『押井守監督が語る映画で学ぶ現代史』を読んだ

 

押井監督の映画評論も三冊目。1963年の『世界大戦争』から2014年の『キャプテン・アメリカ/ウインター・ソルジャー』、さらにはYouTubeへと至る映画・映像作品から、制作当時の時代精神を読み取るという主旨の内容。監督曰く「映画は時代のタイムカプセルである」。

 

メインで語られるのは以下の映画。

世界大戦争』(1961年)

『007/ロシアより愛をこめて』(1963年)

『エレキの若大将』(1965年)

仁義なき戦い』(1973年)

野性の証明』(1978年)

DEAD OR ALIVE 犯罪者』(1999年)

キャプテン・アメリカ/ウインター・ソルジャー』(2014年)

 

60年代の映画が二つも入っているのは監督が51年の生まれだからか。映画とはそれを見た記憶の中にしか存在しない、と映画を見ることを一つの体験として捉えているから少年・青年時代の映画の印象が強く残っていて語りたくなるのかもしれない。『世界大戦争』の最後の晩餐をめぐる思い出(メロンが食べたかったそう)や、『007』の原作をエロ目的で読んだなどはいい話。『007』については、スパイとは国家が表立って戦争をできない冷戦時代の産物であり、戦争が国家間ではなく国際テロ組織や国内の少数部族を相手にするものになってしまった現代ではスパイ映画の成立する余地がなくなってしまった、だから今でも続いているとはいえ(先だってクレイグ・ボンドの最終作が公開されたが)、もはや「(時代を描くという)歴史的使命を終えた」シリーズだという。自分は『007』をほとんど知らないのでこんなことを言うのは僭越だが、最新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』はよくできたアクション映画という以上の感想は持てなかった。感染症とか環境問題とかも入れていたみたいだけれどスパイスにしかなっていない。それがメインテーマになってはいなかった。

 

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『エレキの若大将』に、現実にない、いわばファンタジーとして当時の若者が抱いた学生生活・青春時代への憧れを見る。『野性の証明』から、メディアミックスの走りとしての角川映画(映画と文庫のコラボ)、また角川が映画制作現場にもたらした功罪について述べる。後者についての章は多くの作品を作ってきた押井監督の経験からの発言が多く面白い。たとえば当時バンダイは映画を作っても所詮おもちゃ屋が作った映画と見下され常に配給に苦戦したという。バンダイの作った映画の配給はほとんどが松竹で、それは松竹しか相手にしてくれなかったから。東宝はほとんどロボットものの配給をやったことがない、と言って『エヴァ』(『Q』までは東映、『シン』のみ東宝東映・カラーの共同配給)を引き合いに出すのは笑えた。「『エヴァ』はロボットアニメか否か」みたいな話題が以前あったから。配給からのキャスティングへの口出し、広告代理店による宣伝の限界などの裏話も楽しい。

 

押井監督は製作者として映画を映画館で上映することにこだわり、動画配信では駄目だという。その理由は、配信には「手応えがないから。リアクションがないから」。言論がないからとも言っている。

 映画はある種の社会的な行為なわけだよね。不特定多数の人間がある時間を共有して同時に見ているわけだ。そこには必ず言説が生まれる。よかった悪かったから始まって、何がいいのか何がひどかったのか。それを炎上と呼ぼうが百叩きと呼ぼうが、大絶賛だろうが大感動だろうが、要するにリアクションがあるわけだ。  

 だけど配信というのは個人的な体験なんだよ。基本的には一人で見る。せいぜい数人、家庭で見るということはあるかもしれないけど、基本的には個人的な体験なんだよ。デートでもなければ、誰かと一緒に行って帰りに飯を食うかという話でもない。個人の時間を合理的に使ってるだけなんだよ。自分の好きな時に好きな話数を見れる。それは一人で図書館に行くのと同じなんだよ。しかも家まで届けてくれる上に定額料金制。手元に何も残らないけど。家に付属した図書館の利用パスを持ってるようなもんだよね。

ネットに作品の感想を書かれるのは違うのか、と聞き手に問われると、

 ネットの言論なんて存在しないに等しいよ。匿名の言論に何の意味があるんだって。しかもよかった悪かった大会で、百叩きにするか大絶賛するかしかない。言論は絶えずその中間にあるんだから。

 僕は語られない映画を作る気はない。「映画は語られることでしか成立しない」っていつも言ってるでしょ。映画というのは語られた時に初めて映画になるんであって、個人的な体験は映画体験とは言わないんですよ。

 それが、僕が映画についてさんざんしゃべり倒してきた最大の理由。昔から変わらない。映画を見たら必ず誰かとしゃべる。しゃべらずにはいられない。ずいぶん嫌がられたけど。でもたまに「ふんふん」と聞いてくれる人もいるし、「そうじゃない」って喧嘩になることもあるわけだ。それも含めて言論と呼ぶんだよ。匿名で言いたい放題ネットにアップして、それにどんなレスがつこうがそれは言論でもなんでもない。

でも監督はYouTubeで人がただ飯食ってるだけの動画とかを結構見ているようで、上の発言との矛盾というか、見るのはいいんかい、という疑問が。「言論がない」、ねえ。ネット上の匿名のやりとりは言論ではない、と断言されると些か違和感がある。Qアノンみたいなのが跋扈する時代であれば尚更。ネット上の言論の質が低いから参考にならない、というのならわかるが…。手元のスマホ脊髄反射的に感想を書き込める時代だから玉石混交凄そう、というか大半が石だろうとは思うが、ネットに言論がないとは自分は思わない。

 

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以下、本書から印象的だった箇所をいくつか引用。Kindleはマーキング箇所をコピペできるのでこうしてブログに書くとき楽で便利。

映画というのはしょせん記憶だから、事実関係を争ったってしょうがない。「あのときの自分は確かにそう観たんだ」と言い張るのが正しい観方だと思うよ。

これは監督がよく言っていること。映画とは見た記憶の中にしかない、見た後に語られることでしか存在しない、と。『50年50本』はこのテーゼに支えられていた。

 

「何かを他の人と共有する」という意欲そのものがなくなってるんじゃないか、と思ってるんだよね。細分化されたそれぞれのジャンルの中で共感構造があるかもしれないけど、実はそれも大したことない。それはネットで同じような言葉を使って満足しているというレベルだよ。果たしてそんなものが「文化」と言えるんだろうか。

 

ルールを守って退屈なものを作るのか、ルールを無視で破綻しまくってるけど本当に面白かったよなと言わせるのか。どっちをエンターテインメントと呼ぶんだと。日本の映画監督というのはそういう意味で言うと、どこかそういう意識が薄い気がする。映画監督は作家じゃないんだよ。小説家でもなければ文学者でもないんだから、深刻なドラマを撮ってれば偉いわけじゃないでしょ。

 でもなんか知らないけど日本映画ってだいたい、うちの奥さんの言い草じゃないけど9割までは陰々滅々としてるよね。奥さんは「日本映画は見ない。本当に暗くて私、大嫌い。そもそもセリフが何言ってるのかわからないし、アパートから出たり入ったりしてるだけじゃないの」といつも言ってるよ。

この奥様の邦画のイメージはユーモラスかつ辛辣で笑えた。アパートが出てこない映画でも「アパートから出たり入ったりしてる」感が確かにある。なんなんだろうな、あれ。辛気臭いリアリズム?

 

僕はとにかく「映画は数を見ないとダメだ」という主義なんで。数を見ることで相対的に視点というのが生まれてくる。ちょろっと何本か見たって何もわかりゃしない。

これもいつも言ってますね。

 

──話を戻しますと、「映画は時代の不安を閉じ込めたものなんだ」という役割をどんどん捨てて、社会の不安と向き合うことをやめてしまった、のみならず、旧来の作り方にしがみついているがゆえに、日本の映画は社会的な使命を失ったんでしょうか。

押井: 失ったというか、自分で放棄していったんだよ。

(略)

押井:日本ではもう、そうした社会的使命が求められていなかった、というのもあるんだろうけど、日本映画のほうが自ら手放していったんじゃないかという気がしているね。

 

押井監督は邦画にかなり厳しい。でも2021年はいい邦画がたくさんあった。『すばらしき世界』『あのこは貴族』『ドライブ・マイ・カー』『孤狼の血LEVEL2』『東京自転車節』『空白』。一方で洋画は奮わなかった。自分が感心したのは年初に見た『プラットフォーム』くらい。まあこれは好みの問題だが。『あのこは貴族』『東京自転車節』なんかは経済格差について意識的で、邦画が「社会的な使命を放棄している」とも思わない。そういえば押井監督って軍事的な国際問題と比較して経済格差とか貧困問題についてはあまり言及しないな。なんでだろう。

 

押井監督、人混みが嫌であまり映画館に行かないようだけれどリドリー・スコットやノーランの新作なら見に行くと言っていたから『最後の決闘裁判』は見に行ったのかな。感想がどこかにあったら読んでみたい。しかし自分、押井監督の映画評論を好んで読むわりに映画の好みは全然合わないんだよな。でも読むと楽しいんだよな。監督の語りの面白さかね。不思議。

 

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