山内一也『ウイルスの世紀』を読んだ

 

 

全五章に分けてウイルスについて述べる。一章はウイルスとはそもそも何であるか、二章はエマージングウイルスの系譜、三章は新型コロナウイルス、四章は人類がウイルスに対抗する手段、五章は研究施設の危機管理について述べている。

 

冒頭、ウイルスと細菌を比較する部分がある。

 細菌はもっとも原始的な細胞であり、独立した生物である。つまり、寒天培養のような人工環境の中でも、栄養さえあれば自己増殖することができる。一方ウイルスは、細胞に寄生しなければ増殖できない。ウイルスが内部にもっているのは遺伝情報だけなので、遺伝情報に基づいてウイルスの部品を複製するための酵素を、細胞に借りる必要があるのだ。

ではウイルスとは生物なのか。無生物なのか。

ウイルスは増殖能力を有し、遺伝の現象、変異の現象も示す。しかし代謝系が欠けているため、生きた細胞を宿主に選んではじめて増殖できるようになる。ウイルス粒子は体外では活動しないので一見単なる物質のようだが、体内では一転して生き物として振る舞う。「生物でもあり無生物でもある」、あるいは「現在の生物の概念に当てはまらない『生き物』」。それがウイルスである。

 

ウイルスは細胞がなければ子孫を作ることができず、外界にいればいずれは死滅する(感染力を失う)。生物に感染しても、感染から動物が回復すると免疫反応によって身体から排除されてしまい、免疫が成立した動物に再度感染することはできない。したがってウイルスの生存戦略は、

宿主の動物を殺すことなく、しかも防御反応である免疫からも免れて、宿主と共存する

こと、または、

動物集団の中で次々と未感染の個体に感染すること

 となる。本書では特に巧妙な生存戦略を持っているウイルスとしてヘルペスウイルスが紹介されている。子供の頃にほとんどの人が感染し、普段は体内に潜んで大人しくしているが、宿主の免疫力が低下すると目覚めて、粘膜や皮膚に潰瘍を作る。

 

免疫とは感染したウイルスに対する耐性を指すのかと自分は思っていたが、もう少し複雑な生体反応のようだ。ウイルスを排除するにはウイルスに感染した細胞を破壊しなくてはならない。しかしその破壊される細胞とは自分の身体の一部でもある。発疹などの病変はウイルスを排除しようとする免疫反応によるダメージと考えられ、つまりは免疫反応自体(免疫の暴走?)が病気とされる、という見方も可能になる。風邪をひいたときの発熱などはその最たるものだろう。このあたりの「ヒトはなぜ病気になるのか」という問題については推測の域を出ない未知の部分が多い。人体実験をするわけにはいかないのだから当然である。

 

新型コロナウイルス(COVID-19)もその中に含むエマージング(新興)ウイルスの系譜。ラッサ熱、エボラ出血熱、ハンタウイルス病などを引き起こすウイルスはどこから来たのか。

 本来、ウイルスは、それぞれの自然宿主である野生動物を棲みかとして存続を図っている。エマージングウイルスとして問題になっている強毒性のウイルスの多くも、その自然宿主においては病気を起こすことなく、平和な共存関係を保っている。

 一方、世界的な人口増加、森林破壊、都市化など、人間の社会活動はたえまない拡大を続けてきた。その結果、野生動物を隠れ家とするウイルスの生活環境に、人間が入り込むことになった。ウイルスが現代社会に侵入しているというよりも、むしろ、人知れず存続してきたウイルスを、現代社会が新たに招き入れているのである。 

 パオロ・ジョルダーノも『コロナの時代の僕ら』で同様に、以下の指摘をしていた。

 環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている。病原体にしてみれば、ほんの少し前まで本来の生息地でのんびりやっていただけなのだが。

 森林破壊は、元々人間なんていなかった環境に僕らを近づけた。とどまることを知らない都市化も同じだ。

 多くの動物がどんどん絶滅していくため、その腸に生息していた細菌は別のどこかへの引っ越しを余儀なくされている。

つまりは農業発展、都市化、戦争、森林開発、国際的な人や物の移動といった「人間の活動がエマージングウイルスの出現をうながしている」のだ。

 

エマージングウイルスであるハンタウイルスは、宿主であるネズミの体内でほとんど病気を引き起こさないため、ネズミは一生ウイルスを持ち続ける。ネズミの尿の中に排出されたウイルスが埃などと舞い上がり、それを人間が吸い込むと感染する(野生動物経由で感染するのを動物由来感染症と呼ぶ)。ハンタウイルスの感染によって人に引き起こされる症状は腎臓障害または呼吸器障害であり、いずれも深刻なものである。エマージングウイルスはネズミやチンパンジーなどの体内に潜んでいるが、もっともウイルスを体内に貯蔵しているとされているのはコウモリである。COVID-19、SARS、MERSといったコロナウイルスもコウモリに宿っていたウイルスであるとされている。コウモリは飛翔によって移動域が広く、群れで生息するため個体間でウイルスが伝播しやすく、寿命も平均20年と長い。ウイルスが生息しやすく、他の哺乳類へ伝播しやすいという点で最適な条件を備えている「ウイルスの貯蔵庫」である。

 

天然痘ウイルスは二本鎖DNAウイルスであるのに対して、コロナウイルスはインフルエンザウイルスと同じく一本鎖RNAウイルスである。二本鎖DNAウイルスは一本のDNAに変異が起きても相補的なもう一本を鋳型として修復されるが、一本鎖RNAウイルスでは修復されない。そのため、一般にRNAウイルスは複製の際のコピーミスが起きやすく、変異が起きやすいとされる。現在欧州に出現した新型コロナウイルスの変異種が連想される。確かに、インフルエンザも変異が起きやすいと言われてきた。日本でも連日、感染者数最多更新が報じられる今、コロナウイルスの恐ろしさ、脅威が改めて実感される。変異が起きやすいということはワクチンの効果も限定的、ということだろうか。新型コロナウイルス(COVID-19)は生物兵器ではなく自然の産物であると述べている。人類がウイルスに対抗するための手段はワクチン、治療薬、公衆衛生である。ウイルス感染が発生した場合まずは隔離・検疫といった公衆衛生によって感染拡大を抑制し、ワクチンによって感染を予防し、発症してしまった場合は治療薬を投与する。最大の武器はワクチンである。人類はワクチンによって天然痘と牛痘を地上から根絶した。

 

人間は狩猟によって動物と生活圏を同じくした時代から(聖書以前の時代から)ウイルスともまたともに生きてきた。環境開発やグローバリゼーションによってウイルスはより身近になっている。コロナ禍は人類のこれまでの生活を大きく変える歴史的な災禍であるが、それがコウモリの体内に宿っていた、光学顕微鏡では見えないほどの極小のウイルスによるものだと思うと、不思議な、そして自然に対しての畏れのような感情が湧いてくる。

 

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