海へ行きたしと思えども

海はあまりに遠し、というほどではないにせよ、埼玉県在住の身としては気軽に行けるほどの距離でもなく。海へ行くには、行くか、と気合が必要になる。ふと海が見たくなったから行くのではなく、予定を立てて行くのが普通。埼玉県はいいところで自分が住んでいる場所もまあまあ人の多い便利な場所であるから文句を言うのは贅沢だが、海が近くにないのは不満である。最後に海に行ったのは2019年6月の大洗。だからもう二年海を見ていない。なぜ人は海を見たくなるのだろう。とてつもなく広いからか。波がいいのか。太古の記憶が呼び覚まされるのか。なぜかはわからないが海が見たい。埼玉から一番近い海だとお台場になるがお台場は海というよりテーマパーク的な印象がある。江ノ島九十九里か大洗がいい。

 

コロナウイルス対策のため北海道、東京、愛知、大阪、兵庫、京都、岡山、広島、福岡の9都道府県に出されていた緊急事態宣言が当初の5/31までの期間を延長して6/20までになった。埼玉、千葉、神奈川、岐阜、三重の5県に出されていた「まん延防止等重点措置」も同期間までの延長となった。正直、感覚は麻痺している。麻痺というか、慣れか。一年以上にわたるコロナウイルスとの付き合いで新しい生活習慣がいつの間にか身についてしまった。外出時のマスク着用、ソーシャルディスタンス、帰宅後や食事前の手洗い、入店時の手指消毒、密になる空間の回避など。外食の機会もめっきり減った。自炊するか、テイクアウトか、コンビニ弁当で済ますことが増えた。緊急事態宣言だろうが「まん防」だろうが、平日は自宅と会社の往復、会社ではスタンドアローンで仕事をこなし、帰宅したらスーパーへ買い出しに行くくらいしか家から出ない。休日は女の人と食事したりするが、ちょっと喋って解散。遠出はほぼしない。コロナ前はよく通った映画館へ行く回数はめっきり減った。サウナーやってたがスパ銭にもコロナ流行後は一度も行っていない。出歩かない生活が今や当たり前になってしまって、飯屋が何時で閉まるとか、酒類の提供をしていないとか、関わり無くなってしまい、だからよく知らずにいる。他人とコロナを話題にすることも少なくなった。物珍しさがなくなり、日常の一部と化してしまった。

 

自分は20代の一時期引きこもっていた。当時の自分はインターネットと無縁だった。インターネットがなくても問題なく二年ほど引きこもっていた。だから外出自粛生活など余裕と思っていた。しかし自ら好んで引きこもるのと、「外出自粛を要請される」のとでは違うらしい。行こうと思えば行けるけどあえて家にいるのと、不要不急の外出はするな、旅行など論外(昨年GoTo トラベルキャンペーンなるものが実施され自分も利用したクチだが)、ずっと家にいろ、とお上に言われそういう空気を醸成されてやむなく家にいるのとではぜんぜん勝手が違う。どうも昨年の冬くらいからモヤモヤして気が晴れない。平日は仕方なしに会社に行くが、休日になると起きるのが億劫で一日寝巻きで過ごす日もある。何をするのも面倒くさい。気分が上がらない。「自粛疲れ」という言葉が聞かれるようになったのはいつからだったか。連日テレビを点ければまずトップで今日の感染者数、重症者数、死亡者数が報道され、色々と日常行動が制限される生活を一年以上も送れば、自覚あるなしの違いはあろうが誰しも相当ストレスが溜まっているだろう。感染症が厄介なのは、そういうストレスを発散しようと人と会ったり集まったりしたいのにそれがリスクになるからできない、というところにある。自分もストレスを溜め込んでいる。海を見れば気が晴れるかもしれない。

 

少し前、仕事から帰宅した自分に、母が、昨夜父が急に泣き出したと言った。なんでも、夜、酒を飲んでいて急に泣き出したのだそう。泣いたところを見たことがなかったのでびっくりした、と言った。そういえば自分も父の泣いたところは見たことがないな、と思った。何かあったのか、明確な理由があって泣きたくなったのなら泣くのが普通の反応で健康な証拠だし、それが不甲斐ないこどおじである自分を嘆いてのものだったら申し訳ないと思うが、もしかしたらコロナ禍によるストレスで情緒不安定になった部分が、アルコールでふと緩んで出てしまったのかもしれない。誰だって泣きたいときもある。

 

家にいる時間が長くなったので、ここ最近ちょこちょこパソコンやクラウドストレージ内の過去の写真を見返して整理している。撮ったらそれで終わりの人間である。管理ができない。見返していると結構海の写真があった。下手でもいいから撮るだけ撮っておくもんだな、と2021年の今、2006年の写真を見ながら思う。後から見返すと当時の記憶が喚起され感慨深いものがある。矮小な『失われた時を求めて』。

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気仙沼大島、2006年8月

初めての一人旅、なんで宮城へ行ったのだったか。蔵王のお釜が見たかったのだったか。牛タンか。大島の民宿に泊まったのは覚えている。初めての一人旅で民宿て。つげ義春的な旅をしようとしたのでもないだろうに。確か観光協会のサイトからネットで予約した。一人なのによく泊めてくれたと思う。その日は大漁だったらしく、夕食は食卓に到底食べきれない量を並べられた。泊り客は自分一人だけだった。その家のおばあさんが食事のお供をしてくれたが、一人で、知らない土地で、知らない人がすぐそばにいる状況では緊張してしまってろくに食べられなかった。すごい申し訳ない気持ちになった。ばつも悪かった。宴会でも開けそうな大座敷に布団を敷いてもらって、一人ぽつんと寝た。窓の向こうから聞こえてくる波の音が怖いほど大きかった。気仙沼大島。震災の後ではその土地の名は特別の響きを帯びるようにも思う。

 

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宮古島、2015年3月

沖縄は好きで三回行っている。那覇市は楽しい。なんであんなに楽しいのだろう。毎度、国際通りで食事するところに迷う。三線を演奏する店とか入っちゃうともろ観光客向けな感じがして、観光客には違いないのだがなんか違う…というか。本島に二回、宮古島にも二回行った。本島からセスナで日帰り観光で寄ったら思いのほかよくて、二度目は羽田から直接宮古島へ行った。ここの海を初めて見た時はその透明度に感動したものだった。沖合は濃いブルーというかグリーンというか、それが浜に近づくにつれ徐々に透明になってくる。波が色彩のグラデーションをなす。陽射しが強くてサングラスをしていても視界は白っぽい。夜になると道路は大量のカニで溢れた。

 

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南紀白浜、2015年10月

2015年は和歌山にも行った。白浜から串本を経由して那智勝浦へ紀伊半島を太平洋沿いに。たしか有給を使って平日一泊二日だったか二泊三日だったか。強行軍になったのを後悔したくらい見どころたくさんで、時間の都合で行けなかった場所が多い。和歌山は高野山も含めてまた行きたいと思っているが埼玉からだとアクセスが難点。ここの海も宮古島ほどではないけれど透明度の高い綺麗なブルーだった。オフシーズンだったからか全然人がいなかったのもよかった。

 

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JR下灘駅、2013年8月

2013年から2016年にかけてよく旅行した。「海に一番近い駅」下灘を知ったのはJRの青春18きっぷのポスターで。あと、2chまとめサイトのノスタルジックな夏の風景を集めたやつで見て行きたくなった。一人旅。羽田から行って高知、愛媛と回った。鉄道には興味ないので駅へはレンタカーで。小さい駅なので駐車場がなく、駅前の坂道の下の空地に車を停めたような記憶がある。あそこ、人の土地だったかもしれない。だとしたらひどい迷惑行為。当時は今みたいにSNSが隆盛していなかったから日中も数人しかこなかったし、すぐ帰っちゃったりしてベンチを独り占めできる時間も充分あったけれど今は人が凄そう。特に夕暮れ時。鉄道には興味ないが海の見える駅には興味があって、海芝浦駅とか日立駅とかそんなに遠くないから行ってみたいともう何年も思っているのだが、電車で長距離移動が億劫でなかなか。というか40歳を過ぎてからは、まあここ一年はコロナのせいもあるが、旅行はしたいが移動がだるくていまいち行く気が出ない。

 

こうして海の写真を見ているとなおのこと海が恋しくなる。今度新たに行くなら、そうだな、房総半島の海へ行ってみたい。しかし繰り返しになるが、下手でもなんでも写真は撮っておくといい。今のようなスマホで簡単手軽に写真が撮れる時代なら撮影のハードルも低いから、撮っておいて何年も経ってから見返すと、あんなだった、こんなだったと当時の記憶が喚起されて、ちょっと幸福な気分になる。幸福な気分というか、ああ生きてきたんだったな、じゃあまた生きよう、生きるか、みたいな生きる意欲が湧いてくる、と言った方が近いか。こういうしょうもない文章もまた、今の記録として、後で読み返すと何か意味が出てくるかもしれない。