一年八ヶ月の長い(四十肩の)トンネルをようやく抜ける

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こんな貧弱な関節でこの巨体を支えきれるのか

 

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承前。

二年近くの長さに及んだ四十肩の痛みと整形外科への通院からようやく解放された。長かった。2019年の年末、朝、出勤するのに着替えようとして左腕を袖に通すとき痛みを覚えたのが最初の自覚症状だった。これが四十肩か、と思いつつ特に何もせずに数日を過ごした。その後、仕事でほとんど空と言っていいくらい軽い段ボール箱を運ぼうと持ち上げたところ痛くて左肩を上げていられず、さらに痛みが数秒間尾を引き、放置するのはやばそうだと思い(自分は痛みに弱い)整形外科へ行った。初回の診察で四十肩だと医師に言われたときは、もうお前は若くない、これから先は下るのみの人生だと宣告されたようで多少のショックを受けた。痛み止めの注射を打ったらすぐ楽になったものの翌日にはまた痛みがぶり返し、その後間隔を開けて何度か打っても効果は薄く、通院してリハビリを受けることに。痛みは引いたり戻ったりで一進一退、しかし通ううち少しずつ痛みは弱まってきて可動域もほぼ元通りに戻った頃、今度は右肩に痛みが出る。で、左肩はよくなったのに今度は右肩のリハビリ。担当の理学療法士の方が四十肩のリハビリには一年くらいかかる人が多いと言っていたが、本当に両肩の回復に二年近くかかってしまった。この間ずっと二週間に一度土曜午前に通院し、治療に合計7万弱を費やした。時間と金。怪我の治療は大変である。医師から手術という選択肢も提示されたが、メスを入れると考えただけで怖く、詳細も聞かず断った。あくまでリハビリでなんとかしたいと。結果的にはそれでよかったのだろう。多分。

 

今回の通院は老後の予行演習にもなった。待合には大勢の高齢者がいたが、彼らは将来の自分である。関節の痛みは辛い。生きるのが嫌になるし、常にイライラする。怪我とそれによる痛みは人生の質を大幅に下げる。症状が出て早めに整形外科に行ったのは正解だった。

 

過去の記事にざっと目を通してみて、上着を着たり脱いだりとかズボンを履くだとか落ちた物を拾うとかシャンプーするとかの動作のたび痛みがあり、ひどいときは痛くて夜眠れなかったのを思い出した。階段を降りるとかの振動でも痛くて辛い時もあったかもしれない。今となってはうろ覚えなので当時を記録しておいてよかったと思う。何事も過ぎてしまえば、終わってしまえば忘れてしまう。人間が生きていく上で必要な忘却のシステムなのだろう。

 

右肩の痛みがだいぶなくなり、後ろに回して下背部に触れるまで動かせるのに気づいたのは先月のこと。それまでは右腕を後ろに回そうとすると痛くて途中までしか動かせなかったのに、急に痛みがほぼ消えて動かせるようになった。診察の予約だけ入れていたので先日最後の診察を受け、無事「卒業」とあいなった。ただし今後もリハビリというかストレッチというか、肩の運動を日常的に行って、再発(次は五十肩か)しないよう心がけるよう注意された。猫背にならないよう意識したり肩甲骨を回したりは習慣になったが、四十歳を過ぎて体力・筋力が衰えている今、10分程度でもいいから毎日の運動習慣をつける必要があるかもしれない。これは肩のリハビリのみならず今後の怪我の予防も込めて。自分は肉体労働という体に悪い仕事に従事している身ゆえ、故障のリスクは常に付きまとう。

 

一度痛めてしまったからか、両肩とも可動域いっぱい動かそうとするとちょっと痛みが出る。これは後遺症みたいなものか、一度やってしまうと痛みが残るものなのだろう。四十肩になる前と比較すると、回復したとはいえ今は以前の八割程度の調子。今も腕を動かすのに、痛みがあるんじゃないかと一抹の不安、怖さがある。この二年で、腕を動かすことは痛みを伴うと体が学習してしまっている。この体と一生付き合っていかねばならないのだから、今後は労って、予防できるものなら予防して(とにかく体は痛めないのが第一)生きていきたい所存。

 

 

記事タイトルはこちらのレース実況から拝借。


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