10年以上ぶりに村上春樹を読んだ 『街とその不確かな壁』感想

 

 

6月に読んだのだが感想を書くのが億劫で放置していた。なのでところどころ記憶は薄れているがさらに忘却する前に記録しておく。

 

自分は村上春樹の熱心な読者ではない。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『蛍・納屋を焼く・その他の短編』『1Q84 BOOK1』、読んだことがあるのはこの三作品くらい。あと何かエッセイを拾い読みしたことがあるかもしれない。最後に読んだのが『1Q84』でそれが10年以上前。どれももうほとんど内容を覚えていない。「納屋を焼く」だけはよく覚えている。不気味な話。これを原作にしたイ・チャンドン監督の映画『バーニング』もよかった。

 

『街とその不確かな壁』は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のスピンオフ的な作品だという。ただ前述のとおり『世界の終り…』の内容を自分はもう忘れているので単独作品として読んだ。

 

全編が三部に分かれている。

第一部は少年少女の恋と別れ、ファンタジーかメルヘンのような異世界でのもう一つの生が述べられる。74歳にして10代の少年少女の恋愛を書くとはすげえなあと感心しつつ、もういい歳なんだから恋愛やセックスの他にも人生には素敵なことがたくさんあるというような価値観を提示してほしいとも思った。我ながら難癖だが。作家は各々自身が書けるものを書くのであってそこにいいも悪いもない。読む側の趣味だけがある。合わないと思うなら読むのをよせばいい。

 

描かれる少年少女の恋愛描写は陳腐で、心ときめくものは感じられなかった。続く異世界編は何かの隠喩か象徴か(意識に対する無意識とか覚醒に対する眠り・夢とか?)よくわからん。村上春樹の小説って登場人物たちがいつも喪失感や疎外感といった悲哀の感情を抱えていて、それが作品世界を支配しているイメージがある。第一部は全体的にストーリーに既視感があるのと、ファンタジー世界の設定に整合性を持たせようとして却って中途半端になってしまっているのとで退屈だった。

 

第二部の舞台は一変して現実世界(仮)。独身中年の主人公が福島の図書館で働く話。最初のあたりにある独身ライフの描写が素晴らしい。

 私は図書館の仕事を終えて帰宅すると、簡単な一人ぶんの食事を作り、あとは読書用の椅子に座ってひたすら本を読んだ。家にはテレビもなかったし、ステレオ装置もなかった。防災用のトランジスタ・ラジオがあるだけだ。ラップトップ・コンピュータはあったが、もともとそれを用いることはあまり好きではなかったから、椅子に座り込んで好きな本を読むくらいしかやることはなかった。

 本を読みながら、スコッチ・ウィスキーをオンザロックにして、グラスに一杯か二杯飲んだ。そうするうちにだんだん眠くなり、だいたい十時頃にベッドに入って眠った。寝付きは良い方で、一度眠りに就いてしまうと、朝になるまでまず目は覚まさなかった。

 

 朝や夕方、とくに何もすることがない時間には、町の周辺をあてもなく散歩した。美しい音のする川沿いの道が、中でも私のお気に入りのコースだった。 

ストイックな独身生活、憧れる。本作では図書館が(ボルヘスのように)小宇宙に喩えられるけれども森に見立ててもいいだろう。この主人公は「自分ひとりの森」で生きている。

 

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ただ、謎めいた前・図書館長の正体が明らかになるあたりから、またしても既視感のある話になっていく。同時に、何かの記号か、というような細部へのこだわりに若干うんざりもしてくる。前・図書館長のスカート、少年が着ているイエロー・サブマリンのヨットパーカ、どちらも思わせぶりだがそれが表現として何か効果を上げていたか? 幾度も繰り返される「イエロー・サブマリンの少年」の呼称に辟易。固有名付けた方がスマートでは。

 

主人公は45歳になってなお16歳のときに恋した一歳下の少女を忘れられずにいる。『秒速五センチメートル』じゃないんだから…いやこっちが本家か。『秒速』の主人公はせいぜい20代後半、中年じゃない。奇しくも今45歳の俺は、たぶんいただろう16歳のとき好きだった女子が誰だったか思い出せない。どころかクラスメイトの女子の顔さえ思い浮かばない(名前もろくすっぽ覚えていない*1)。だから主人公のこの設定はリアリティに欠けているように思え、白ける。というか粘着し過ぎでちょっと怖い…。俺はこういう一途さをロマンチックだとは思わない価値観で生きている。

 

カフェの女店主との出会いがある。主人公は彼女といい感じになるのだが少女にしてもこの女性にしても、付き合ってすぐ、または付き合う前からセックスについて意思表示するのに違和感がある*2。そんなことするか? なんでも言葉にすればいいわけじゃない、デリカシーってものがあるだろう。いずれ相手とセックスするんだろうけど当面はお互いそんなことまったくありえないかのように振る舞う、それが恋の始まりの楽しさなんじゃないの、と思うんだが…。いや、45歳独身の俺が恋愛を語るなんてちゃんちゃら可笑しい。俺にそんな資格はない。資格はないが…やっぱり違う気がする。でも結局彼が誰ともセックスしなかったのはよかった。少女と女店主のどちらかにせよ(あるいは二人とも)、してたら馬鹿らしくなって途中で読むのを放棄しただろう。

 

第三部は種明かし。第一部と第二部、どちらが現実でどちらが夢か、という話。夢というか、本体と影の人生が逆転する。

 

ひさしぶりの村上春樹、最後まで読めたことは読めたが中盤以降は読み進めるのに努力が要った。改めてこの作家は俺向きではないとの感を強くした。

 

 

*1:寂しい人生だ

*2:「あなたのものになりたい」と面と向かって言う15歳の女の子なんてリアリティがなさすぎる