか、それともただの郷愁か。AIによるリアルタイム翻訳が可能なインターネットはバベルの塔? フェイクニュースを拡散するインフルエンサーや陰謀論者は現代の偽預言者? そして偽預言者の登場は世界の終わりを予告する? とかしょうもない妄想を寝る前にたくましくしてしまう。
自分の思考の根っこに「世界はいつか滅びる」と刷り込まれているのを本書を読んで自覚した。
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アラン・ド・ボトン『メランコリーで生きてみる』
今の世の中でポジティブ思考で生きられる方がどうかしてると個人的には思っている。ちょっと鬱々としているくらいが正常なんじゃないの。抑うつリアリズム(抑うつ的な気分の人の方が現実を正確に理解しており、抑うつ的ではない人は現実をポジティブにとらえすぎている) という指摘もある。実際そうなのかも。
苦しくなったら顔を上げて空を見よう。天体の大きさ、宇宙の広さを思えば自分の悩みが小さく思えてくるだろう。人類は数千年後に絶滅する。人類が存在した痕跡は跡形もなく消滅する。そしてその歴史は地球の寿命から見れば瞬きほどの短さに過ぎない。だから苦しいときこそ下を向かずに上を向こう。
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武田崇元 横山茂雄『霊的最前線に立て! オカルト・アンダーグラウンド全史』
一応読んだは読んだけどあまりにもレベルが高すぎてついていけず読んだと言えるのかどうか。普通対談本は執筆されたのに比べて易しいものだが本書は違う。ある程度オカルト史に通じていないとちんぷんかんぷんなのではないか。少なくとも俺はそう。西洋のオカルト史はぼんやりとながらわかっているつもりだったけど本邦のは全然。大本教がかなり重要な位置を占めている模様。西洋はシュタイナーか。
2000年代、自己啓発とスピリチュアルが絡み合って進展し徐々に社会に受容されていったとのくだりは自分の観測と合致していて楽しくなった。リベラル寄りだった大麻カルチャーが現代日本ではなぜかナショナリズムと親和性があるとの言及は意外だった。日本であれ海外であれ、代替医療とか自然に帰れとか言ってる連中は右寄りな気がする。
本書でとりわけ印象的だった箇所を引用する。
陰謀論を信じる人は、権力構造というものに理解がないんやな。どんな全体主義国家においても対抗関係がある。いろいろな力関係があるから、そうそう好きにはできない。ナチスでさえ好き勝手にはできなかった部分もある。陰謀論者というのは社会の構造というものをものすごく単純化して捉えて、影の政府は万能で何でもできると思いこんでいる。あなたが言うように世界観がフラットなんです。そういう人が全体主義と言われる国に行って「意外と自由があるじゃん」とか言って感激したりするわけですよ。ある権力が、統治される側との力関係とか分散した各機関との関係なしに完璧に好き勝手にできるなんてことはない、ということは、普通にまともな人生を送っていれば体験的に分かる。だから、陰謀論は真面目に人生を送っていない人がひっかかるんちゃうかなという気がしますけどね。
やはり今年復刊した『オカルトがなぜ悪い!』では対談者の一人がこう述べている。
人が生きてゆくということは、ものすごくさまざまな要素からできていると思うんです。経済活動も夢を見ることも、自然科学もオカルトも、それぞれに必要な要素だと思うんです。人間の生活には昼もあれば夜もあるわけですから。そのうえ人間のすることですから、どんな分野であれカスもあれば立派なものもあると思うんですよね。同じソバという食品を出してもおいしい店とまずい店があるわけです。だからカスをつかまされないためには、よく知ってもらったほうがいい。そのためにも「オカルトは批判するより勉強せい」という結論でしたっけ。
2025年こそはオカルトの勉強頑張って、俺も霊的最前線に立つぞ。
panpanya『そぞろ各地探訪 panpanya旅行記集成』
アマゾンに書影が来ていた。
製本といい、内容といい、素晴らしい。スズキナオさんの『家から5分の旅館に泊まる』とも共通点として遠くだけでなく、日常のちょっとした散歩や日帰りのお出かけも旅に含めているところが親しみやすくていい。俺の嫉妬なんだけど、海外の風光明媚な観光地とか、小洒落た店のディナーとか、あるいは反対につげ義春的な侘び寂びをわざとらしく演出したような飯の写真とかを載せた旅行記を見ると、しゃらくせえなあと気分が悪くなるんです。劣等感を刺激されるんです。我ながら卑屈ですね。panpanyaさんやスズキナオさんのは嫌味がない等身大の旅の記録って感じで、文章もわざとらしい気取りが微塵もなくて単純に読んでいて心地いい。俺が見た感じ、panpanyaさんは個人店の店主が趣向を凝らした料理よりスーパーやコンビニなどに売っている食品に関心が向きがちに見える。工場で大量生産される「製品」としての食品に惹かれるのだろうか。
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宮内悠介『暗号の子』
人とテクノロジーをテーマに編まれた短編集。表題作は文學界2024年10月号で一度読んでいる。戯れにデジタルデトックス旅のお供にして読んだ。理想郷のようなVRワールド、SNSから悪意を除去するフィルター機能、ヘッドセットで体験するVRトリップ、超小型人工衛星などが登場する。表題作と「ペイル・ブルー・ドット」がとくによかった。どちらも失意からの回復、前に進もうとする意思が感じられて読み終えていい気分になる。
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以上が2024年のベスト。増田みず子以外はすべて2024年の新刊。縛りとして新刊のみで10冊選ぼうかとも思ったんだけど、どう考えても『理系的』は外せなかったのでよした。でももし今年の新刊をあと1冊足すとしたら廣田龍平『ネット怪談の民俗学』。
映画にもなった「何々村」みたいな因習村的ネタは差別的であるとして下火になりつつあり、代わりにSF的想像力が浮上してきているとの指摘は目から鱗だった。最近ホラーが来てるらしい。インターネットとホラーは相性がいい。
以上。
去年に倣って裏ベスト(何が「裏」なんだろう?)も挙げようと思うのですが長くなってしまったので続きは後日。
追記:書いた。
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