「この世のものは何であれいつか終わる」──ミシェル・ウエルベック『滅ぼす』を読んだ

 

 

 

ブクログによると読み終えたのは8月末。なので読んでから4ヶ月以上が経っている。

もうすでに細部はおろか全体についてさえ記憶は薄れているが、今年読んだ本のうちでもとくに面白かったので今更ながら記録として残しておく。

 

ウエルベックは『素粒子』を文庫が出てすぐに買って読んで以来好きな作家で、邦訳された小説は『服従』以外はすべて読んでいる。もっともセンセーショナルな話題を呼んだ『服従』だけ読んでいないのも妙な気がするが縁がないまま今日まで来た。『素粒子』と『地図と領土』がとりわけ面白かった。

 

『滅ぼす』は邦訳刊行されているのを知らなかった。大宮のジュンク堂へ行ったら海外小説の棚に並んでいた。見て驚いた。新刊が出ていたことも、それが過去作にない上下巻のボリュームだったことにも。

 

とりあえず上巻だけ購入。帯に「読み出したら止まらない」とあったがこういう宣伝文句は信用していない。が、読み始めたらたしかにすらすら読めてしまうのだった。ウエルベックってこんなだったっけ? と思うようなエンタメに振ったリアリズム的な作風。叙述もシンプル。政治小説(というジャンルがあるのかは知らない)として、また家族小説として、等身大の、と言いたいようなドラマが展開する。すぐに読み終え下巻も購入。

 

冒頭はかなり物々しい。大統領選を控えたフランスで謎のテロ組織との戦いが予告される。主人公は大臣秘書官のポールという中年男性で、関係が冷え切った妻と二人暮らし。来たるべき選挙、テロ組織との戦い、病いに倒れたポールの父の介護、久々に顔を合わせる家族たち。そうした上巻のストーリーは下巻の中盤、ポール自身の病いが明らかになると徐々に後景に退いていく。あんなにエネルギーを注いだ大統領選は尻すぼみに終わり、いよいよ佳境を迎えたテロ組織との戦いは依然継続するものの、もはや病身のポールにそれに加わる体力気力はない。社会や家族の間で起きたことごとくが、死にいたる病いに冒された人間にとっては埒外の問題となる。自分の体の痛みを緩和することに関心の大部分が向けられる。望みは痛みを忘れて眠ること、それだけ。

 

なんというリアリズムだろう、と感心した。人生の大半の時間を費やして情熱を注いだ仕事もひどい痛みの前では色褪せる。かつては政治という社会の中枢で活躍した人物であっても、死が迫れば関心事は自分の体とそれを労ってくれる家族だけになる。

ストーリー投げっぱなしじゃねえか、と言いたくなる一方で、人生なんてこんなもんだよな、と妙に納得させられてしまう。

 

ウエルベック作品と聞いて頭に浮かぶ怒りや毒はこの小説にはほとんどない(激烈なのは大晦日の夜の家族談義のシーンくらいか)。全編に諦念と悲哀が漂っている。また、毎回必ずと言っていいほどある露悪的な性描写もない。ちょっときわどいシーンがあるにはあるがユーモラスに処理される。こういう書き方は過去作にはなかったんじゃないだろうか。読み終えて、今更かもしれないが、もうウエルベックは大作家なんだなあ、という感じを受けた。

 

新しい歯科医を探さなければならない。前の歯科医から引退すると告げられた日のことを、ポールはいまだに覚えていた。(略)老医から仕事を辞めると告げられたとき、極度の悲しみに襲われた。この先、二度と会うことなく二人とも死んでしまうと考えて、泣き崩れそうになった。二人は特に親しかったわけではなく、医師と患者の関係を超えたことも一度としてなかったにもかかわらず。会話らしい会話をした覚えも、歯と関係のない話をした覚えもなかった。自分が耐えられなかったのは、無常そのものであると、彼は不安な気持ちで気づいた。無常とは、この世のものは何であれ、いつか終わるという考えである。彼が耐えられなかったもの、それは生きることの本質的条件のひとつにほかならなかった。

 

「連帯や家族といったことについては、たくさんの綺麗事が言われていますけど、でも、年寄りはたいてい一人で死ぬんです。離婚しているか、一度も結婚したことがないか、子供がいないか、いても連絡を取っていないかです。一人で歳を取るのも楽なことじゃありません。でも、一人で死ぬのは最悪ですよ。(略)わたしはたくさんの金持ちが死ぬのを見てきましたが、本当にね、こうしたときに、金持ちであるのはたいしたことじゃない。個人的には、モルヒネの点滴ポンプを使用させることには何の躊躇もありません。望むときに、ボタンを押しさえすれば、モルヒネを一定量注入できて、優しい光の輪に包まれ、世界と和解することができます。好きなときに打つことのできる人工的な愛のドラッグのようなものですよ」

 

 

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