ちょうど100年前の1923年、現在の野田市で起きた自警団による虐殺事件を元にしたフィクション。イオンシネマ板橋が最寄りの上映館だったので行ってきた。ちょうど夕食の時間帯の上映にも関わらずほぼ満席。
震災直後の混乱の中で流言蜚語が飛び交い、無実の朝鮮人が虐殺されたらしいとはおぼろげながら知っていたが福田村事件についてはこの映画の存在を知るまで知らなかった。映画で起きる事件の経緯は史実をなぞっておりその概要はWikipediaで知ることができる。
むごい。
当時の福田村の人々には行商たちの話す讃岐弁が聞き取れなかった。それで朝鮮人だと思って殺したというふうに描かれている。メディアの普及によって様々な方言があることが知られている(そしておそらくは同じ理由で標準語化が進んでいるだろう)現在から見れば、そうでない過去だから起きた事件だと言えるだろうか。いや、新型コロナウイルスによる外出自粛が要請されていた2020年頃は、他県ナンバーの車を見かけるだけで警察へ通報する「自粛警察」なる人たちがいた、とされている。得体の知れない不安に駆られた人間は自分の命を守るために時に平静さを失い、過剰に攻撃的になる。そのような人たちが集団となってパニックを起こしたら…。さすがに竹槍で殺害はないと思うが、100年前だろうが現在だろうが、集団の狂気が何を引き起こすかは知れたものじゃない。SNSの普及は流言蜚語の拡散を容易にした。フェイク情報であろうと瞬時に、大量に、人々にシェアされる。災害のたびに起きるパニックによる買い溜め。アメリカでトランプ支持者による議会襲撃事件が起きたのはわずか2年前のことだ。福田村事件を引き起こしたメンタリティは今もある。
映画としては、集団の狂気による事件の発生とその顛末を描く後半部分は映像ならではの迫力はあるものの衝撃は受けなかった。流血の描写はあるが殺傷は画面に映らないのでショックは受けない。自分はむしろ前半の、閉鎖的な村社会の複雑な人間関係の描写が見応えあった。出征した夫を持つ妻の不倫*1、自分が出征している間に妻を父に寝取られたのではと疑心暗鬼の夫、妻の不貞を「見ているだけ」の夫…。ドロドロな性事情。面白い。豆腐の中の指輪は陰湿で怖い。
元教師のインテリである主人公や何かというとデモクラシーと口にする村長などリベラルな人たちが、いざ騒動の渦中に居合わせれば彼らの言葉は群衆を説得できない。群衆は理性を失って狂気をエスカレートさせる。その先導役となるのが水道橋博士演じる在郷軍人会の分会長で、役がハマっていた。いかにもな堅物、愚物、しかし本人に悪意はなく正義を行使していると信じて疑わない。おそらく福田村の事件に限らず、大震災時の混乱で虐殺を行った人々は、皆根っからの悪人ではなく、正義感が強かったり臆病だったりした、普通の、そしてもしかしたら普段は善良な人ですらあったのだろう。それがいざというときに豹変する。だから人間は恐ろしい。集団は恐ろしい。さざ波だったものがいつしか津波になる。
この映画、主要な俳優たちの演技が皆とてもよかった。特に印象的だったのは行商人のリーダー役の永山瑛太。彼が口にする「朝鮮人なら殺してもいいのかよ」こそこの映画の肝となる台詞だろう。もう一人、田中麗奈はすごい色っぽくて、「田舎に場違いな奥様」の役がハマっていた。この人、外見が10代の頃から全然変わらないように見える。
代々木で被災した作家による小説。『福田村事件』同様、流言蜚語による人々の混乱と虐殺の事実が述べられている。小説と銘打っているが被災体験や実地の見聞に基づいたドキュメンタリーの色が濃い。元本は1925年刊。関東大震災の記録として本邦で最初のものだという。