2024年 年初に思う

 

今年こそ初日の出を見よう、撮影しようと思っていたが起きられなかった。

おそらく人生で一度も初日の出を見たことがない。

 

去年から重箱のおせちはなくなった。

家族で雑煮を食べた。

両親にお年玉をあげた。

 

昼頃、郵便受けを覗いたら楽園からの年賀状が届いていた。

去年Xでやっていたキャンペーンに、70名の狭き門を通過して当選したのだ。

年賀状をもらうなんて何十年ぶりだろう。昔から友だちがいない俺だからもう20年以上もらってないんじゃないか*1。最後にもらったのは世田谷で一人暮らししてたときに自転車を買った自転車屋からだったような気がする。ならやっぱり20年以上ぶりになる。というか今年車買ったのにディーラーは寄越さないんだな。経費削減か。

年賀状のイラストはpanpanyaさん。裏返して見た瞬間、すげえ、と声が出た。新刊『商店街のあゆみ』を読んで以来すっかりファンに。『商店街のあゆみ』を購入したのが先月上旬、それから1ヶ月のあいだに我が家のpanpanya作品は4冊に増えた。装丁が素敵なので紙の本で全巻集めるつもり。

 

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去年の暮れから思っていたが人生でもっとも年末年始感のない年末年始。なんでこんなに年末年始感がないのだろう? 例年ほど寒くないからか? いや冬の寒さってこの程度だったっけ? 

 

住宅街は静か。スーパーは元旦休業。表に人の姿は少ない。走っている車も少ない。

俺が子供だったころの正月が働き方改革によって戻ってきた。なのに郷愁はない。一月のとある一日って感じしかない。

 

昼寝したり本を読んだりして半日過ごした。

 

15時過ぎ、体を動かしたくなり一時間ほどのつもりで散歩へ行く。ドアを開けると風が強い。途中、ひと気のないお寺を通りかかった。近場ながら入ったことはなかった。ついでだからここで初詣を済ませた。

 

1時間ちょっとで7000歩弱歩き、そろそろ日が暮れるから帰ろう、と急ぎかけたところでポケットの中のiPhoneがブーブー鳴り出した。びっくりして取り出すと能登半島地震を告げていた。「地震です」の例の声。立ち止まったのがちょうど住宅の前で、その家のテレビからトゥルントゥルンのアラームが聞こえてきてゾッとした。元旦から地震は勘弁しろと、しばらくその場に立ち止まってiPhoneをいじって速報を見ていた。揺れは感じなかった。マクドナルドでダブチセットをテイクアウトして早々に帰宅した。

 

帰宅するとリビングのテレビは緊急特番に差し替えて放送していた。NHKのアナウンサーが切迫した声で避難を呼びかけていた。俺が現地にいたらパニクりそうなほどの切迫感があった。マックを食べながらしばらく見ていたが東北のときのような大きな津波がないようで安堵した。その場にいた両親に聞くとやはりこちらは揺れなかったらしい。

 

まったく、とんでもない元旦じゃないか。

俺の記憶にあるかぎりワーストクラスに最悪な元旦じゃなかろうか。

 

阪神・淡路が俺が高校生のときで、それから新潟、東日本、北海道、熊本、ぱっと思い出せるだけでも30年程度のあいだにこれだけの場所で大きい地震が起きている。幸いにも自分はそれらとは無縁でこれているけれども*2いつ何時当事者になるかわかったもんじゃない。災害に限らず、事故や病気もそうだが、今何事もなくここでこうしていられることが、ここでこうしていられるだけで、すでに幸運なんじゃないのか、という気がしてくる。まったく、人生、世の中、何が起きるかわかったもんじゃない。日々に感謝とか、幸福を噛み締めて毎日を生きろとか、そんな大層なことは思わない。薄情だからそんな殊勝な気持ちを抱いても半日も保たない。ただ、今ある日常がいつぶっ壊れても全然おかしくない、十分あり得ることなんだ、と頭の片隅に置いておいて、うっすらでもその覚悟をして生きていく必要があるかもしれない。心の備えとして。あと、最低限でいいから災害用の備蓄をしておいたほうがよさそうだ。

 

新年の抱負は毎年変わらない。

健康と金を大切にして、仕事を無理せず頑張り、一年間生き延びる。

以上。

 

 

 

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*1:さすがにその間メールやLINEによる新年の挨拶はあったが

*2:直接は無関係だけれど東日本大震災を遠因に前の会社を辞めてはいる