中年の生存戦略を尾崎一雄に学ぶ──『新編 閑な老人』と『暢気眼鏡・虫のいろいろ』を読んだ

 

 

荻原魚雷さん編集の尾崎一雄の文庫が出たので購入、ついでに岩波文庫のも再読。昨年読んで感銘を受けた荻原さんの『中年の本棚』でも尾崎一雄は紹介されていた。今年はまだ殆ど読めていないが中年に関する本は昨年に続き今年も、来年以降も意識して読んでいきたいと思っている。いずれは老年本にシフトするだろうが。それとも老眼で読書から遠ざかるか。

 

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放蕩無頼の二十代を過ごした尾崎一雄は45歳のとき胃潰瘍の大出血で倒れ、当時住んでいた上野から郷里の小田原市下曽我疎開する(1944年)。胃潰瘍は「先ず不治といっていい病気」で、医者からは余命3年の宣告を受ける。長くは生きられぬと覚悟し、その年、とにかく5年生き抜こうと「生存五カ年計画」に入る。21歳で肋膜炎にかかり中年になってからは胃潰瘍、若くして父を亡くし弟や妹や我が子にも先立たれた尾崎一雄にとって病気そして死は生きているあいだ常に身近な存在だった。それだけに病気、死との付き合い方は心得ていた。

油断は禁物だが、気負けもいけない。土俵をあっちこっちと逃げ廻る、いなす、相手の力をまともに受けぬ工夫をし、水を入れてやろうと企む。何とか欺し欺し、相手ともつれ合いながらも定命というゴールまでもっていってやろうとの肚だ。

 

「美しい墓地からの眺め」

 

病気のベテランである尾崎一雄生存戦略。それは無理をしないこと、自分のペースを守ること、そして疲れたら休むこと。自分の中に「自動制御器のようなもの」を取り付け、過剰な活動によって身体の許容限度を越えそうになると「私の活動はギーと止まる」。冬になると「冬眠」と称して仕事を減らし、外出も極力控えた。45歳にして余命3年の宣告を下された尾崎が世を去ったのは病に倒れてから40年近くも後のこと。生存五カ年計画は第一次、第二次と続いていった。なまじ体が丈夫だと無理できてしまうがために却って早死にする、無理はきかぬ体とわかっているから休み休みやって結果長生きする、そういうこともあるのかもしれない。とはいえ作品を読んでいる限り尾崎一雄が長生きを目的に極端な節制をしていた様子は窺えない。若い頃は大酒飲みだったが大病してからはやめた、しかし晩年にはまたウイスキーを飲むようになっていたらしいし煙草も吸っていた。

 一寸先は闇、と人は云うが、この言葉に間違いはない。われわれは昨日があったから明日もある筈、という、何の証明も経ぬ仮構を信じて毎日を生きている。そして、ある日、突然明日を見失う。

 

「厭世・楽天

 

死を常に頭の片隅に置いているような尾崎一雄の作品には自然に題材をとったものが数多くある。「苔」「虫のいろいろ」「蜂と老人」などそのままのタイトルの短篇には下曽我の家の庭やその周辺での植物および昆虫の観察がテーマになっている。「平凡な草でも木でも、よく見ていると面白い」。「閑な老人」という短篇は木と虫についてしか書かれていない。それら「平凡な木や草」、昆虫の生態について書かれている短篇群の根底には、この作家の、

 自分が、木や草や虫などに心惹かれるのは、彼らが、生命現象を単純明快に示してくれるかららしい

 

 巨大な時間の中の、たった何十年というわずかなくぎりのうちに、偶然在ることを共にした生きもの、植物、石、──何でもいいが、すべてそれらのものとの交わりは、それがいつ断たれるかわからぬだけに、切なるものがある。在ることを共にしたすべてのものと、できるだけ深く濃く交わること、それがせめて私の生きることだと思っている。

との思いが流れている。

 

尾崎一雄を一言で表現するなら、肯定の人、と自分ならいうだろう。だが彼の肯定はそもそもの最初からあったものではなく、恐怖、不安、厭世、それらが極まった挙句に逆転して得た肯定である。「人間や人生に無闇矢鱈とケチをつけるから」日本の自然主義作品は好きでないといい、「矢鱈と社会にケチをつける気風」があるからプロレタリア文学も好きでないという。一方で尾崎一雄はというと、「人間は好いものだ、生きていることは好いことだ、と云う至極簡単な気持から小説を書いている」。自分の小説を読んだ読者に感じてもらいたいことは、「人間や人生への肯定感、相互の信頼感、善意である」。こういう向日性が尾崎一雄の小説を読んでいい気持ちになれるものにしている。「何でも、常識でよく判断するがいい」が尾崎の父親の遺言だったが、まさにそういう、地に足の着いた、苦労を身をもって知っている、いい意味で常識ある作風が今の自分には好ましく感じられる。

 

尾崎一雄に倣って自分も、無理せず、マイペースに、きちんと休みながら、中年期を、そしてあるならその先の日々を生きていきたい。中年を生きる指針として尾崎一雄は今後も読んでいこう。