映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』を見た

アルカイダを追跡する過程で、アメリカ軍がグアンタナモ収容所にて囚人に行った拷問を告発する。日曜夕方で観客は10人くらい。前の方にいた男が上映前にマクドナルドのセットを持ち込んで食い始めたのに驚いた。笑い話的に聞いたことはあったが本当に映画館でマック食う奴っているんだ…と。自分とは席が離れていたのでどうでもよかったが、そばでやられたら匂いがきつくてたまったもんじゃない。前にいたら後ろから席蹴ったかもしれない。近くにいた女性二人に同情。自分なら席移動するが。

 

米軍がグアンタナモで囚人を虐待していたとは当時日本の新聞でも結構大きく報道されて、それを読んだ記憶がある。この映画の原作となった手記の執筆者で主人公のスラヒは、アルカイダのリクルーターとの容疑で身柄を拘束され、グアンタナモで自白するよう強要される。しかし本人は無実だと訴える。証拠が出ないにも関わらず、軍は八年間一度の裁判もなしに彼を拘束し続けた。その間、軍による拷問が行われた。窓のない独房に閉じ込め、11度設定のエアコンをかける。中腰の不自由な姿勢のまま立たせ続ける。スピーカーでヘビメタを大音量でかけ、照明を激しく明滅させて聴覚・視覚を刺激する。眠らせない。性的虐待。殴打等の暴力。飯を無理やり口に突っ込む。家族を捕えて囚人にレイプさせると脅迫する。水責め。よくぞここまで豊富なアイデアが出ると感心するほど様々なパターンで行われる拷問。水責めは『ゼロ・ダーク・サーティ』でも描かれていた。あの映画では容疑者を小さい箱に押し込むというのもあった。やはり眠らせないのがもっとも効果的なようで、遂にスラヒは折れる。想像するに食事や水はまだ何日かは我慢できるだろうが眠らせてもらえないのはきつい。

 

もう一人の主人公である人権派弁護士のナンシーが裁判のため当時の資料を請求すると、書類の大半が重要機密の名目で黒く塗りつぶされていた。真相を知るための書類が黒塗りでほとんど読めない…これ、なんか聞いたことがあるな…と思いつつ、しかしさすがアメリカと言うべきか、裁判で資料の開示請求をするとちゃんと通って塗りつぶされていない資料の閲覧が可能になる。ナンシーはこれにより軍による自白強要目的の拷問があったのを知る。

 

この映画の見どころは中盤の拷問のシーン。自分がスラヒみたいな目に遭ったら一晩もたないだろうなと。彼が独房の中でひたすらアラーに祈り続けるシーンは遠藤周作の『沈黙』を連想させた。そして同じように神は応えず沈黙するのみ。ナンシーと対決する検察側の中佐が事実を知り、良心が咎めるのを感じて事件の担当を降りると軍の上官や同僚から「裏切り者」と罵倒されるシーンは、正義や法の尊重より組織の論理が優先されるのは軍も一般企業も一緒だよなあとしみじみ。だからこそ軍隊や警察に権力を持たせ過ぎるのは危険で、スラヒも祖国モーリタニアでは警察や政府は恐怖の対象でしかなかった、留学先のドイツで初めて警察を恐れなくていい生活があることを知ったと言っている。こういう感覚は日本で生まれ日本で暮らしているとわからないので、外国の映画を見る意味の一つにそういうことを知る、というのがあると思っている。

 

グッドエンディング、と見せかけてのその後の展開がまた奇怪。現実は甘くない。あの9.11テロ関連の事件だから世論を考えるとはいそうですかと釈放は難しいのかもしれないが。事件をある程度知っているし、展開も結末を除けば王道的なものだしで見ていて意外性はないが退屈せず最後まで見られた。スラヒのキャラがよかった。ジョディ・フォスターの顔を見ると安心するのはなぜなのか。この人、若い時から変わらず見ていて飽きない。もっと見ていたいと思わせる存在感がある。それがスターなのかな。ラブ・シックさんが夢中になって手作りの冊子を作ってしまうのもわかる気がする。

 

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