不死身のゴジラ、不死身の浜辺美波 映画『ゴジラ -1.0』感想

タイトル、ネタバレになっているが公開されて1週間経つからもういいだろう。

 

去る11月3日に見てきた。この日は文化の日、そしてあとで知ったのだがゴジラの日でもあったという(1954年11月3日に初代ゴジラが封切られたとのこと)。あとで知ったくらいだからこの日に見に行ったのはゴジラの日だからじゃなくて(俺はゴジラファンでは全然ないし)金曜日はユナイテッド・シネマ会員なら1100円鑑賞できる日だったから。山崎貴監督の映画は初めて見た。ネットで厳しいことを言われがちな監督との印象があるけれどできるだけ虚心坦懐で見ようと思った。

 

庵野監督の『シン・ゴジラ』が名作だから(正直、その後の『シン・ウルトラマン*1』『シン・仮面ライダー*2』を見ると失礼ながら『シン・ゴジラ』が奇跡的なまでに突出していると思われる)そのあとで撮るのはかなり勇気が要っただろうな、と思った。俺はゴジラのファンでも特撮のファンでも全然なく、ゴジラビオランテを小学生の頃に見たくらいで、ゴジラ映画にシリアスなイメージはなく、昭和後期に粗製濫造されていたキャラクタームービーくらいの認識でいた。そのイメージを改めるきっかけになったのが『シン・ゴジラ』だった。怪獣映画のフレームを借りた現代日本論──それとも現代日本の戯画か──とでも言えそうな映画。ブチ切れたゴジラの熱線によって都心が壊滅するのをスクリーンで見たとき*3は戦慄しつつ、同時にカタルシスも覚えたものだった。あの徹底的な大破壊に癒しを感じた。それから何年かあとに見た『キング・オブ・モンスターズ』は稚拙な怪獣バトル映画だったので『シン・ゴジラ』で目が肥えてしまった自分はがっかりしたものだった。

 

 

 

で、『-1.0』である。

敗戦直後の日本が舞台。死に損なった特攻隊員が復員兵たちとともにゴジラを打倒するために立ち上がる。

 

映画としての面白さは『シン・ゴジラ』に及んでいないと思うものの、『シン・ゴジラ』になかったアクションシーンがあり、見終わっておおいに満足した。『シン・ゴジラ』で活躍するのは政府や自衛隊だったが今回は民間人(復員兵)。設定的には『-1.0』の方が俺好み。対ゴジラ戦のリアリティは、戦闘機の設定といい、作戦内容といい、ちょっと欠けるかなと、とくに作戦に関しては地味で見応えもいまいちと思った。こんな地味な作戦が成功して大団円にはならないだろう…と観客誰もが思っただろう。案の定そうなって、そこへ秘匿されていた旧日本軍の局地戦特化型戦闘機が突っ込んでくる。あのシーンはカッコよかった。

 

ゴジラの造形もよかった。序盤は、こんなに泳ぐのか! という驚きがあり。都心に上陸して銀座で大暴れするシーンは、画面が暗くなって粗を隠せるから夜にしてもよかっただろうに、敢えて昼日中にした点に監督のVFXに対する矜持を感じた。そして昼の光の中でもゴジラは威風堂々、安っぽさは微塵もなく、熱線を吐くシーンは大迫力だった。吐いたあとの爆風が凄まじい。

 

ゴジラ戦も、ゴジラの活躍も、ともによかった。一方で人間ドラマの部分はテンプレ的で安っぽく、ちょっと見ていて苦痛を感じた。ハートウォーミングな、あるいはお涙頂戴的な展開にしなくてもいいんじゃないの、と。神木隆之介浜辺美波と小さな女の子の擬似家族的な一連のシーンとか(子供を使って泣かせようとするのはあざとさしか感じない)、復員兵たちが無茶な作戦と承知の上で参加の声を上げるシーンとか、当方がスレているせいなのか、どうも見ていてこそばゆいものを感じてしまう。あの感じ、なんなんだろう。『シン・ゴジラ』でヤシオリ作戦が成功したあと、現場隊員たちは歓喜の声を上げることも、互いに抱擁したりガッツポーズをすることもなく、ハリウッド映画だったら大盛り上がりだろうに、それがないのがいかにも日本人という感じが出ていて感心したものだったが、それと真逆の、ある種の作り物っぽさが『-1.0』のドラマ部分にはあったように思う。ゴジラを撃破したあとで全員敬礼はやりすぎ。

 

俳優では吉岡秀隆の博士がいい味出してた。一方で、佐々木蔵之介の船長は無理して荒くれを演じているような違和感があった。神木隆之介はヘタレでも憎めない。浜辺美波ほどの人でも昭和モダンガールのファッションをするとダサくなってしまうのにびっくり。あれが当時は最先端だったのだから時代とは常にうつろいゆくものなのだ。意地悪そうで実は人がいいおばちゃんという面白みのない役を安藤サクラが演じていたのはもったいなさあり。

 

ラストはある意味衝撃の結末で、萎える人もいるかもしれないが俺はあれでよかったと思う。頑張った人にはハッピーエンドを迎えてほしいから。

 

以上。面白かった。