アルベール・コーエン『おお、あなた方人間、兄弟たちよ』を読んだ

 

おお、あなた方人間、兄弟たちよ

おお、あなた方人間、兄弟たちよ

 

 

本書の内容は以下の帯文に要約できる。

一人のユダヤ人の子供が十歳の誕生日を迎えたその日に、憎しみに出会う。私がその子供だった。

第二次世界大戦前夜のマルセイユ。下校途中の小学生は、染み抜き剤を売る香具師の口上に聞き惚れる。染み抜き剤を買おうとなけなしの金を握りしめた彼にしかし、香具師は激しい侮蔑、憎悪の言葉を投げる。生まれて初めて、剥き出しの悪意に触れ少年は戸惑う。反ユダヤ主義などというものが世界にあることはおろか、自分がユダヤ人かどうかすら覚束なかった十歳の少年を香具師は容赦無く罵倒し、周囲にいた大人たちの誰一人として、香具師の嘲罵に薄笑いこそ浮かべ、可哀想な少年を庇おうとはしなかった。この少年こそ著者だった。他者の悪意に触れたとき、その人の黄金時代は終わる。世界は善意に溢れた場所では決してなく、自分を傷つける者たちがそこここにいることを知った時に。知ってしまった後は知らなかった頃の無邪気さには二度と戻れない。

この子があなた方に一体何をしたというのか、言ってください、彼を追っ払ったあなた方、あなた方と気持ちを同じくし、あなた方の仲間になりたくて、テーブルの近くまで行ってもいいのだと信じていた子供を皆してからかったあなた方に、この子がどんな悪いことをしたというのか、この可愛らしい小さな男の子があなた方に何をしたというのか、無邪気な少し女の子っぽいところのあるこの子が? 生まれたこと、生まれるのがそれ程の罪なのか?

もしあなた方がユダヤ人を嫌うなら、少なくとも彼らが十六歳になってからにしてもらえないだろうか、そうしてもらえるなら、率直に言おう、少なくとも彼らに少しの間、ほんの少しだが、麗しい時間を過ごさせてやれるのだから。

 

人種差別とは彼らの存在自体を否定することだ。彼らが差別される理由は何々人だから、という理由しかない。だから十歳の子供だろうと容赦無く罵倒される。しかし少年にはその理由がわからない。彼が一体何をしたというのか。公衆の面前で、自分より大きくて力も強い大人から罵倒され恥辱を受けるに値するようなことをこの少年が何かしたか。好意を持って近づいた大人から罵倒され、周囲の大人たちは守ってくれない。その理由は? 彼が選択したわけでもない出自のせいだ。

少年はその場から逃げ去り、彷徨する。するとそれまで気にしなかった、見落としていた、「ユダヤ人を殲滅せよ」という壁の落書きがいたるところにあるのに気付く。自分は人々から憎まれている、自分のせいではないことが原因で。公衆トイレに逃げ込む。誕生日の少年が、公衆トイレに閉じこもって、自分を責める。大人がああ言ったということは、僕は意地の悪い汚いユダヤ人なのだろう、自分でそのことに気づいていないのは、意地の悪い人間というのはえてしてそういうものだから。少年の彷徨は夜になっても続く。家では優しい両親が誕生日の御馳走を用意してくれていた。しかし彼は帰れない。どうしてこんな目に合うのか? これがこれからずっと続くのか、死ぬまで? 道ですれ違う人々が自分をどう見ているのか気になる。あの人もこの人も、自分を憎んでいるのだろうか。やがて小説家になる少年には、空想上の最愛の少女がいた。ヴィヴィヤーヌというこの少女と自分の空想の恋物語を、彼は寝る前自分に語ったものだったが、それもこの日に終わった。彼女がユダヤ人を愛するなどあり得ないだろう、少年にはそう思えたから。(空想上の)一つの愛もまた、この日死んだのだ。

 

十歳の誕生日を回顧しながら、そしてのちのナチスによる暴虐の証人の一人として、コーエンは憎悪を克服する術を模索する。キリスト教の説く隣人愛は、この世から憎悪や暴力を無くすことはできない。過去の教皇や施政者ですらユダヤ人を差別してきた。過去二千年にわたって戦争を阻むこともできなかった。コーエンは隣人愛に代わって、真の赦しをもって他者を赦す秘訣は死の自覚にあると悟る。

真の赦しをもって赦すとは、侮辱する者は死すべく定められている私の兄弟だと知ることだ。血も凍る死の谷の恐ろしさをいずれ知ることになる明日の臨終の人だと思えば、それだけで人は彼を哀れみ、彼に惻隠の情を起こすのは自然の成り行きで、彼はそれに値する。

ねえ、あなた方、反ユダヤ主義の皆さん、聊か唐突の感は免れないが、敢えて今、私はここであなた方憎む人たちを兄弟を呼ぶことにする。あなた方は善き母の息子だ、私たちはそれぞれ母があり、私たちはその母から生まれた兄弟なのだ、母たちからすれば私たちは皆兄弟なのだ、死という共通項を持つ兄弟、死ぬときは断末魔を経験する兄弟、死で一括りにされる哀れな兄弟なのだ。哀れむこと、この哀れみから生まれる他者への思いやりにより兄弟となった我が兄弟たちよ、反ユダヤ主義者たちよ、我が兄弟たちよ、あなた方は憎むことに心底喜びを感じ意地悪をして得意がっているのか? あなた方のやるせない短い生涯で達成しようとする目的は憎むことで喜びを感じ、意地悪をして得意がること、そこにあるのか?

 死の自覚による哀れみから生じる兄弟愛。同じ思想は、コーエンの代表作である「選ばれた女」の中にも散見される。

「忙しそうにせかせか歩道を急ぐ将来の屍たちは、彼らの埋葬用にとすでに地面の下に穿たれている穴が彼らを待ちかまえているのもつゆ知らず、冗談を言ったり、憤慨したり、自慢したりしている。笑っている女たちは、死を宣告されているこの女たちは、皆これ見よがしに乳房を見せびらかしている。ひょうたん型ミルク貯蔵庫を前に突き出し、愚かしくも誇っている。将来の屍たちは、人生は短いのに意地が悪く、ユダヤ人を殲滅せよと好んで壁に書く。世界を経回って、人間たちに語りかけようか。互いに哀れみ合うよう人間たちを説得し、死が迫っていることを彼らの頭に詰め込んでやろうか。

 十歳の誕生日に香具師から罵倒された少年は長じて、ナチスによる死の嵐が最もその猛威を強めた頃、迫害によって難民となった同胞たちを救済することになるだろう。コーエンの思想には、常に死と隣り合わせだった彼の生涯が反映している。

 

「一つの社会で反ユダヤ主義が盛んになるのは社会全体にゆとりがない時代だ」。本書の訳者あとがきでジャック・アタリの言葉が引用されている。他者の排斥が大きな社会問題化している今、1972年に出された本書を読んで、半世紀を経て差別の構造が変わっていないことを知る。