金曜の夜、サービスエリアで

 

だから仕事終わりに高速に乗ったのだった。

気まぐれと感傷。

気まぐれはいつもそうだ。では感傷は?

7年乗った車をあと3週間ほどで手放す。それなりに思い入れがある車だ。色々な場所へ乗って行った。まめに洗車をしているのでパッと見は綺麗に見えるが乗っているとそれなりに疲弊しているのがわかる。とてもいい車、俺としては世界で一番格好いい車だと思っているが。

新しい車が来ることより、今乗っている車との別れがつらい。

あと何回この車で高速を走るだろう? そう思うと切なくなった。心理学者のウィリアム・ジェイムズ(小説家ヘンリー・ジェイムズの兄)は、「これは私のものだ」と名指せるものの総和がその人のアインデンティティである、と述べていたが、そうであるならば「私のもの」がなくなるのは身体の一部を失うようなものだろう。つらいに決まっている。

夜のサービスエリアはおっさんが感傷に耽るのにうってつけの場所と思われた。だから向かった。高坂サービスエリアはそう遠い距離じゃない。

 

23時近く、金曜だからか、まだ車は路上をそれなりに走っている。

ラブホテルの前を通り過ぎ、インターから関越に入る。淡いオレンジに灯った照明が等間隔に並ぶ三車線の一番左を行き、80キロまで加速させる。もう少しスピードを出したっていい。でも速度を上げれば上げただけ目的地に早く着いてしまう。そこへ到着するのが目的だけれど、そこへ行くまでの過程も目的といえばそうなんだから急がなくていい。

 

アクセルを踏むと速度が増し、ハンドルを動かせばタイヤが緩くカーブする。舗装された路面から伝わる振動は軽微だ。下り車線、少し離れた前には何台かのテールランプが夜の暗さの中で鮮明に赤い。中央の走行車線を、あるいは追い越し車線を、猛スピードで走っていく車を視界に捉える。それらがどちらもプリウスなのに可笑しくなる。俺は左側走行車線でいい。すでに90キロ近く出ている。これ以上出すのは野暮だろう。車としてはもう少し速度を上げてエンジンを回してほしがっているだろうか。

 

同じような人は多いと思われるが俺も普通免許を取得したばかりの頃、10代後半から20代後半までは車の運転が楽しくて仕方なかった。ただ走っているだけでよかった。まだETCがなかった昔、わざわざ関越に乗って適当なインターまで行っては帰りは下道で帰ってくる、という金の無駄としか思えないようなことをよくやっていた。今思うと背筋が冷たくなるような危ない経験も何度かした。35歳を過ぎたくらいから運転が億劫になり、45歳の今はもう運転は好きじゃない。運転自体が面倒なのもあるし、目的地までの道が混んでいれば疲れるし、駐車場に空きがあるかどうか気にするのもだるいし、視力の衰えか*1雨の夜などは視界が悪くて集中を要するし、何より事故を起こすリスクが常にある。はっきり言って、運転なんてしないで済むならしないほうがいい、と今の俺は思っている。

 

思っているのに、車が少ない高速道路をスムーズに走っていると、ああやっぱ車の運転っていいもんだな、楽しいな、となるんだから俺なんていい加減な人間である。と言っても20代の頃のような強い興奮は湧いてはこない。うっすら気分が高揚するくらいのものだ。それでも、今後さらに歳をとれば反射神経も運動神経も視力も衰え、今以上に運転に楽しさを見出しづらくなるだろう。だから今この瞬間の、この微かな高揚感を大事にしよう、と思う。この先もっと時間が経てばこの感情すらもう手に入らないかもしれないから。

 

…とか考えているうちに高坂サービスエリア(下り)に到着してしまう。

23時過ぎ、この時間帯のサービスエリアに来る機会はほとんどない。閑散としているかと思いきやトラックがかなりの数停まっていて驚く。適当な場所に停車。高坂サービスエリアは中で上り側と繋がっている。上り側のほうが施設的には充実している。なので少し歩いてそちらへ向かう。まだショップが開いていたのは意外だった。フードコートも営業していた。花月嵐があったので一瞬誘惑に駆られたが太るので止す。食えばその時は満足しても後で必ず後悔するとわかっているので。お土産コーナーを物色。色々見ているうちにせっかく高速料金払ってまで来たのだから何か買って帰ろう、という気分になる。自分用、両親用、交際している女性用にそれぞれお菓子を買う。人に何かを買う、というのは気持ちのいい金の使い方だ。

 

フードコートの奥の方にコーヒールンバの自販機があった。買わないわけにはいかないだろう。170円、支払うと自販機に設置されたモニタが内部を映し出す。NHKドキュメント72時間でやっていたうどんだかの自販機を連想する。コーヒールンバは控えめな音量。昔、海老名だったか三芳だったか忘れてしまったけれど、休日の夜だったか、混む時間帯にサービスエリアを訪れ、飯を食おうにもどの店も混んでいて、とりあえず運転の疲れを癒そうと何か飲み物を、と自販機コーナーを見たらコーヒールンバがあったので求めたことがあった。できるのを待っていると、後ろを通りかかった赤の他人の若い女が、連れに、「コーヒールンバ()なんか」「スタバの方が」みたいなことを言って笑いながら通り過ぎて行った。嘘みたいな出来事だが本当にあったことで、赤の他人になんでそんなことをこちらに聞こえるように言われなければいけないのか、サービスエリアで飲むコーヒールンバのよさがわからないなんて可哀想な人だ、そういう可哀想な人はどうぞ(列に並んで)スタバ()を飲んで下さい、と思ったものだった。味のよしあしを言ってるんじゃない、イメージの話をしている。サービスエリアで飲む飲み物としてのコーヒールンバのコーヒー、という。イメージといえば30代半ばまでは喫煙者だったが(マイルドセブンスーパーライトを吸っていた)夜のサービスエリアで吸うタバコの旨さは格別だった。シチュエーションは、味を変える。

 

夜遅くとはいえ、上は厚手のパーカー、下はボアスエットパンツという出立ちなら深夜の屋外でも耐えられる程度の気温ではあった。今月いっぱいまでは最高気温20度以上の日が続くらしい。過ごしやすくていい季節だが、俺はイネ科の花粉症持ちなので体調はよろしくない。

 

ほかに誰もいないテーブル席に腰かけ、カップを持つのに勇気が要るほど熱いコーヒーをちびちび飲みながらぼんやりする。腹ごなしを済ませたと思しきドライバーのおっちゃんや、チャラついた若い男のグループや、若いカップルや、スーツ姿の男性の姿が目に入る。老人や子供の姿はない。めっきり見かけなくなったVIPカー的なセダンが低いエンジン音を唸らせて走っていく。

 

べつにサービスエリアに来たからと言って何か特別な感興が起きるわけでもなかった。思っていた以上に感傷も起きなかった。自分で思っているよりも感情に乏しい人間なのかもしれない。何があっても「そういうものだ」と思ってしまえばそういうものでしかないのかもしれなかった。

 

コーヒーを飲み終わるとすることがなくなった。外にいる人は少ないし風景は暗くてよく見えない。暇つぶしにスマホを取り出すのは違う気がした。スマホなしに過ごす時間を増やしていきたい。デジタルデトックス的な。

 

10分かそこら、頭の後ろで両手を組んでだらだらしていたがだんだん飽きてきた。横になりたくなってきた。なので下り側へと戻って車に乗った。最寄りのインターは東松山。そこで関越を降り、下道で帰った。何がしたかったのやら。

 

以下は写真が1枚あるのみです。

*1:健康診断の視力検査では異常なしだが

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