速水健朗『ラーメンと愛国』を読んだ

 

 

ラーメンを媒介に日本の戦後史をたどる、という趣旨の本。面白くて二日で読了。

太平洋戦争に敗れた日本は深刻な食糧危機に陥った。それを救ったのがアメリカからの小麦の輸入だった。当時アメリカは余剰の小麦を大量に抱えており国内での供給過多による価格暴落を防ぐため外国に輸出する必要があった。日本にとってみれば食料が安く大量に手に入るので都合がいい。こうして入ってきた小麦を活かす食事として、戦前までは下層階級の食事だったラーメン(当時はむしろ中華そば、支那そばと呼ばれることが多かった)が食事としての存在感を増していく*1。ラーメンの呼び名が定着するのは安藤百福が発明したチキンラーメン以降。太平洋戦争の日本の敗北とは、すなわち日本的な「匠」「職人」による高度な手仕事がアメリカ的オートメーションによる大量生産技術に敗北したということだった。勝利した方法論こそが優れていると考えた日本の実業家たちは、戦後、アメリカ人技術者から生産効率や品質管理の重要性を学び、それを事業に活用するようになる。安藤百福もその一人で当初こそ狭い敷地内で半ば手仕事でチキンラーメンを作っていたが販売が軌道に乗ると5000坪もの土地を購入して大工場を建設、オートメーションによる大量生産を行うようになる。安藤は当時まだ新しいメディアだったテレビに多大な広告宣伝費を投じて自社製品のCMを流した。それによってラーメンという呼び名が人口に膾炙するようになった。

 

戦後の復興を遂げ、田中角栄による国土の開発が進み、自動車が普及し、人々の暮らしに余裕ができるとレジャーとして旅行がブームになる。その旅行客を集める目的でご当地ラーメンが生まれていく。ご当地ラーメンで最も成功した例が喜多方ラーメンで、北海道のみそラーメンや九州の豚骨ラーメンもこの時期に発明あるいは発見されるようになる。かつては下層階級の食事だったものがいつしか旅行の目的、並んでまで食べたいものとなっていく。ただしこれらのラーメンはご当地と謳っているものの実際にその土地の伝統料理の歴史に連なるものではない、と著者は見ている。モータリゼーションの発達によってロードサイドが全国どこも似たような「ファスト風土」化していく過程で観光資源として捏造されたメニューであると。ロードサイドに並ぶ大規模チェーン店がその土地の昔ながらの個人商店を駆逐していったように、ご当地ラーメンもその土地固有の伝統料理を(包摂するように見せかけながら)駆逐した。多くのご当地ラーメンが見出されたのは1990年代以降、地方の経済が危機に陥っていくバブル崩壊後のことだという。

 

その頃からラーメン屋店主が着るものが白い調理服から作務衣か、黒か紺のTシャツへと変化する。品書きもカタカナでラーメンではなく平仮名でらあめん、または麺と表記されるようになる。ラーメン屋は外食産業の中でもっとも個人経営の比率の高い業種でその割合は80パーセントを占める。個人経営の店は店舗を拡大するにしても大資本チェーンのような味の標準化は行わない。弟子として何年か働いた者に味よりメンタリティの継承を優先して指導してのれん分けする。ここで言うメンタリティとはよく店内の壁にへたうま風な筆文字で書かれている熱血な「ラーメンポエム」的なもの。大量生産・大量消費の時代にあってラーメン屋だけが「匠」「職人」的なかつての日本のものづくりに先祖返りしているのが興味深い。彼らが纏う作務衣や黒や紺のTシャツも和のテイストをイメージさせる。店舗名も「麺屋何々」と漢字で書かれる店が多くないだろうか。ある種のナショナリズムを遊戯的に演出しているのが現代日本のラーメン屋である。そしてそうした店を人々は(自分もその一人だが)当然のように受け入れ*2行列に並んでまで食おうとする。

 

日本のナショナリズムというと「なんとか道」だろうがたしかにラーメン屋には「ラーメン道」といってもいいような雰囲気がある。ラーメン二郎(行ったことない)の注文の仕方とか、「高菜、食べてしまったんですか!」のコピペとか、食べ終わったらカウンターの上に器を戻す暗黙のルールとか、各店にローカルルールがあり、それに違反したが最後、店主から(怒られはしないだろうが)不快な対応をされそうな緊張感がある。ラーメン屋という場所は寛いで食事する場所じゃない。緊張感の中で求道的に麺を啜りスープを味わう場所──そう、まるで道場のように*3。何度も通って勝手知ったる店であってさえラーメン屋はリラックスできる場所にはなり得ない。知らないラーメン屋へ行くとなると勇気が要る。

 

そういう場であるのと関連があるかないか、自分の偏見としてはラーメンマニアってちょっとクセのある人が多い気がする。少し前の話になるけれどこういうのとか。

ラーメンレビューブログ「とんこつくん」、女性客を見かけたら珍しいからと盗撮して容姿の品評をするスタイルが批判される

俺の偏見だがラーメン界隈と鉄道界隈はベクトルこそ違え個性のインフレがすごい

2022/09/17 22:34

以前何かで読んだが村上春樹はラーメン屋へ行かないそう。ラーメンが嫌いなのか、ラーメン屋の佇まいやメンタリティが嫌いなのかは忘れたが、海外文化の影響を色濃く反映しているおよそナショナリズムと正反対な作風の村上春樹がラーメン嫌いというのもいかにもな感じで面白い。

 

この本はラーメンを媒介にして日本の戦後から現代にいたる歴史を分析するものであり旨いラーメン屋の紹介をする本ではない。しかし何軒かの店がエポックメイキングな店として店主の名前とともに紹介されており、そういうラーメン史的に有名な店に観光気分で行ってみたい気持ちになった。

 

 

 

最後にラーメンの写真を。最近食べて美味しかった寿製麺よしかわ坂戸店の真鯛そば。

 

 

 

底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン - Togetter

『ラーメンと愛国』を読んでいて思い出したのがこのまとめ。食の貧困の代名詞としてのカップラーメン。ここで言われている内容は10年後の今さらに切実になっていると感じる。

2022/12/28 23:40

 

 

*1:同時期、スパゲッティナポリタンも戦後大量に輸入された小麦を活かす食事として広まっている

*2:自分なんかはラーメン屋とはそういうもの、とすら思っている節がある

*3:自分は学生時代武道やってました