木澤佐登志『闇の精神史』を読んだ

 

 

スペース(宇宙または空間)をめぐる奇異な思想を紹介する本。

主としてはロシア宇宙主義、アフロフューチャリズム、サイバースペースについて。

本書は「精神史」と銘打っているが通史でもなければ包括的でもない、自身の興味の向かうままに散乱&拡散していくエッセイ(試論)だと冒頭で著者が断りを入れている。タイトルに「闇」とあるが特別ダークな内容ではない。黒い表紙といい、同じ版元から出た『闇の自己啓発』を意識しているのだろうか。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

『闇の自己啓発』や冊子『書架記』、あとはweb連載の記事を読むかぎり、アングラ思想、オカルト、テクノロジーイデオロギー、資本主義批判など木澤さんの執筆領域は俺の関心と重なる部分が多い(俺はテクノロジー関連にはあまり興味ないけど)。現在のこの分野の紹介者として稀有な存在だと思っている。

現代ビジネスのこの連載が面白かった…のだが更新ストップしてるっぽい。いずれ続きを書いてほしい。

gendai.media

 

本書の内容に触れる前に。

イーロン・マスクはなぜ火星をめざすのか?」と書かれた帯が本書に巻かれているでその答えについて。マスクによる宇宙開発、民間航空宇宙企業スペースXの構想の背景には、現在の延長線上で持続可能な未来は幻想でしかなく、人類は遠くない未来に存亡の危機に瀕するとの彼の主張がある。地球に何かしらの破局が起きる前に人類を多惑星種化して、種としての絶滅を防ぐ、そのための宇宙開発。移住先として最良の選択肢の一つだから火星を目指している。

マスクのような、現在より未来を優先する思想を長期主義という。長期主義は未来のために現在を犠牲にすることを厭わない。長期主義は現在の社会の持続可能性を信じない。だからビジネスと相性がいい。未来はこうなる、それを未然に防ぐ、を大義名分にしさえすれば現在の環境を破壊しまくれるから。だが、むしろそうした長期主義に基づいた経済活動による環境へのダメージこそが、却って破局を招く、早める可能性はないだろうか。俺は、あると思う。

長期主義(者)は環境学の立場からどう見られているのだろう。ちなみに同じ宇宙開発でもAmazon創業者のジェフ・ベゾスは資源獲得を主要目的として進めているという。

 

以下、本書の内容について。

第1章はロシア宇宙主義。俺が読んだかぎり、本書に「これがロシア宇宙主義だ」と明確には書かれていないのでいまいちわかっていないのだが…。

ロシア宇宙主義は19世紀の思想家ニコライ・フョードロフの思想がベースにある。彼は、人類は未だ進化の途上であり、より高い存在、神人的統一体にならなければならないと考えた(この考えには同時代のダーウィンによる進化論が影響している)。人間の進化には精神的および身体的変容=改造が不可欠である。だから何らかの手段を用いて(具体的方法について本書では述べられていない)人類を進化させる。この進化プロジェクトの最終目標は死の克服と死者の復活である。生殖=人間の再生産に費やされるエネルギーを先祖復活の方向へと転化させて「逆向きの出生主義」を実現することが目指される。

全人類が一致して、生殖のプロセスに逆らいながら、系譜の連鎖を逆向きに辿ってやがて二人の完全な人間、アダムとイヴを作り出す=再創造すること……。

先祖の復活によって人口は増加する。それに伴い地球資源は枯渇する。本書によるとロシア宇宙主義とは、

避けがたい終末から逃れるために、宇宙空間を新しい人類の居住区=養殖場コロニーとし、太陽系を手始めにやがては宇宙のさらに奥深くへと、すべての空間を人間の統御下に置くために進出していくこと

であるらしい。

荒唐無稽としか思えないが…。

ロシア宇宙主義については来月河出書房新社から本が出るみたいなのでそちらを参照するのもよさそう。

www.kawade.co.jp

 

このロシア宇宙主義は現代のシリコンバレーにおけるトランスヒューマニズム=人類の不死化研究と共鳴する。

たとえば身体のサイボーグ化や薬物やテクノロジーによる各種のエンハンスメント、不死になることを目的に、コンピュータなど、なんらかのハードウェアに自身の脳内に存在する意識データをプログラムやデータとしてアップロードすること(=マインドアップローディング)、あるいはもう少し愚直に(?)、自身の死体を極低温保存して然るべき技術の整った未来に解凍してもらうことの望みに賭ける人体冷凍保存、等々

PayPal創業者のピーター・ティール、Googleの共同創業者で元CEOのラリー・ペイジイーロン・マスクといったテック企業家はこれら徹底的生命延長を信奉し関連企業へ積極的な資金提供を行なっている。アメリカのアリゾナにあるアルコー生命延長財団には「世界各国のセレブや資本家、または中東の石油王の死体あるいは頭部」を液体窒素で満たしたシリンダー内に保管しているという。世界にはアルコーのほかにも三つ同じような施設があるというのだから驚く…というか本当にそんなことしてるのか? 不死の実現を信じて死体を保管している施設があるなんて、著名人への反感から生じた陰謀論の類じゃないのかと疑ってしまう…のだが検索したら出てきた。マジか。閲覧注意。

gigazine.net

 

第1章ではロシア宇宙主義に続いてプーチンウクライナ侵攻へと向かわせた新ユーラシア主義についても触れられるが、こちらは雑に言えば国家および民族のアイデンティティ喪失を埋めるためのナショナリズムという感じで独創性・珍奇性はない。西欧へのコンプレックスとその克服というテーマは19世紀に書かれたドストエフスキーの小説にも繰り返し出てくる。権力者、というか独裁者がこの思想に憑かれるとやべえだろうなと思うが実際やべえことになったわけで発展に意外性もない。

 

第2章のアフロフューチャリズムはミュージシャンの話で興味が持てず斜め読み。俺には彼らの「設定」としか思えなかった。

 

第3章はサイバースペース。この章、話題が多岐にわたる上にどれも身近なので面白かったが「拡散」し過ぎて散漫になってしまっているのが惜しい。

行動経済学に基づいた環境管理による人間の行動の管理=(ある種の)支配。環境によってユーザーを監視、予測、誘導を行うアーキテクチャ道具主義という。全体主義は暴力によって機能するが道具主義は行動修正によって機能する。全体主義にはイデオロギーがあるが道具主義にはない。道具主義は人間の行動を測定し、予測し、制御することにのみ関心を持つ。ビッグデータを背景にした環境管理型の道具主義が現代の──サイバースペースにおける──権力装置である。

 道具主義者が関心を向けているのは、測定可能な行動を測定し、わたしたちのあらゆる行動を、絶えず進化する計算・修正・収益化・制御のシステムに常につなげておくことだけだ。

今やアルゴリズムはユーザーの嗜好を過去の膨大な蓄積データから予測して、彼が望む前に、いわば先回りして欲望を提供するほどになっている(そのいい例が通販サイトにおける「よく一緒に購入されている商品」「この商品に関連する商品」の表示)。徹底的に個人化された広告はもはや広告というよりは「勧誘」に近い。ユーザーは餌の出るボタンを押し続けるラットのように企業が提供する環境に依存するようになっていく。環境管理の例として、著者はソーシャルゲームでガチャを天井まで回して大金を溶かした実体験を挙げる。描写される心理はギャンブル依存そのもの。大企業が提供するソーシャルゲームは一流大学でマーケティングや心理学やエンジニアリングを学んだスタッフが製作してるんだろうからさぞ巧妙にユーザーを依存させるようにデザインされているんだろうな、とスマホでゲームは一切やらない(怖くて近づかない)俺は思う。

 

道具主義は普段はその姿を潜めている。ユーザーはその存在を意識せずサービスを利用している。ところが、何か規律に抵触したのか、ある日突然アカウントが凍結される事態が起きる。あるいは誤ってアカウントを凍結される(誤BAN)。それは今まで不可視だった権威が突如顕在化して権力を行使した瞬間だ。

 先にも述べたように、道具主義者の用いる行動修正/行動予測テクノロジーは、規律権力とはまったく異なったあり方で作動する。追跡テクノロジーは、ユーザーの気づかないところで行動を記録し、データを収集する。それはフーコーのいう中央監視装置パノプティコンをすら不要のものとする。権威や監視の目を内面化させ自己規律化へと向かわせる近代的な規律権力とは異なる、不可視のアルゴリズムアーキテクチャが個人の行動をナッジ(そっと押す)する権力形態。ただし、注意しておこう。それは権威/権力が存在しないということではない。そうではなく、権威/権力は単に目に見えなくなっただけなのだ。

コロナ禍における自粛警察のような相互監視といい、道具主義の見えない権威といい、日々の暮らしのいたるところに権力が組み込まれていると考えるとちょっと気味悪くなってくる。

 

このサイバースペースの章ではメタバースについても触れられる。自身の肉体というフィルタを脱ぎ捨て、バーチャル空間でアバターという「本当の身体」を得て、年齢も性別も肩書も、あらゆる制約を超越して魂と魂で交流ができると謳うメタバースは人類にとっての理想的な社会なのか。または、そうなりうるのか。だが現状メタバースはすべての人間に開かれているわけではない。健常的=健康的な身体がなくてはVRバイスを装着したり利用したりするのは不可能だから。健康的な身体がない人たちが参加できない時点でメタバース理想社会では(まだ)ない。こうした問題は今後のテクノロジーの発展次第だろうが。

 

メタバースには他にも課題がある。メタバースを駆動させる無数の巨大サーバーは大量の電力と熱を消費し、その背後にはインフラを維持するための労働者たちがいる。近年、ネットワーク関連の消費電力が急増しており、今後もさらに増えこそすれ減る見込みはない。現在の増加ペースを考えると、約5年後には動画配信およびメタバースの電力問題やその制限に関する議論が起こり得るとの専門家の予測があるという。環境破壊の問題もある。

結局、どれほどテクノロジーが進歩しようと、人間はこの制約だらけの物理世界で生きて死ぬしかないんじゃないかなあ、と俺みたいな旧世代の中年は思ってしまう。

 

著者はメタバースの思想について、

制約の存在する物理世界を悪や欠如とみなし、一方で物理世界を超えた魂の次元を善や本質的なものとみなす二元論的思考

と指摘する。この思想は、新プラトン主義、キリスト教グノーシス主義といった西洋思想と驚くほど類似している。最新テクノロジーを用いた技術的に最先端の世界なのに展開する思想は先祖帰りしているのだ。

精神/身体という近代的な人間主義から一歩も抜け出ていないという意味で、そのポストヒューマン的な装いの内側は驚くほど保守的ですらあることは、心に留めておくべきかもしれない。

これに「不死」というファクターを加えたら、物理的制約のある肉体を捨て魂として霊的世界へ移行することで永遠=不死を獲得しようとする千年王国思想のデジタルバージョンになる。この、メタバースの思想をめぐる一連の論考部分はとても刺激的で面白かった。

 

 

本書はアングラな、あるいはテクノロジーの背後にある思想を紹介するエッセイとして、自身の関心ある分野へのとっかかりとするのに適している一冊だと思う。本書を読んで、テック企業家の思想、ロシア宇宙主義、監視資本主義に興味を持った。世の中ってほんといろんな考えをする人間がいるんだな。