最近の俺とインターネット

俺の場合、外でスマホをいじっているときはYouTube、はてブ、Yahooニュース、Xを見ていることがほとんど*1。これらのサービスは人の関心を惹くような投稿や自分好みの投稿を表示することでユーザーの時間を奪おうとする。レコメンド機能によってこちらが好きそうな動画を表示したり、感情を刺激するような投稿を表示したりする。それらにまんまと乗せられると、知らぬ間に時間を浪費してしまう。

 

ショート動画のレコメンドはギャンブルみたいなもの。アタリ動画が出るまで見続ける、出たら出たで次のアタリ動画を求めて見続ける。

XやXまとめサイトはヘイトや対立煽りや過剰な表現で見る側の感情を揺さぶってくる。

こういうコンテンツに日常的に触れていたら間違いなく思考力や集中力が衰える。注意散漫になり物事に対して脊髄反射しかできなくなる。そうなるのが怖くて、去年一時期、デジタルデトックスに取り組んだ。

 

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これはこれで有意義な取り組みだった。けれども一年のうちの何日かをスマホを持たず、ネットに触れず過ごしたところで、不便さや退屈さに対する新鮮な気持ちになれこそすれ、また翌日以降は今まで通りスマホやネットを使うのなら、気休めにしかならなくないか? これ、意味あるか? という疑念が生じ、以降やらなくなった。何事もやってみなければわからないことがある。

 

今やスマホやネットなしでの生活は現実的に不可能だろう。LINE、ショッピング、新幹線チケットやホテルの予約、キャッシュレス決済、銀行振込、ルート案内、ちょっと思いつくだけでもこれらを利用するのにスマホアプリやウェブサイトを利用する*2。各種申請や車の点検予約もネット。もう我々の日常が、スマホなし、ネットなしでは成り立たない、あるいは大幅な不便を強いる方向へシフトしてしまっている。ネット利用を断つのは機会損失が大きい。デトックスで一時的に離れるのがせいぜい。でも月に一日かそこらネットを使わなかったところで一年のスパンで見たら誤差に過ぎないんじゃないか。

 

先日、ヨハン・ハリ『奪われた集中力』を読んだ。

この本の中に、デジタルデトックスについて俺が感じた疑問に答えている箇所があった。元Googleのエンジニアだった人物の発言。

「(デジタルデトックスは)解決策ではないね。週に二日、屋外でガスマスクを着用しても汚染への解決策にならないのと同じ理由だ。短期間で、個人レベルであれば、特定の影響を抑えることはできるかもしれない。だけど持続可能な対策じゃないし、体系的な問題に対処するものでもない」。

スマホのスクリーンの向こうには世界でもトップレベルに頭のいい人たちがいて、あれやこれやの手を使ってユーザーの注意と時間を奪おうとしている。注意経済だ。炎上・扇情はエンゲージメントを増やすための手段。過激なタイトルや意見で注目を集め、自サイトに長く滞在させることで広告収益を得たりユーザーの嗜好をビッグデータとして収集しようとする。

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スマホの登場によって確かに、生活の中で気が散る回数がある程度増えただろう。だが、集中力が続かなくなったというダメージの大きさは、もっとひそやかなことによって引き起こされている。スマホそのもののせいではなく、スマホのアプリやパソコンで見るウェブサイトがどう設計されているかということなのだ。

注意経済は人間の本性に適っている。くだらないと思いつつ、人は扇情的な投稿に関心を持ってしまう。つい知りたくなる。見たくなる。なぜなら、人間がポジティブで穏やかなものよりもネガティブで理不尽なものに惹かれるようデザインされているからだ。人は美しい花よりも衝突して大破した車に、笑顔よりも怒りの表情に、より注意を向けてしまう。であれば、YouTubeで再生回数を稼ぎたい投稿者が動画のタイトルに入れるべき言葉は何か? YouTubeのトレンドをモニタリングしているサイトによると、「憎む、抹殺する、叩く、破壊する」といった言葉だという。

 

注意経済の有害性がわかっているから、シリコンバレーのエリートたちは瞑想やヨガに取り組み、わが子には「自分たちが作ったサイトやガジェットを使うことを禁じ、技術を排除しているモンテッソーリ学校に通わせている」。スティーブ・ジョブズも子供にiPadを使わせず、家族との会話や読書を重視していた。注意経済の注目を集めるためのUIや仕組みは依存症に似た状態に人を陥れる。先日、夜に家の近所を歩いていたら、背中を丸め、頭を胸のあたりまで下げて、スマホの光る画面を一心に見つめながら牛歩で進む男性とすれ違った。ゾッとした。まるでゾンビじゃないかと。スマホゾンビ。

 

人間の特性に加えて社会的な問題もある。グローバル化された現代社会の「ストレスの増大、労働時間の増大、より侵襲的なテクノロジー、睡眠不足、食生活の乱れ」が注意経済に抵抗する免疫力を弱めていると本書は指摘する。疲れて心の余裕がない状態では集中力を維持するのは難しく、本を読んだり映画を見たりするのはハードルが高い。だがスマホの画面をスワイプすることならできる。映画『花束みたいな恋をした』の主人公は仕事に疲れ、以前は好きだった漫画も小説もゲームもやる気が起きないがパズドラはやれるという、あれと同じように。

 

注意経済という構造的/環境的問題に対して個人がデジタルデトックスと称してスマホを一日や二日持たずに過ごしても、上で引用したガスマスクの喩えのように対症療法でしかなく、根本的解決にはなりえない。物事を0か100かで判断する必要はないから、効果に限界があるのを承知の上で試みるのは全然ありだと思うけれど、どうせやるなら本書の著者のように三ヶ月とかの長期間がいい。一日二日だとあっさり終わってしまうので物足りない。スマホなしで一冬を海辺の温泉地で過ごせる金と時間がほしい。

 

自宅ではパソコンでインターネットをわりと長時間やっている。やっている、というかやってしまう。ただしSNSやYouTubeを見てるんじゃない。Googleマップを見ている。Googleマップで行ってみたい場所の観光プランを立てるのにはまっている。今更だけどGoogleマップってすごく便利。ルート案内してくれるし、俺に最適化しているのか、ミュージアムなど俺好みなスポットが表示されるのでついクリックしてしまい、調べているとあっという間に時間が溶ける。

 

Googleマップの他はあまり使っていない。YouTubeもXもはてブも長時間見ないよう自制してブラウジングしている。はてブ、しょうもない記事に批判ブコメが大量に付いているのをしょっちゅう見かけるが、悪目立ち目的の投稿にまんまと釣られちゃって、これじゃ投稿者の思う壺じゃないの、と白けた気持ちになる。スルースキルのない人が世の中には案外多い。批判したいならコメントせずスルーするのが最適解なのにそれができない。スルーを繰り返すことで悪目立ち目的のしょうもない投稿は減っていくと思うのだが。彼らがもっとも恐れるのは批判でも罵倒でもなく無視だから。

 

今年は空いた時間によく読書している。インターネットはどれだけやらなくてもやらなすぎるということはなく、本はどれだけ読んでも読みすぎるということはない*3。先日読んだ木澤佐登志『完全版 ダークウェブ・アンダーグラウンド』は、テック企業による支配、収奪の構造からの脱出策として「「速さ」と「遅さ」、両者の「協働」」を提案していた。俺はこれをオンラインとオフラインの使い分けと解釈した。インターネットは現代社会のインフラであり生活の利便性を高めてくれるものだから大いに活用する。しかし同時に注意経済に対して自覚的でありたい。そして「速い」インターネットに対するカウンターとして「遅い」読書、「遅い」思考(俺の思考なんてお粗末なもんだが)というオフラインの営みを対置する。最近の俺はインターネットを断つのではなく上手に使うことを意識している。

 

 

*1:自宅では専らパソコンを使いスマホはあまりいじらない

*2:職場に断固としてLINEをやらない人がいるがその人にだけ連絡をSMSでしなければならず、だるい

*3:本当にそうか?