2024年の被雇用労働は26日にて終了した。今年も一年、お疲れ様でした。
27日はカレンダーでは平日。せっかくの平日休み、前から行きたいと思いつつなかなかいけなかった場所へ出かけてきた。
一つめは藤店うどん川越店。
藤店うどん、埼玉県の美味しいうどん屋と言うとほぼ必ず名前が挙がる。本店は大宮。前々から気になっていたが営業時間がかなり短く(平日と土曜日の10時から15時)、人気店なので行列必至とのことで、仕事があるから平日に行くのはまず無理だし、土曜日は並ぶだろうし、飯食うのに並びたくない気持ちが加齢とともに年々増している俺は怯んで行く気になれずにいた。が、平日の朝一ならそこまで混まないのでは、と予想して行ってみた。駐車場到着は9時40分頃。寒いので車内で待機していたら次々に車が入ってくる。何人かが並び始めたので俺も車から降りた。案内はなく空いている席に自由に座るスタイル。店員は水を持ってきたらそのまま注文を受けたそうだったので(回転率がかなり早い店らしい)あらかじめ決めていた肉汁うどんの並をオーダーする。5分くらいで運ばれてくる。
寒かったので温かい麺で提供の温もりにしてもらった。武蔵野うどんと聞くと太くてねじれた麺を連想するけれどここのは中くらいの太さだろうか。コシはしっかり。武蔵野うどんの固い食感がどうも苦手で、だから俺は長いことうどんが好きじゃなかった。いつだったか忘れたが近所に丸亀製麺がオープンして初めて讃岐うどんの旨さを知って、それからうどんを食べていく過程で武蔵野うどんも旨いと感じられるようになっていった…という生まれ育ちが埼玉県の人間としては奇妙な経緯をたどっている。
汁はたぶん醤油ベース。写真のとおり具が多い。表面だけなく器の中にもたくさん入っている。うどんを食べ終わっても肉が残ってたくらい。汁も旨い。塩分が気になるので全部は飲まなかったが三分の二ほど飲んだ。量が多いと聞いていたので少食な俺は警戒していたが、朝から何も食わずの空腹だったから並は全然余裕でいけた。近所にあって並ばないで済むなら通いたい。
他に埼玉県のうどん屋だと上福岡にある讃岐うどんの條辺が好き。大抵かけを頼む。最近行ってないのでまた行きたくなってきた。
うどんはいい。おっさんになってラーメンよりうどんが好きになった。
あと好きなうどん屋、そのお店がある駅に着くと必ず寄るくらいには好きなうどん屋というと八王子のいそやと立川の玉屋。
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腹が満たされたのでここから次の場所へ足を延ばす。目的地は上尾にあるセイコーマートまちだ店。この間panpanya『そぞろ各地探訪』の北海道旅行の章を読んでいたらセイコマ*1が出てきて、そういえば埼玉県は茨城県と並んで北海道以外でセイコマがある貴重な土地だったと思い出し、そう思ったら無性に行きたくなったのだった。
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車を走らせること40分弱、目的地に到着。上尾は初めて訪れる土地。道中の県道51号が広いわりに交通量が少なくスイスイ走れて快適だった。平日だからだろうか。
うどんを食ったとはいえまだ腹に余裕があったのでホットシェフでザンギがあったら買おうと思っていたが残念ながらなかった。北海道産ポテトはあった。パックのパスタ弁当が安いと聞いていたが本当に安かった。128円(税込か税別かは失念)。量は少ないけれどそれでも良心的価格と思う。レジ前にセイコーマートTシャツがあり買おうとしたらSサイズのみだったので断念。
車で遠くから来たため冷蔵・冷凍食品はその場で消費しないかぎりは避けたい。なのでカップ麺とアルコールとお菓子とガラナと飲むヨーグルトを購入した。売り切れていたジンギスカン弁当が気になる。
北海道はこれまでに三度行ったが実はセイコマの印象はあまりない。そういう意味では俺の行動はミーハーもいいところ。panpanyaさんの旅エッセイを読んだ影響とも言える。感化されやすい。ハセガワストアでは有名なやきとり弁当を買ってホテルで食べた記憶がある。
途中にあったアリオに寄って日用品などを買って帰った。
ローカルチェーン店が出店している珍しい土地としての埼玉県ということなら、九州うどんのウエストもかつて埼玉にあったと調べていて知った。もう10年以上も昔に閉店してしまったが。埼玉県在住の俺が、今ウエストのうどんを食おうと思ったら町田が一番近い。日帰りで行ける距離ではあるものの小旅行だ。
行っておけばよかった…と思いつつ、その頃はうどんに興味なかったのだから行こうという気にならなかっただろうし*2、仮に行ったことがあったとしても行かなくなって10年も経っているなら行ったことがないのとさして変わらないだろうし、結局のところ詰んでいる。ただ行った経験があれば「行ったことがある」「行っておいてよかった」という自己満足感は得られるだろうが。
DIC川村記念美術館は3月末まで佐倉市で営業ののち休館、今後は縮小して都内への移転が検討されているという。
休館がニュースになって以降、来館者が増えているという。それは喜ばしい事態なのだろうけれど、もっと早くそうなっていれば営業的にまた違った結果があったんじゃないの、と思いつつ、何事にも永遠はない、だから今あるものを大切にするべきだ…という気持ちにもなる。なくなると知るとロスコルームへの関心が高まる。俺の中のミーハー魂が疼きだす。いやいや、人が大勢いる状況では鑑賞も美術品との対話()もできないし、ただ「見た」という経験がぼんやり残るだけじゃないの? と俺の中の冷静な部分が現実的なアドバイスをしてミーハー魂を宥める。ごもっとも。
今年、ちょこちょこ美術館へ行くようになって*3そっち方面のアンテナが立ったからこのニュースが気になるのだろう。興味がなければ休館しようがなんとも思わなかったに違いない。そしてなくなったあとで美術に関心を持つようになれば、ああ佐倉にあるうちに一度行っておけばよかった、と悔やむのかもしれない。未来の自分が何に関心を持つのかなんて知りようがない。
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上で何事にも永遠はないと書いた。経済の衰退や少子化の影響などにより、日本は今後徐々に今あるさまざまな企業や施設やお店などを失っていくのかもしれない。かつての一流メーカー、美術館や博物館や映画館、近所の個人店。資本主義社会の原理は競争。淘汰は必然。氷河期世代の俺は何十年も経済的に停滞するこの国で青年期以降を過ごしていながら*4、80年代のまだ元気だった日本を記憶しているばかりに*5、この停滞はいつか終わってまた上向くんじゃないかとの思いを払拭できずにいたのだけれど、何年か前から、これというきっかけもなしに、ああもう上がり目はねえわ、と考えるようになった。日産合併のニュースが話題になっているが、今47歳の俺がやがて死ぬまでにこれまであったもののうちどれほどが失われていくのやら。無力な市民の一人である俺は、ただその現実を、「丁度、夕方、一番美しい薔薇の花が散るのを/ただ見ていなければならない棘と同じ具合に*6」見届けるしかないのだろう。
だから今あるものを大切にしよう。
行きたいところがあるなら行けるうちに行っておこう。
推しは推せるときに推そう。